三月に入ってからというものの。
日増しに機嫌が良くなっていく父親を、は感じていた。
機嫌がいいというのは的確ではないかもしれない。
例えて言うなら、うきうき。もしくは、わくわく。
そしてそれは十三日の夜に形となって現れた。
「、これを君に贈ろう」
渡された一枚の紙。
二つ折りにされていたそれを開き、目を走らせ、は固まった。
それでもどうにか首をめぐらし、クルーゼを見上げる。
「・・・・・・・・・本気ですか、父上」
俺をそんなに困らせて楽しいですか、あなたは。
視線でそう尋ねてきた息子に、クルーゼは緩やかな笑みを讃えた。
White day
三月十四日。
乙女の聖戦バレンタインデーと対をなすこの日、は暇を出された。
しかも停戦後は余程の有事にしか使用することの許されないプロヴィデンスガンダムと、プラントおよび地球の全出入国許可証、そしてどんなに離れていてもリアルタイムでデータを送れるビデオカメラ付きである。
久しぶりに乗った―――乗せられたに近いが―――プロヴィデンスガンダムのコクピットは、かつてのものとどこか違い、は眉を顰める。
けれどその理由に思い当たった瞬間、脱力した。
パイロットシートの後ろ側にトランクが備え付けられていたのである。
ロックを外して蓋を開けば、その中にはハンガーにかけられたスーツがあった。
ご丁寧にワイシャツやネクタイ、靴下に靴、カフスやネクタイピン。
加えて手鏡や櫛などの身だしなみ用品も一揃え準備されていて、はそれらを確認し、肩を落とした。
「・・・・・・・・・父上・・・俺のことが嫌いなんですか・・・・・・?」
まだ戦いの火蓋さえ切られてないのに、彼はもはや泣きそうだった。
けれど実行しなければ明日の光は拝めない。というか父の元に帰れない。
大きく息を吐き出し、シートに座る。
久しぶりに押す起動スイッチは、何故か戦時中よりも固く感じた。
「・クルーゼ。プロヴィデンスガンダム、出撃」
さっさと終わらそう。それだけを胸に秘め、はプラントを出る。
ホワイトデーなんて一体誰が決めたんだ、と心中でひたすら愚痴りながら。
そもそもは最初、ホワイトデーの礼として菓子を配るつもりだったのだ。
それもバレンタインデーに何かしらをくれた人全員に、同じ菓子を、配送で。
冷たいと思われるかもしれないが、特別に想う相手がいないのだから当然の対応だろう。
むしろ個別に贈り、思わせぶりな態度をとれば、後々苦労することは目に見えている。
出来ることなら「冷たい男」と思われて愛想を尽かされたい。
は心中でそう期待しながら、アプリリウス・ワンで今一番人気の高い洋菓子店にダース単位で注文をしていた。
――――――それなのに。
『そんな対応では勇気を振り絞ってくれた相手に対して失礼だろう? せめてここに書いてある人たちにくらいは、直接渡しに行きたまえ』
そう言って渡された紙。
それにはクルーゼ曰く『メイン』の人物たちの名が連ねられていた。
そして、もう一つ。
は『メイン』とやらのスケジュールを頭の中に起こし、それらをすべて照合させる。
時間と場所、移動距離。考慮した挙句、一番遠くにいる人物から始めることに決めた。
それにはまず大気圏降下をしなければならない。
何故こんなことをしなければならないのだろうと心底自問自答しながら、はプロヴィデンスガンダムのプログラムを書き換える。
加速していく重力に溜息を吐き出しながら、彼は目指した。
とりあえず第一回戦の場、オーブを。
「! 久しぶりだなっ!」
いきなりプロヴィデンスガンダムが来て入国したいと言ったのをすんなりと受け入れるオーブは、意外と苦労しているのかもしれないとは思う。
そういえばバレンタインには、フリーダムがどうとか言っていた。
もしかしたらこの国は、MSが闊歩するのは日常なのかもしれない。
非武装を唱えているはずのオーブに、は現実と理想のギャップを見た。
「お久しぶりです、アスハ代表。お元気そうで何よりです」
「名前で呼べって言ってるだろ。おまえはいつもそうなんだから」
頬を膨らませるカガリは、何故か淡いブルーのドレスを着ていた。
確か今日の彼女の予定はオーブ内の会議だけで、特に要人との会談や施設訪問などはなかったはずである。
