決戦前夜、ナイトガウンを身にまとったクルーゼは鷹揚に告げた。
「明日は一日、最高評議会議会所にいようと思う」
睨むことで反抗の意を示し、はただ一言尋ねた。

「・・・・・・楽しいですか、父上」
「あぁ、とっても」

振り回されるこっちはいい迷惑だ、と心中で思うに構わず。
寝て朝になれば、バレンタインデーは否応無しに到来する。





St. Valentine's day





「おはよう、!」
明るい声と軽い衝撃に、は閉じていた瞼を開いた。
視界映る天井を背景にして、フレイがにこにこと笑っている。
重みからいって圧し掛かられているのだろう。
気配には気づいていた。だけどそれがフレイのものだと分かっていたから眠り続けていたのだ。
家族というカテゴリーを再認識し、は自らの上にいるフレイを見上げる。
おはよう、と挨拶しようと唇を開くが、それよりも先に伸びてきた指が押し当てられ、言葉を遮ぎられた。
ひんやりとした冷たい感触に何かと思えば、次には程よい甘さが口の中に広がる。
チョコレートだと気づいて視線を上げると、フレイは頬をわずかに赤く染めていて。
「・・・・・・本命チョコだからね?」
言われて、そういえば今日はバレンタインだったと思い出す。
連鎖的に昨夜クルーゼに言われたことも思い出し内心で眉を顰めるが、それはフレイが悪いわけではないので表情に出さない。
代わりに差し出された二つ目の生チョコを銜え、目の前の指についているココアを舐め取った。
「ありがとう、フレイ」
上半身を起こせば、乗っていたフレイが転がり落ちる。
その顔が髪と同じくらい真っ赤になっていたけれど、とりあえずは触れないことにしておいた。



「さぁ、。本日のモットーは?」
「・・・・・・『女性に優しく、くれるものは笑顔で受け取れ、決して逃げない』」
「それでこそ私の息子だ。では行こうか、いざ最高評議会議会所へ」
運転手の走らせるエレカの中で、昨日の教えを復唱したは今一度問わずにいられなかった。
「・・・・・・・・・楽しいですか、父上」
「あぁ、とっても」
返される言葉と笑顔は昨夜と同じ。
むしろ楽しみを直前に控えた子供が持つような雰囲気に、は溜息を吐いて腹を括った。
バレンタインというのはこういう行事だっただろうか、と心底菓子会社を恨みながら。



は女性が苦手だった。
それはとても控えめな表現で、はっきりと言えば彼は女性が嫌いだった。
共に暮らしているフレイのおかげでどうにか慣れてきたけれど、今でも機嫌が悪いと知り合いの女性ならば無視するくらいの筋金入りで、外面がいいからこそ内実は顕著だった。
だからこそ、そんなにとって停戦を経て平和になったバレンタインとは恐ろしい行事だった。
・クルーゼ様、よろしければこれを・・・」
「クルーゼ秘書官、どうぞお受け取り下さい」
「あの、これっ!」
歩く度に荷物が増えていく。比例しての機嫌の悪さも増していき、クルーゼはくつくつと笑った。
じろりと睨まれても可愛い息子としか思えず、むしろ自慢げに口元を緩める。
「さすがだな、。ご令嬢に議員秘書、名も知らぬ少女たちの心まで捉えるとは」
「捉えたくて捉えているわけじゃありません」
「そろそろ婚約者でも決めるべきかな。そうすると妻となる女性は嫉妬の嵐を受けるだろうが、それくらいでなければ君の妻は務まらないだろう」
「父上が結婚したら、俺も考えますよ」
拗ねた口調で言い、もらったプレゼントを紙袋へと移す。
クルーゼはもう一度をからかおうとしたが、ざわりという周囲のざわめきに口を閉ざした。
振り向けば業務開始時間直前ということで賑わっていた議会所の玄関ホールに、外から一人の少女が入ってきていた。
ピンク色の髪と、華やかなドレス。
自然と割れる人波にクルーゼは小さく笑った。
「来たぞ、。メインの一人だ」
何であなたはそんなに楽しそうなんですか。
はそう思ったが口にはせず、もう一度本日のモットーを心の中で繰り返した。

