コンコン、と松本乱菊は左手で扉を叩いた。
しばらくそのまま待ってみるが、反応が返ってくる様子はない。
なのでもう一度ノックをし、今度はその引き戸をゆっくりと開いた。
「失礼します。申し訳ありませんが、治療をお願いしたいのですが―――・・・・・・」
言葉尻が小さくなっていって、ついには途切れる。
それもそのはず、乱菊が訪れた四番隊執務室はガランとしていて人が誰もいなかったのだ。
「・・・・・・四番隊は、隊員が常時待機が義務のはずよねぇ・・・?」
チラッと扉にかかっている看板を見れば、確かに隊員在室の札が出ている。
けれど、やはり室内には誰もいなくて。
仕方がないから十番隊に戻るか、と考えたとき、執務室の奥にある扉が開いて誰かが出てきた。
乱菊は何となく扉から一歩引き、廊下に隠れた。
「じゃあ、またね」
一瞬だけ見えた綺麗な黒髪の女は、たしか二番隊の第四席だったはず、と思い出す。
「あぁ、いつでも来いよ。おまえなら大歓迎だぜ」
「・・・・・・もう、そんなこと言うと毎日来たくなっちゃうから止めてよ」
男は声だけなので誰だか判らないが、笑いながら交わされる言葉は聴いているだけで甘い。
会話が途切れて、少しの間の後で熱い吐息の零れる音がする。
去りたい、と乱菊は思ったが、下手に動けば気配で自分の存在が気づかれてしまうだろう。
さっさといなくなれ、と彼女は心底思った。
「・・・・・・・・・ぁ・・・・・・」
「気をつけていけよ」
腰にくる男の声が聞こえて。
パタパタと足音が聞こえて、さっき見た女が足早に執務室から出てくる。
乱菊は気配は消していたので存在を気づかれなかったようだが、擦れ違い際に女の死覇装から微かに赤い鬱血が見えた。
サイアク、と唇だけで呟いたが。
「そこの立ち聞きしてるオキャクサン。お待たせしました、次ドーゾ」
明らかに自分に向けられた声に、乱菊は今度こそ音に出して舌打ちした。
Feel So Good?
その日、乱菊は珍しく任務で怪我を負った。
怪我といっても右手に一撃を食らった程度のもので、血は結構出ているが痛みが酷いわけでもない。
だから放っておいて良いと思ったのだが、十番隊の執務室に帰るなり、上司である日番谷に放り出されたのである。
彼曰く、『何のための四番隊だ』らしい。
なので仕方なく四番隊の執務室を訪れたのだが・・・・・・。
乱菊はそれを今、心の底から後悔していた。
「へぇ、美人じゃん」
そう言って片口を上げて笑う男は、さっき廊下で結果的に立ち聞きしてしまったときに聞こえてきたのと同じ声。
値踏みするような視線をあからさまに向けられて、不機嫌にならない方がどうかしている。
乱菊は血が固まってこびり付いた右手を、男に向かって突き出した。
「手当て、してもらえます?」
「血濡れの美女ってのもオツなものだな」
「戯言はいいから。何のための四番隊よ」
「さぁ? 掃除するためじゃねーの?」
サラッと男は言い捨てた。
そのあまりの流し様に乱菊は思わず瞬いて、そして軽く視線を逸らして目を伏せる。
四番隊は護廷十三隊の中では『お荷物』と言われている。それは彼らが戦闘能力の点で他の隊より劣っているからだ。
だからこそ四番隊は他の隊がやらないような雑務を押し付けられている。
それは男が今言った様に、掃除だったり、花壇の手入れだったり、本当にいろいろ。
戦闘能力で劣っていても、四番隊は治癒に優れている。
――今の乱菊のように彼らの世話になる者は多いというのに、それが正当に評価されることは少ない。
「ほら、そこ座れ」
謝る隙も与えてもらえずに、乱菊は示された椅子に座った。
「へーぇ。アンタ、十番隊の副隊長サン」
水に濡らした布を傷に当てる。優しく扱う手つきは、彼が紛れもなく治療に優れた四番隊の隊員であることを証明していた。
「あなたは?」
「俺? 俺はこの四番隊の副やってる。同じ副隊長なのに、それにしちゃあ俺とアンタって会ったことねーよな」
「・・・・・・四番隊の副隊長は、どの会議も体調不良で欠席してるって聞いてるけど」
「治癒専門の四番隊で体調不良? 笑っちゃうぜ」
「・・・・・・・・・それで、名前は?」
「。どーぞよろしく、松本乱菊さん?」
名乗ってもいないのに名を呼ばれる。
食えない男だと乱菊は思った。
背は高い。いつも日番谷を見下ろしているから、頭一つ分違う背の高さはかなり希少だ。
適当に伸ばされている感のある髪は、それでも男の容姿を引き立てる要因にしかなっていない。
顔立ちは正直言ってかなり良い部類に入るだろう。正統派ではなく、少しシニカルな面立ちがこれまた雰囲気に似合っている。
言動は、上の通り。
(女タラシの馬鹿なんだか、ふざけた実力者なんだが微妙ね・・・・・・)
先ほどのと女の会話を思い返して、乱菊は内心で溜息を漏らした。
血を丁寧にふき取り、本格的な治療に入る。
「イイ女が身体に傷なんかつけんなよな。勿体ねぇ」
手の平に気を集めて、温かな光を傷口に翳す。
包まれるような熱と安心感に、乱菊は少し居心地の悪さを覚えた。
「任務に出れば、誰だって怪我くらいするわよ」
「その点、俺らって最強。怪我する片っ端から自分で治していけるしな」
「そうね。それは羨ましいわ」
本気でそう思いながら言葉にした乱菊に、は笑って。
治療するために触れていた手を持ち上げ、その指先に口付ける。
「アンタなら、俺が専属で治してやる」
軽く口に含まれて、指が痺れるような熱を灯す。
カッと頬を染めて乱菊は自分の手を引き戻そうとした。
けれどそれは酷く楽しそうに笑うによって遮られてしまって。
指と共に、気持ちまで絡め取られる。
「身体も心も、全部気持ちヨクしてやるよ」
光はいつしか収まっており、乱菊の手には微かな痕すらも残っていなかった。
ガラリと引き戸の開く音がし、日番谷は目を通していた書類から顔を上げた。
入ってきた己の副官の右手がもう治っていることを確認して呟く。
「さすが四番隊だな」
治癒に関しては右に出る者はいない。
日番谷はそのつもりで言ったのに。
「・・・・・・・・・えぇそりゃあもうさすがに四番隊でしたよ。人体の構造なんて隅から隅まで分かってるみたいですしね・・・・・・」
「・・・・・・・・・乱菊?」
「あんのエロ男! 次に会ったときは容赦しないわよ・・・・・・この私を他の女と同列に扱うだなんて!」
「・・・・・・・・・」
「見てなさい・・・・・・必ず見返してやるんだから・・・!」
何だか不穏な言葉が聞こえる、と日番谷は思った。
ブツブツと呟いている乱菊は、そんな彼の視線にも気づかずに握りこんだ拳を震わせていて。
紅の引かれた唇が笑みを形作りながらも、どこか薄ら寒いオーラを醸し出している。
(・・・・・・こういうときの乱菊には関わらない方が無難だな)
日番谷は無視することを決め、再び書類に目を通し始めた。
自分の魅力を知っているからこそ、翻弄されっぱなしは癪に障るのだろう。
未だ悔しさに打ち震えている乱菊の首筋には、艶めかしい紅い痕が刻まれていた。
2004年4月24日