それなのに、カジュアルな服装を好む彼女が、何故ドレスを着ているのか。は思案しかけ、けれどすぐに放棄した。
突っ込んではいけないと頭のどこかが告げたのである。故にとりあえず褒めるだけにしておく。
「素敵なドレスですね。アスハ代表によくお似合いです」
「・・・・・・・っ!」
瞬時に顔を真っ赤に染め上げたカガリの横から、タイミングを見計らったようにキラが出てくる。
「久しぶり、」
「生きていたのか」
「・・・・・・うん、どうにか・・・」
キラの顔色が翳り、視線が斜め下を彷徨う。
放心しているカガリをちらりと見た後で彼はに近づき、ひそひそと耳元へ囁いた。
「・・・・・・はどうしたの? あの、カガリのチョコ」
「俺が開封する以前にフレイが生物兵器だと判断して処分した」
「うん・・・それが正解だと思うよ・・・」
双子の片割れだがフォローの仕様もないらしい。キラはどこか病んだ笑みを浮かべ、己の過去を悔いるように宙を見上げた。
はフレイの判断に感謝を捧げ、持っていた紙袋からビデオカメラを取り出し、キラの手に握らせる。
カガリとは違った意味で放心しているらしいキラは微動だにしないので、自身で録画スイッチを押した。
画面に自分たちが映っているのを確認し、カガリへと向き直る。
「アスハ代表」
「―――なっなななななななんだ!?」
「先日はチョコレートを下さりどうもありがとうございました。これはせめてもの御礼です。よろしければお納め下さい」
にこりと営業スマイルを浮かべ、さらりと思ってもいないことを口にする。
けれどそれを知らないカガリは感極まったように瞳に涙を浮かべ、差し出されたプレゼントを受け取った。
クッキーの詰め合わせは、大気圏降下でも型崩れさえしていない。
クルーゼの用意したトランクは、もしかしたらガンダニウム合金で出来ていたのか。
はそんなことを考えながら、覚悟を決めた。
そう、これは任務。遂行するのが自分の務め。すべてはクルーゼのために。
「・・・・・・それと、もう一つお送りするものが」
「え?」
「ご無礼をどうか―――お許し下さい」
謝罪をし、はカガリの手を取った。
驚いて目を見開く彼女に、そっと目を伏せて、任務遂行を心の中で唱え。
掌の上に、口付けを落とした。
リアルタイムで中継されているモニターを見ながら、クルーゼは感心したように呟く。
「なるほど・・・・・・アスハ代表へは、『懇願のキス』か」
それが『頼むからもう料理はしないで下さい』という懇願であろうことは、たやすく予想された。
クルーゼに渡されたのは『メイン』リストの他に、『キスをする場所の意味』というものだった。
間違いなくどこかの検索サイトでヒットしたものをプリントアウトしたに違いない。
はそう思い、心底拒絶したかったが、それはやはり出来なかった。
バレンタインに引き続き、無条件でクルーゼに付き従う己の性を恨む。
それと同時に、プリントを渡されただけでクルーゼの望んでいることを理解してしまう自分が悲しかった。
『メイン』は八人。
『キスする場所の意味』は八項目。
つまりこれは、『お返しをすると同時にキスをしてこい』という命令なのだ。
それも一人一人、違う場所へのキスを、意味も踏まえて。
掌へのキスは、懇願のキス。
甲へのキスは、尊敬のキス。
指へのキスは、賞賛のキス。
額へのキスは、友情のキス。
頬へのキスは、厚意のキス。
瞼へのキスは、憧憬のキス。
腕へのキスは、欲望のキス。
そして唇へのキスは、愛情のキス。
「・・・・・・・・・父上は俺の唇を何だと思ってるんだか」
ファーストキスを夢見る乙女ではないし、必要ならば誰とでも寝る。
そういった意識に欠ける己を自覚していながらも、は溜息を吐かざるを得なかった。
それぞれ別の世界にイッてしまった双子を他所に、はビデオカメラを回収すると、周囲の要人たちに礼儀正しく一礼してさっさとオーブを後にした。
プロヴィデンスガンダムのコクピットに乗り込むと、手早くカジュアルスーツからパイロットスーツに着替える。
取り出したペンで、カガリと『懇願のキス』の項目に打ち消し線を引き、次の戦場へとプロヴィデンスガンダムを走らせる。
「・・・・・・確かクライン代表はワシントンD.Cにて会談中だったな」
