乱れる呼吸を、どうにか収めようと深く息を吸う。
けれど心臓の位置に唇を受け、ゆるやかに引き始めていたはずの熱が再度湧き上がる。
次に与えられたのは深く、甘い口付け。
濃厚で激しいそれは彼女を煽るだけ煽り、すぐに離れる。
堪えきれず零れた唾液が顎を伝い、その冷たさにミーアは心を震わせた。
つい一瞬前まで抱きしめてくれていた相手は、今はベッドから出ようとしている。
堪えられなくて縋るように、けれどどうしても緩慢になってしまう動作で手を伸ばす。
シーツの上で指を絡めると、立ち上がろうとしていた相手が振り向いた。
闇のように深い色の瞳が、柔らかく細められて。
「まだ足りないのか? ミーア」
笑んだ唇の口付けを受ける。
ミーアは他の誰より、彼から名を呼ばれることが嬉しかった。
・から名を呼ばれることが、彼女にとっての至上だった。
ALL IMITATION
シャワーを浴びて濡れた髪をタオルで押さえながら戻ると、同じバスローブを着たがソファーに腰掛けていた。
テーブルの上で開かれているのは、小さな端末。
伸びているコードは自分がいつも抱いている赤いハロに接続されていて、データの移行をしているのだとミーアは気づいた。
ディスプレイの光に浮かび上がるの横顔は真剣で、どうしようかと戸惑ってしまう。
近くにいきたいのだけれど、邪魔になってしまうかもしれない。
そう考えて立ち尽くすと、軽い音を立ててキーボードを操作していたが振り向いて笑った。
「おいで、ミーア」
穏やかな声が名を呼んでくれる。傍に行ってもいいと言ってくれる。
嬉しくて駆け寄ると、が端によりスペースを開けてくれた。
座れば手が伸びてきてタオルを奪い、優しい手つきで髪を拭いてくれる。
気持ちが良くて目を閉じると、くすりと小さな笑い声が聞こえた。
「ミーア」
囁くは、彼女が名前を呼ばれると嬉しいことを知っている。
彼の前でだけ、ミーアは『ラクス・クライン』じゃない、ミーア・キャンベルになれるのだ。
最初の出会いは、デュランダルを通してだった。
いつだったかは覚えていない。ただミネルバに乗艦しているパイロットとだけ告げられた。
ザフトのトップガンを示す赤い隊服は、まだ新しかった。
短いスカートから伸びた、形の良い足。全体的に細いスタイル。
夜のように艶やかな黒髪を高い位置で結わいた、清廉とした印象の少女。
『・』と名乗った少女は年齢は同じくらいのはずなのに、ミーアにはやけに大人に見えた。
もしかしたらそれは、漆黒の瞳が闇のように深い色合いをしていたからかもしれない。
自分とは、『ラクス・クライン』とは間逆の位置にいる少女だと思った。
けれどその少女が、少年であることを知って。
その少年が、『・』であることを知って。
『ラクス・クライン』が『・』を特別に想っていたことを知ったとき。
ミーアの中で、押し込めていた願いが首を擡げた。
そしてそれはが『彼女の』名を呼んだとき、堪えきれず溢れたのだ。
この人は『ミーア・キャンベル』を必要としてくれる
「デュランダルは策略家だな」
ミーアの肩を抱き寄せながら、データ解析の終わった画面を眺めてが呟く。
肩口に頭を預けると自分と同じシャンプーの香りがして、ミーアは今更ながらに頬を染めた。
何度肌を重ねても、その度に新たな喜びが体中に広がる。これが『好き』だということだと思う。
だけどそう感じるたびに、ミーアは不安も覚えていた。
もしかしたらにとっても、自分は『ラクス・クライン』の代わりなのかもしれない、と。
「政治には何が必要かよく判ってる。戦争は先に攻撃した方が概して悪だとされるからな。その点で、新兵器を完成させながらも相手の出方を待つこの気の長さはヤツの長所だ」
情事の前にミーアが告げた情報と、彼女が始終持っているハロが収録していた数々の会議や会話。
一介のパイロットでは得ることの出来ない議会の機密情報も、『ラクス・クライン』であるミーアならば手に入れることが出来る。
ましてや彼女はデュランダルの駒。だからこそ得られる内情は多い。
そしてミーアはそれをに流していた。の望むままに、すべて。
「様もまた戦争に行かれるのですか?」
「あぁ。所属は一応ミネルバのパイロットだから、命令されれば逆らえない」
「そうですか・・・・・・」
ミーアがトーンを落として俯く。
はそれを見やると微少を浮かべて、端末の電源を落とした。
その手をそのままミーアの頬へ寄せる。
悲哀を映している目元にキスを送り、優しくその身体を抱き寄せて耳元で甘く囁く。
「泣くな。戦場にいる間は、おまえの涙を拭えない」
雫の溢れる目尻に舌を這わされ、ミーアの身体が小さく震えた。
目の前のバスローブの胸元をきつく握る。自分と同じ、のものを。
離れないように、縋るように、訴えるように握り締めて。
ゆっくりとソファーに押し倒される間も、ミーアは決してその手を放さなかった。
「おまえは歌っていろ」
全てを溶かす、甘い甘い声がする。
「ミーア、おまえは歌っていろ。――――――俺だけの平和のために」
返事の代わりに、その身体を引き寄せて唇をぶつけた。
二人の熱が交わり、一つのものになっていく。
自分の名を呼んでくれるに、ミーアは己の持つすべてを差し出した。
あなたのために
わたしを必要としてくれるあなたのために
わたしはいます
特殊なインナーを着こんで、その上からシャツを羽織る。
黒いタイツの上からブーツを履き、最後に赤い隊服に腕を通す。
長い黒髪を高く結わいた姿は紛れもない少女で、それは・ではなく『・』だ。
「次は、出来ればデュランダルとアスラン・ザラの遣り取りを録音しておいてくれ。それと秘密裏に開発されている戦艦について」
「はい。任せて下さい」
触れるだけの口付けを受けながら、ミーアは思う。
もしこれを誰かが見ていたら、きっと少女同士のキスに見えるだろう。
それが少しだけ可笑しくて、笑った。
「デュランダルは聡い男だ。気をつけろ」
「はい。様も、どうかお気をつけて。ご武運をお祈りしています」
立ち上がり、ドアまで見送る。
別れるときはいつも悲しい。胸が悲鳴をあげて、心は勝手に涙を流す。やっぱり好きなのだ、自分は。彼のことが。
だからこそミーアは聞いてしまう。会う度に毎回、同じことを。
ドアノブを回した背中に、ミーアは何度目になるか判らない問いを、今日もまた口にしてしまった。
「・・・・・・様は」
光の中で、彼が振り返る。
「様は・・・・・・私と、ラクス・クラインの・・・・・・どちらがお好きですか・・・?」
―――返ってくる答えは、今日も同じ。
「もちろんおまえだよ、ミーア」
去っていく彼の表情は見えない。
一人残された部屋で、ミーアは静かに涙を零した。
2004年12月28日