様!」
「おはようございます、クライン代表」
目の前のラクスは、プラントだけでなく世界にとって大きな意味を持つクライン派の代表。
だからこそ常に礼儀正しく適切な態度で接する。それがにとっての基本だ。
「おはようございます、様。お会いできて嬉しいですわ」
にこりと微笑むラクスの笑顔は常よりも光り輝いている。
ピンク色の髪も艶が三割増しで、ドレスもおそらくおろしたての新しいもの。
気合が入ってるな、とクルーゼは検分する。さすが乙女は強い、とも思いながら。
どんな光景を繰り広げてくれるのだろうと見守っていると、アスランが静かに告げた。
「・・・・・・ラクス、後一分です」
その声がやけに疲れていて、クルーゼは思わず仮面の下で笑った。

様、本日は何の日だかご存知でしょうか? 様のことですから他の女性にももらっていらっしゃるでしょうし、お気づきですよね。バレンタインということで、私も用意したのでよろしければ受け取って頂けますか? フォンダンショコラですの。食べるときには少しだけ温めて下さいませ。そうすると中のチョコレートが溶けて美味しくなりますから。本当は今日一日お休みして様の傍にいたかったのですけれど、やはりそれは無理だとアスランに言われてしまいまして。本当に残念ですわ。ですけれどこうして様にお会いできてチョコレートもお渡しできましたもの、十分だと思わなくてはいけませんわよね。今日は無理かもしれませんけれど、明日通信してもよろしいでしょうか? 様の声をお聞きしたいのです。その際にフォンダンショコラの感想もお聞きしたいのですけれど・・・・・・もしお嫌いでしたら無理なさらないで下さいね。ショコラは二の次で、様に私の気持ちをお伝えすることが一番ですもの。こうしてお会いできて、様とお話できるだけで私は幸せですわ」
「・・・・・・ラクス、時間です」
「それでは様、今日は失礼いたします。またお会いできる日を楽しみにしておりますわ。どうかお体にはお気をつけ下さいませ」

怒涛の勢いで喋り倒し、きっかり一分で去っていく。
残されたのは変に沈黙した議会所玄関ホールと、ピンク色の包装紙でラッピングされたプレゼント。
ふむ、とクルーゼは顎に手をやり、感心したように呟いて。
「分刻みのスケジュールでも直に来るとは・・・・・・さすがラクス・クラインだな」
この数分でひどく体力を削ったらしい自分の息子に、楽しそうに笑った。



議会所にある執務室で午前の仕事を終え、クルーゼは上着を手に立ち上がる。
「さて、今日の昼食は外へ食べに行こうか」
ずっと議会所にいては、この建物に入れない女性たちが困るだろう。
あっさりとそう告げて部屋を出て行く後ろ姿を、は睨みつけながらついていく。
ここで嫌だと述べて拒否することも可能なのだが、生憎とはそう出来ていない。
むしろクルーゼに全面服従の性質は戦中から変わっていないし、変える気もない。
そんな自分を今は憎憎しく思いながらも、付き従って議会所を出る。
そして、すぐさま後悔した。
「あっ・・・・・・クルーゼ秘書官!」
駆けてくる少女に足を止めたのはクルーゼが先だった。
その背中にぶつかる寸前でも立ち止まる。この際だからぶつかって倒れたいと思いながら。
しかしクルーゼの手前ということもあり、必死で本日のモットーを自分に言い聞かせた。
振り向いて、笑顔はさすがに浮かべられないけれど、言葉は投げかける。
「・・・・・・・・・・こんにちは、メイリン嬢」
「こ、こんにちは、クルーゼ秘書官」
ピンク色を帯びた赤い髪を二つに結わいている少女は、はにかむように笑顔を見せる。
こういった初々しい表情もいいものだ、とクルーゼは眺めた。
そして彼女の数歩後ろで眉を顰めていかにも不機嫌そうなルナマリアに、仮面の下で小さく笑う。
「あのっ・・・・・・これ、チョコレートのワッフルなんですけど・・・・・・受け取って下さい!」
「ありがとう」
棒読みだぞ、、とクルーゼは無言で窘める。
それを感じ取ったのか、は珍しく自分から女性に話しかけた。
「ミネルバはもうすぐ地球へ親善交流に行くと聞いたが」
「は、はい。二週間後に・・・・・・」
「停戦したとはいえ確執はまだ残っている。気をつけて行け」
「はいっ!」
頬に朱を散らせてメイリンは嬉しそうに頷く。
内実は違うが表面的にはほのぼのとした光景に、ルナマリアの表情はさらに険しくなって、クルーゼは思わず声に出して笑った。
さりげなく隣に回り、彼女にだけ聞こえる声で話しかける。
「君は、にチョコは渡さないのかな?」
「―――っ」
急に声をかけられて驚いたものの、ルナマリアはすぐに仏頂面に戻った。
「・・・・・・渡す理由がありませんから」
「ほう。では何故、敵を睨むかのようにと君の妹を見つめているのかね?」
「し、知りません! そんなのっ!」
荒げられた声に、会話を交わしていたメイリンとも振り返る。
罰が悪そうに二人から視線を逸らしたルナマリアの肩を叩き、クルーゼは楽しそうに囁いた。
「まぁ、14日はあと半日も残っている。ゆっくりと考えたまえ」
父上、それは悪役の台詞です。
メイリンの相手をしながらも耳聡く彼らの会話を聞いていたは、そう零した。