間に合えばいいが、と呟きながらも、出来ればこのままバレンタインとホワイトデーのない世界に移動したいとは思った。
しかし人生は世知辛いものだと、むしろ自分の周囲の人間は性格が九十度どころか反比例曲線を描いているのだと、は知ることになる。
地球連合大西洋連邦の首都であるワシントンD.C。
本日はその場所にて会談を行っているはずのラクス・クラインを求めてはやってきた。
――――――そのはずなのに。
何故今自分に抱きついているのはステラなのだろうか。
そしてその向こうでいつになく迫力のある見事なスマイルを浮かべているラクスは、一体なんだろうか。
アズラエルに命じられたスティングが、の手にしていた紙袋の一つを取り、その中からビデオカメラを出してアウルに渡す。
アウルは録画スイッチを押し、まるでカメラマンのように位置を変え視点を変え、目の前の光景をビデオに収める。
それだけでは、自分の行いがクルーゼを通してアズラエルに伝わっていることを悟った。
暇人め、と彼が心中で思ったかどうかは定かでない。
にこりとラクスが微笑む。
「こんにちは、様」
『どきやがれ小娘』と副音声でラクスの心情を耳にしたアスランが、ふらりと倒れかけてナタルに支えられた。
に抱きつくステラの力が強まったのは一体どういう意味を含んでいたのか。
「お久しぶりです、クライン代表。お元気そうで何よりです」
「様もお元気そうで。お会いできて嬉しいですわ」
もしもラクスのオーラをレーザービームに置き換えることが出来たのなら、ステラは間違いなく炭化しているだろう。
ふふふ、と楽しそうに笑みを湛えているアズラエルの横で、スティングは思う。
「先日はフォンダンショコラを下さりどうもありがとうございました。大したものではありませんが、せめてもの御礼にと思いまして」
手にしていた紙袋を差し出す。その際にステラという壁が二人の間に立ちはだかったが、はさらりと無視した。
クライン派の代表と連合理事の護衛では、優先順位は目に見えている。
「まぁ! 『ヴェルダンディ』のクッキーですのね」
「クライン代表の御口に合えばいいのですが」
「大好きですわ。ありがとうございます」
に向けてはにかむラクスは、とてもとても可愛らしい。
ナタルはそこに女の意地を見た。そしてが目を離した一瞬の隙にステラを睨むところに、恋の奥深さも垣間見る。
の視線が自分からステラに移ったことを受けて、さらにラクスビームは威力を増した。
カメラ越しに見ていたアウルは、そのビームに核と同等の破壊力を感じて、クライン派が停戦を布いた理由に納得した。
「ステラも。チョコレートケーキをありがとう」
「・・・・・・おいしかった?」
「あぁ」
「うれしい」
へにゃ、と笑みを浮かべてステラは再度抱きつく。
キャラクターが違うんだろうな、とアスランは思う。ラクスとステラでは恋愛におけるアピール方法、すなわち武器が違うのだ。
穏やかな微笑を浮かべ、今現在は姫ではなく『クライン派代表』という立場にあるラクスは、ステラのように、に幼いスキンシップを図ることは出来ない。
故にこういった場合では眉間に立つ青筋を隠して耐えるしかないのだ。
敵としての相性が悪い。ラクスも今それを痛感しているだろうと思うと、アスランの胃はちくちくと痛んだ。
から御礼をもらい、くるくると踊りだしたステラを捕まえながらアズラエルは笑う。
「それで? 、まだやることがあるのでしょう?」
「・・・・・・・・・ええ」
「さぁ、どうぞさっさとやっちゃって下さい。14日ももう半分終わりますよ」
にやにやと笑うアズラエルを睨みはしたが、言うことは正論だったのでは黙って時計を見る。
針は昼の十二時を少し回っている。この二人を一度に終えたとしてもまだ三人。
時間を無駄には出来ない。は腹を括った。
「クライン代表、ステラ」
名を呼んで、振り向いた二人の浮かべる笑顔を冷静に眺めて。
「―――ご無礼をお許し下さい」
ラクスには手の甲に、ステラには右の瞼に唇を落とした。
「尊敬と憧憬ですか・・・・・・。まぁ、そんなところでしょうね」
アズラエルがふむ、と頷く隣で、はアウルからビデオカメラを受け取る。
そして思い出したようにスーツのポケットを漁り、取り出した箱をアスランへと放った。
