8月8日はイザーク・ジュールの誕生日だった。
Happy birthday for Yzark!
「だから何だ」
冷ややかに言い切られてしまえば、続く言葉など出てくるわけがない。
膨大な資料を片っ端から処理しているを、イザークはどことなく遣る瀬無い気持ちで見つめた。
いや別に、彼とて祝ってもらいたかったわけではない。そう、別に祝ってもらいたかったわけではないのだ。
が自分の誕生日を知らないことなどありえない―――軍人だ政治家だという前に、はこの世のすべての情報を手に入れているのではないかとイザークは思っている。それはもうただ一人のために―――と分かってはいるが、そんな彼は手に入れた中で価値のない情報をすべて切り捨てていることも知っている。
だから、そう、が自分の誕生日を無視していても仕方のないことなのだ。
かつて同じクルーゼ隊に所属し、最後まで大戦を共に戦い、今は秘書として立場を等しくし、ゆくゆくは評議会議員としてプラントに従事する同僚として、が自分の誕生日を無視していても仕方のないことなのだ。
そう、仕方のないことなのだ。
仕方のないことなのだ。
仕方のないことなのだ。
仕方のない。
「――――――ことなわけあるかぁっ!」
イザークは己に言い聞かせることが出来なかった。
立ち上がった拍子に机を叩いたことで、山となっていた資料が雪崩と化す。
それを白い目で見やるを、日々の鬱憤を込めるかのように思い切り睨みつけた。
「! 前々から思っていたことだが、貴様は義理人情といった対人関係における基本が欠けている! 『実は俺、今日が誕生日なんだ』と言われたら、『そうなの? おめでとう!』とでも返しておけばいいんだ! それを何だ、貴様は! 知らないならともかく申告されたのに無視する気か!?」
「誰が無視した? ちゃんと答えてやっただろう、『だから何だ』と」
「それは無視だ! いいか、俺だって冷酷薄情猫かぶりの貴様などにプレゼントを期待していたわけじゃない。だが今後長きに渡って交流が続いていくだろう同僚に、一言言ってもらいたかっただけだ! 大体、貴様の頭には要人のプロフィールくらい当然のように詰め込まれてるだろう!? それを何故、欠片でもいいから同年代に分けてやらない!?」
「おまえが要人になった際には、忘れることなく花束でも何でも贈ってやる。第一、誕生日など統計上において明確に死期に近づくだけで嬉しくも何ともないだろう」
「死期とか言うな! 誕生日は自分を産んでくれた両親に感謝し、また健やかに育って来れたことを祝うべき大切な日だろうが! 貴様だって自分の誕生日くらい―――・・・・・・っ」
言いかけて、イザークは言葉を飲み込んだ。机の向こうから寄越されるの眼差しに、思わず気まずくなって視線を逸らす。
今更ながらに思い出したのだ。には両親という存在がいないことを。加えて、誕生日という日も存在しないということを。
「余計な一言は身を滅ぼすぞ、イザーク。今後は気をつけて発言するんだな」
「・・・・・・・・・あぁ、悪かった」
「不要だ。気にすべき箇所がない」
あっさりさっぱりと『自分は自分の誕生日などに価値を置いてない』と言い切り、は持っていたペンを置き、椅子から立ち上がる。
気まずくなってしまい、イザークは話題を変えようと口を開いた。
「・・・・・・貴様の戸籍上の誕生日は、一体何の日なんだ?」
「何の日とは?」
「いろいろあるだろう。初めてクルーゼ国防委員長にお会いした日とか、初めてプラントに来た日とか」
「俺が父上に会った日を、第三者に教えるとでも?」
「・・・・・・教えるわけないな」
この横柄な態度にいつの間にか慣れてしまった自分を、イザークは悔やまないでもない。
が床に散らばった資料を拾い始めたので、自分も立ち上がり、拾い出す。
「誕生日は父上が決めた。戸籍を作って下さったのも父上だから、その点に関してはすべて任せている」
「・・・・・・・・・貴様もクルーゼ国防委員長も、経歴が暴かれると間違いなくスキャンダルだな」
「戦争によってもたらされた負の遺産だ。プラントと地球の両者に従事する素晴らしい政治家を前にして、そんなものを持ち出す奴もいないだろう。持ち出したが最後、そいつには地獄を見てもらうが」
手にした資料をイザークの机に載せ、は席に戻った。
先ほどから二人がしているのは、ZAFTに所属する全兵士のデータ捕捉である。
近々あるZAFT・地球連合合同演習において、チーム分けやカリキュラム編成など、すべての基盤になるデータ故に手抜きは出来ない。
加えて膨大なる量のために、もはやペンを持つ指が、キーボードを叩く手が痛い。
自分も椅子に座りなおし、うんざりだが仕事を再開するか、と資料の山を見直したとき、イザークは眉を顰めた。
机の上の資料を見、端末の画面を確認し、次いで向かいのの机を見やる。
そして気付いた違和感の正体に、思わず小さく笑った。
「・・・・・・この仕事が終わったら、夕食でも食べて帰るか。いつか分からん貴様の誕生日を祝ってやる」
「この膨大な仕事が終われば、な」
「終わるだろう、意外と早く」
そう言うイザークの机に載っているのは、先ほどよりも小さくなった資料の山。
消えた分はの机に移動している。しかもそれは、イザークが得意ではない統計分野のデータ。
言葉はないし、それ故に礼も言わない。だけどそれは自分たちに相応しいかもしれない。
イザークは唇を緩めて、満足気に笑った。
「ふん。悪くない誕生日だ」
2005年8月12日