胃を押さえて丸くなっていた背に軽い感触を感じてアスランが振り向くと、床に転がっている小さな箱が目に入る。
「使え」
端的には言い、足早にプロヴィデンスガンダムを目指して去っていく。
箱は『胃の痛みを感じる方へ、早めの三錠』というキャッチフレーズが書かれていた。
紙を取り出し、ラクスとステラのところにも打ち消し線を引く。
それをトランクに押し込んでプロヴィデンスガンダムを起動させると、はちょうど宇宙へ向けて射出される旅行シャトルの外部パーツに捕まった。
スピードと重力の過多、大気圏の層にコクピットが揺れる。
「・・・・・・時間の経つのが遅い・・・」
一人ごちて、は疲れた身体をシートに沈めた。
いらいらいらいら。
いらいらいらいら。
いらいらいらいら。
いらいらいらいら。
様々なことにが苛立ち、眉間に皴を刻んでいると、画面にシグナルが入ってきた。
見てみればザフト護衛艦で、既知の認識コードには唇を吊り上げる。
どうやらタイミングよく、母艦の周りをザクが飛んでいるらしい。
「・・・・・・少しは役立ってくれそうだな」
楽しそうに呟き、はプロヴィデンスガンダムを加速させた。
ミゲルはCICの報告を、ボルテールのブリッジで聞いていた。
「アイマン隊長! 所属不明のMSがこちらに向かってきています!」
「所属不明のMS? 機体は?」
「―――なっ・・・これは・・・・・・!? げ、現在は使用制限されているはずのプロヴィデンスガンダムです!」
「プロヴィデンスガンダム!?」
先の大戦で一番最後に投入された機体に、ブリッジのクルーたちは騒然とする。
ミゲルは瞬時にプロヴィデンスガンダムに乗れそうな人間を脳内でピックアップした。
元来のパイロットであるクルーゼ、その副官である、元ジュール隊隊長のイザーク、組織が違うならアスランとキラ、そしてフラガ。
能力的にはニコルも乗れそうだし、プラントの病院に入院している元地球連合MSパイロットの三人もありだよなぁ。
のんびりそんなことを考えていると、焦っているらしいCICが金切り声を上げる。
「プロヴィデンスガンダムパイロットより回線が来ています!」
「オッケー、開いて」
誰がパイロットだと一番楽かな、などと考えながら許可を出す。
広い画面に出てきたモニターは、かすかな砂嵐の後で相手の顔を映し出した。
ブリッジに驚きと感嘆の声が上がり、ミゲルは思わず肩を竦める。
久しぶりに顔を見た相手はいつになく不機嫌そうで、今後の展開を思い、同情した。
『ミゲル。ディアッカとラスティはどれだ』
「・・・・・・黄色のガナーザクウォーリアと、紫のザクウォーリアだ」
名指しされた、かつての同僚で今は部下である二人に。
実践演習で母艦ボルテールから宇宙に出ていたディアッカたちは、突然のプロヴィデンスガンダム登場に取るべき行動を決めかねていた。
先の大戦で戦線に出なかったパイロットたちは、慌てふためいて奇声を上げている。
ラスティとてこうして実物を見るのは初めてで、太陽を背負ったかのような外装の機体に口笛を鳴らす。
ディアッカは眉を顰め、いつでもトリガーを引けるように指を構えていた。
そんな中、ブリッジから隊長であるミゲルの声が通信を介して伝わる。
『ディアッカとラスティを残し、全機帰艦しろ』
『何で僕たちは残されるわけ?』
『ご指名なんだよ、ラスティ』
答えるミゲルが苦笑いを浮かべているのが、通信だけでも分かる。
『相手はプロヴィデンスガンダム。2対1の模擬演習だ。万が一勝てたら好きなもの奢ってやるぜ』
『誰だよ、パイロットは』
『俺らの元同僚だ。イザークでもニコルでもアスランでもない』
『ってことは・・・・・・っ』
『ご名答、ディアッカ』
肯定の答えに正解してしまったディアッカと、それを聞いていたラスティの顔色が変わる。
げぇ、という悲壮な声がブリッジに広がり、ミゲルは健闘を祈るようにひらひらと手を振った。
『の奴、機嫌最悪だから気をつけろよー』
『『エールになってねぇよっ!』』
余分なザクがいなくなり、カラーリングされた専用機体だけが二機残る。
黄色と紫のそれには笑みを浮かべた。
「恨むならホワイトデーを恨めよ」
そう言って、プロヴィデンスガンダムのドラグーンシステムを開放する。
この後、機体の活動時間の限界までディアッカとラスティは虐められ、はさっぱりとした気持ちで第三の戦場に向かった。
『ってば・・・・・・こんなにストレス溜めるくらいなら軍人のままでいた方が良かったんじゃないの・・・?』
『あいつ一人でプラントくらい守れるだろ・・・・・・』
力尽きて倒れこんだラスティとディアッカに、ミゲルは肩を竦めた。
その日、ミネルバは第二十一航路の定期巡回中だった。
少し前に二人の一般人―――誰かは明白だが、一応伏せておく―――が最も巨大なパイレーツである『R.I.S』を壊滅させたため、そういった輩と会うこともほとんどなく、順調で穏やかな航程だ。
クルーたちもそれぞれ仕事をこなしながら、笑いあい過ごしている。
そんな中、モニターに向かっていたメイリンは入ってきたシグナルに目を瞬いた。
認識コードと照らし合わせ、初めて表情に焦りを浮かばせる。
「か、艦長!」
声を上げれば、アーサーと話をしていたタリアが振り返る。
「前方距離3000、ザフト軍所属MSプロヴィデンスガンダムが接近してきています!」
「プロヴィデンスガンダムですって?」
つい数時間前のボルテールと同じように、伝説の機体の一つであるガンダムの登場にブリッジがざわめく。
「パイロットより回線が入っています!」
「繋いで」
モニターを接続する音が響く。
現れた顔はもはやミネルバでは知られた、ある意味で以前よりも著名になった人物のもので。
『こちら、ザフト軍所属MSプロヴィデンスガンダムパイロット、・クルーゼです。お久しぶりです。グラディス艦長。先日の航海では大変お世話になりました』
「お久しぶりです、クルーゼ秘書官。プロヴィデンスガンダムだなんて、何か緊急事態でも・・・・・・?」
『いいえ、紛う事無き私事です。着艦許可を頂けますか?』
「・・・・・・・・・どうぞ、許可します」
『ありがとうございます。それと申し訳ないのですが、メイリン・ホーク、ルナマリア・ホーク、レイ・ザ・バレルに用があるので彼らをドッグに呼んでおいて頂けますか?』
「・・・・・・失礼ですけど、そちらも私事?」
『ええ、紛う事無き指示です』
それでは、と言って回線を切ったにタリアは嘆息した。
プロヴィデンスガンダムを借り出しておいて『私事』と言い切るその神経の太さには感服する。
思わずデュランダルを連想してしまい、頭が痛くなった。こんな議員(候補)ばかりでプラントの明日は大丈夫なのかしら、と思って。
「メイリン、クルーゼ秘書官は一体何の用でいらしたのか分かる?」
ご指名を受けた一人である少女に尋ねれば、CICを操作していたメイリンはぱっと顔を上げた。
その頬には朱が走っていて、愛らしい表情にタリアは目を瞬く。
けれど返された答えには頭を抱えずにいられない。
「た、たぶん、ホワイトデーだから来てくれたんだと思います・・・・・・っ」
プラントの明日はどっちだ。
ドッグに収められたシルバーの機体に、技術スタッフの面々は目を輝かせた。
今では滅多にお目にかかることの出来なくなってしまったガンダムシリーズの、しかも核エネルギー搭載型である。
技術者ならば誰もが一度はメンテナンスしてみたいと思うことだろう。
加えて今は空き時間のクルーたちも、とプロヴィデンスガンダムを見にドッグへと集まってきていた。
「お姉ちゃん・・・私、すごいドキドキしてる・・・・・・」
「ふん。どうせあのクルーゼ秘書官のことだから碌でもない用に決まってるわよ」
「静かに。―――開くぞ」
レイの言葉を受けたかのように、プロヴィデンスガンダムのコクピットが開く。
機械音が静かなドッグに響き、現れたの姿に誰もが驚いたように目を見張った。
彼は当然着てると思われていたパイロットスーツではなく、黒に近いグレーストライプのカジュアルスーツを纏っていのだた。
やけに人口密度の高いドッグを見回し、は不機嫌そうに眉を顰めて口を開く。
「―――シン」
「えっ!?」
真っ先に名指しされ、キャットウォークにいたシンは裏返った声を上げる。
漆黒の瞳はそんな彼に問答無用で『来い』と命じていて、シンはおとなしく手すりを蹴った。
「な、何ですか?」
「これを構えていろ」
「ビデオカメラ?」
「そうだ。録画ボタンを押し忘れたら辺境の地に飛ばされると思え」
クールに言われ、シンは慌てて録画ボタンを押す。
小さな映像画面の中心にが来るように構えていると、画面を通して彼がデッキに向かって名を呼んだ。
「メイリン・ホーク、ルナマリア・ホーク、レイ・ザ・バレル、降りて来い」
「いや! 用があるならあんたが来なさいよ!」
「お、お姉ちゃん!」
相変わらずの反抗的な態度で、ルナマリアが反論する。
メイリンが止め、レイも諌めようとするが、はそれよりも早くコクピットを蹴った。
無重力の中で器用にスピードを調節し、ルナマリアの前で止まる。
目を見開いた彼女の顔を、シンはズームにしたカメラで捕らえた。
思わず身を引きかけたルナマリアの腕を掴み、は逃げることを許さない。
赤い瞳を覗き込んで、一言。
「恨むならクルーゼ国防委員長を恨め」
額に軽く唇を触れさせ、その腕に紙袋を押し付けると、はやはり軽い反動を付けてルナマリアから離れた。
「メイリン・ホーク」
「―――えっ? あ、はいっ!」
姉がキスされるシーンを目の前で見てしまい、呆然としていたメイリンは呼び声に慌てて振り向く。
見ればいつの間にかすぐ近くに来ていたが、ルナマリアに渡したのと同じ紙袋を、自分に向かって差し出していた。
「バレンタインの礼だ。受け取れ」
「えっ・・・・・・あ、ありがとうございます!」
「それと」
伸びてきた手が頬に触れ、メイリンは思わずぎゅっと目を閉じる。
自分でも熱くなっていると分かる頬に落とされた、柔らかな感触。
薄く目を開ければ離れていく美貌が見えて、まるで夢のようだとメイリンは感じた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・レイ・ザ・バレル」
ルナマリアやメイリンに向けたのと比べて格段に低い声が、レイの名を呼ぶ。
もしや、とディーノは思った。もしや、今の二人の前例からして、レイにも御礼が渡されるのだろうか。
そしてもしかしなくとも、やはりキスシーンが繰り広げられるのだろうか。
そこらへんの女性よりも美形であるとはいえ、もレイもれっきとした男だから、そういった光景を想像するのは難しい。
だけど見てみたい、とディーノは素直に好奇心を瞳に出して輝かせる。
「礼だ」
ぽいっと放られた紙袋は、届く前に無重力の空間を漂う。
レイは腕を伸ばしてそれを掴み取り、表情を出さない顔に今は笑みを浮かべて礼を述べる。
「ありがとうございます」
「それと」
の手が、レイの手首を掴む。
やっぱり!? とヨウランは奇声を上げかけ、クルーたちは息を詰める。
シンはごくりと唾を飲み込み、ビデオ画面を見つめた。
とレイは互いに見詰め合って、そして―――・・・・・・・・・。
がぶっ
はっきりとした噛み痕が、レイの手首に残った。
「・・・・・・相変わらず子供みたいな真似を」
たまたまエザリアに頼まれ、たまたまクルーゼの執務室を訪れ、たまたま生中継の映像を見てしまったイザークは、呆れたように感想を述べた。
座り心地の良い回転椅子に腰掛け、机に向かっていたクルーゼは心底楽しそうに笑う。
「可愛いだろう?」
「・・・・・・その質問には返答しかねます」
「可愛いのさ。は私の息子だからな」
くく、と笑い声を漏らすクルーゼと、肩を竦めるイザークは知っていた。
レイに『欲望のキス』を落としたが、彼に『何を望んでいるのか』を。
手摺りを蹴り、無重力の中を一回転してシンの手からビデオを奪うと、はそのままプロヴィデンスガンダムのコクピットに戻った。
放心していたルナマリアが我に返り、デッキから身を乗り出した叫ぶ。
「ちょっと・・・っ! 何すんのよ、あんた!」
「文句は文書にしたためてクルーゼ国防委員長まで送れ」
「なっ・・・!」
「じゃあな」
シンを蹴って追い出し、はコクピットを閉める。
フェイズシフト装甲を解いて起動したプロヴィデンスガンダムに一般クルーたちは歓声を上げ、技術スタッフたちは顔色を変えた。
プロヴィデンスガンダムは勝手にカタパルトを開き、移動していく。
『・クルーゼ。プロヴィデンスガンダム、出撃』
それだけ告げて勢いよく射出されていったプロヴィデンスガンダムに、ルナマリアは絶叫した。
「あいつ、一体何なのよぉっ!」
アーモリーワンに到着し、軍港にプロヴィデンスガンダムを寄せる。
ここでもやはり注目を集めたけれど、その視線に含まれている意味合いが今までと少し違う気がして、は僅かに眉を顰めた。
しかしすぐにその理由を悟り、深く深く溜息を吐き出す。
数人の護衛を引きつれ、出迎えるようにして両腕を広げている男がいたのだ。
「やぁ、よく来てくれたね。待っていたよ」
「・・・・・・・・・お忙しい時間を私などのために割いて下さりありがとうございます」
「いや何、可愛い娘のためだからね」
そう言って穏やかに笑うデュランダルには心底思った。
クルーゼといいアズラエルといい、要人を暇にしてはいけない―――と。
エレカは静かに夕暮れの街を走る。
見上げるスクリーンに映し出されている空は、東の方から紺色に染まり始めていた。
ミーアの後は自宅に帰ってフレイに渡すだけ。夕飯は無理だが今日中には余裕で間に合うだろう。
そう考え、は胸を撫で下ろした。
「さぁ、着いたよ」
運転手が外からドアを開け、デュランダルが降りるのに従っても車外に出る。
そして己の甘さを呪った。
きらきらと輝くステージ。
振られる団扇、揃いのロゴTシャツ。
野太い男が歓声を上げている。むしろ燃えている。萌えている。
振り向けばにこやかな笑顔を返され、は本気で泣きたくなった。
「コンサート後にミーアと会えるよう計らってある。席は最前列中央だ。楽しんでおいで」
手の平にチケット、そしてご丁寧にリップクリームとサングラスを握らされ、は男どもの湧き上がる会場へと放り込まれた。
『みなさーん! 今日は来てくれてありがとー!』
ステージ上で、ミーアがピンク色の髪をなびかせ、大きく手を振る。
それに合わせて上がる男たちの太い声を背中で聞きながら、は本気で頭痛を感じていた。
マイクを通じて拡大される声にも今は疲労しか感じない。
『このコンサートは、あなたのために歌いまーす!』
ばっちり目が合ってウィンクされる。
周囲の男どもはそれを自分のためにと解釈したらしく、一際大きな絶叫が起こる。
『大好きよ! 楽しんでいってね!』
そう言ったミーアの表情が、いつものステージより愛らしかったことに果たして何人が気づいただろうか。
ハイテンションで盛り上がっていく会場に、は辟易しながら座席に座り、ミーアの歌に耳を傾けた。
「様っ!」
コンサート終了直後の楽屋裏で、頬を紅潮させたミーアが思い切り抱きついてくる。
ただでさえ露出の多い衣装が、今は汗でしっとりとしている。
ミーアの身体のラインと柔らかさを押し付けられながらも、は動揺することなく賛辞を口にした。
「お久しぶりです、キャンベル嬢。素晴らしいコンサートにお招き下さりありがとうございました」
「楽しんで頂けましたか? 様、ずっと座っていらっしゃるんですもの。つまらないと思われてるんじゃないかと、私不安で」
「他の客と同じように団扇を振ったりあなたの名を叫んだりする俺など、不気味なだけですよ」
「あら! 私は嬉しいですわ」
ふふ、と軽やかに笑ってミーアが離れる。
そんな彼女にもつい苦笑を浮かべた。
デュランダルの計らいで近くにいるスタッフがビデオを回してくれているのを確認し、紙袋を差し出す。
「バレンタインデーの御礼です。どうぞお納め下さい」
「ありがとうございます。それで、私はどこにキスして頂けるのかしら?」
挑戦的に見上げてくるミーアに、は本気で頭が痛くなった。
養子ということで血の繋がりはないはずなのだか、ミーアとデュランダルは良く似ている。
その点ではまだ純粋な性格をしているレイは救いがあるのかもしれない。
「私としては『愛情のキス』がほしいのですけど?」
「・・・・・・申し訳ありません」
ミーアの手を取り、その細い指先に唇を触れさせる。
「俺の『愛情』が向かうのは、唯一つのカテゴリーですから」
の唇を指先で擽り、愛らしい顔を艶やかに染めさせ、ミーアは笑った。
「だからって、私も諦めませんわ」
違う形での『家族』を目指しますもの、と言った彼女には苦く笑うしかなかった。
アーモリーワンを出たは、フルスピードでプロヴィデンスガンダムを飛ばしていた。
腕時計の示す時刻は、すでに三月十四日も残すところ一時間半。
余裕でアプリリウス・ワンにある自宅へ帰れるはずだったのに、コンサートで余計な時間を取られてしまった。
それも今となってはデュランダルの策略な気がしてならない。
自分の今の状況を想像して楽しんでいるに違いないのだ。デュランダルと、アズラエルと、クルーゼは。
「・・・・・・・・・何故俺は女に生まれてこなかったんだ・・・」
そうすればこんな苦労はせずとも済んだのに。
プラント本国へと戻る間中ずっと、は愚痴を呟き続けた。
ホワイトデーは残りあとわずか。
ちらり、とフレイは壁にかけてある時計を見た。
針はすでに十一時半をさしている。ホワイトデーも後三十分で終わってしまう。
だけどそれでは意味がないのだ。まだ、自分は彼にお返しをもらっていないのだから。
「心配することはないよ、フレイ。は必ず今日中に帰ってくる」
ナイトガウンに身を包み、向かいのソファーで楽しげに通信を開いていたクルーゼが、安心させるように微笑みかける。
父のその言葉にフレイも躊躇いながら頷いた。
彼女とてのことを信じていないわけではない。むしろ世界で一番信じていると言ってもいいだろう。
それでも不安にならずにはいられないのだ。この恋にはライバルがあまりに多いから。
「やっぱり、朝どんなに早くても見送ればよかった・・・・・・」
「は逆に無理させたくなかったんだろうな。だから静かに出て行った」
朝の三時に。
そう続けて笑うクルーゼを、フレイはほんの少しだけ恨めしく思った。
じっと睨むと逆に肩を竦められ、まるで当然のようにさらりと言われる。
「恋愛は全員に平等でないとつまらないだろう?」
まぁ、ギルバートやムルタがするのと同じくらいのプッシュはするつもりだがね。
続けられた言葉にフレイが眉を顰めると同時に、テーブルの上に置かれていた通信がピピッと音を立てる。
「ほら、もうすぐが帰ってくるぞ」
その声に立ち上がり、フレイは玄関へと走った。
プロヴィデンスガンダムを元の保管庫に戻し、面倒な手続きをすべてこなし、エレカを駆ってが家に着いた頃には、もはやホワイトデーも残すところ10分になっていた。
「フレイ!」
自棄になっている己に逆らうことなくドアを蹴り開ければ、すでにそこには家族であり、最後のメインでもあるフレイが待ち構えていて。
「! お帰りなさい!」
「父上は!?」
「え? あ、えっとリビングに」
常にない勢いで詰め寄られて答えるフレイの後ろから、クルーゼは悠々と現れる。
「お帰り、。さすが私の息子だな。よく間に合った」
「まったくですよ!」
乱暴に返事し、は紙袋から取り上げたビデオカメラを思い切り投げつけた。
それを片手で受け止め、クルーゼは笑いながら録画ボタンを押す。
乱れたスーツの襟を正し、ネクタイを直して手櫛で髪を撫でつけ、は息を吐き出した。
そして、最後の紙袋をフレイへと差し出す。
「バレンタインの御礼。遅くなって悪かった」
「・・・・・・っ!」
じんわりと瞳に涙が浮かぶ。受け取るよりも先にフレイはに抱きついた。
スーツの胸をこぶしで叩く。
「遅いわよっ! 私だけもらえないんじゃないかと思ったじゃない・・・!」
「悪かった。まさかこんなに遅くなるとは思わなかった」
「バカっ!」
おとなしく叩かれながらも、は腕時計で時間を確認して。
「フレイ」
見上げた彼女の頬を包み、その唇の端に、ちょんっと口付ける。
愛情=家族愛ではあったが、これにてすべてコンプリート。
のホワイトデーは、どうにか無事に終了したのだった。
余談。
深夜未明の暗い室内で、クルーゼはパソコンへと向かっていた。
「・・・・・・よし」
編集したビデオの出来に満足げに頷いて、メールを起動させる。
送信先には『本日のメイン』全員と、曰く自分と同類の二人。
題名に『ラウ・ル・クルーゼ』と己の名を入れ、本文にはただ一言だけ打ち込んだ。
『ホワイトデーの素敵な思い出はいかがかな?』
送信ボタンを押すと、メールはすぐに配布される。
おそらく朝一のメールチェックで返されるだろう返事を想像し、唇を緩ませた。
「さて・・・・・・誰が一番高く買ってくれるかな?」
金がないなら代わりのものでもいいが。
そう呟いて、クルーゼは就寝するべくスタンドライトの明かりを消した。
部屋は闇に包まれ、静寂が訪れる。
こうしてホワイトデーは終了したのだった。
2005年3月14日