「楽しいですか、父上」
「あぁ、とっても」
「それは良かった。あなたに楽しんで頂ければ俺はそれだけで幸せです。えぇそりゃもう幸せですからどうなったって構いませんよ。父上がそれを望むのなら」
、バレンタインデーはまだ半日も残っているぞ。メインの一つもまだだ。頑張りたまえ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
父親に逆らえない己を、は少しだけ恨んだ。



レストランで昼食をとり議会所へ戻ると、やはり先ほどのメイリンのように待ち伏せされていた。
どこの令嬢だか知らないが、とりあえずお礼を言って受け取る。礼を言っただけ褒めてもらいたいとは思う。
むしろ女性に囲まれてバレンタインを過ごさなくてはならないのなら、潔く結婚でもした方がマシだ。
多数よりは一人を相手にする方がいい。誰でもいいから結婚してくれ。
平時のからは考えられない思考をしているのは、短い時間に女性と接しすぎたからだろう。
せっかく苦手にまで変化していた意識メーターが、再び嫌いへと戻りかけていた。
据わった目で書類を処理していたが、コンコンとドアをノックする音に腰を上げる。
「はい」
背中越しににやりとクルーゼが笑ったのが分かったのは、にとって不幸なことだったかもしれない。

ドアを開けた瞬間、ぽふっと抱きついてきた存在。
ここが戦場ならば首に手刀を落として、頭を撃ち抜いていたかもしれない。
けれどここは議会所で、しかもクルーゼ専用の執務室で。
は盛大な溜息を吐き出しつつ、正面へと顔を向けた。
「ようこそお出で下さいました、アズラエル理事。バジルール補佐官。アウル、スティング・・・・・・それに、ステラも」
「お久しぶりですねぇ。お邪魔させてもらいますよ」
にっこりとどこかクルーゼにも似た笑顔を浮かべて、アズラエルは言った。
その後ろで苦い顔をしているバジルールも、肩を竦めているアウルとスティングも。
ぎゅっと自分に抱きついているステラも、とりあえずは部屋の中へと誘った。

クルーゼとアズラエルは停戦後、私的な関係を築いていた。
地球連合産業理事の任に就いているアズラエルはブルーコスモスの盟主だったが、それも先の大戦が終結すると同時に散会した。
今はナチュラルの一人として、地球とプラントの和平を担っている。
バジルールはそんな彼の補佐官であり、ステラ・アウル・スティングは護衛だ。
「それで、今日はどのようなご用件で?」
が淹れた紅茶を優雅に口にしながら、クルーゼは含み笑う。
向かいのソファーに座っているアズラエルも同じように笑って、肩を竦めた。
「いえ、僕は特にないんですけれどね。ステラがどうしても来たいと言うので仕方なく」
たかが部下一人の希望をそう易々と叶えるな。はそう思ったが何も言わず、空の盆を手に壁際へと控えた。
同じように立っていたステラが静かに寄ってきて、ちょこんと隣に並ぶ。
微笑ましいその様子を眺め、クルーゼとアズラエルはおやおや、とまるで保護者のように笑った。
「ほら、ステラ。早く渡しなさい」
こくんと頷いて、手に持っていた紙袋をゆっくりと持ち上げてへと差し出す。
チョコレートにしては大きなその袋に、は内心で首を傾げつつ受け取った。
「ありがとう、ステラ」
微かに目元を和らげれば、それを敏感に感じ取ったらしいステラもにっこりと笑って再び抱きついてくる。
これが家族であるフレイや、立場あるラクスやカガリ以外の存在ならば容赦なく引き離すが、はステラのことをそう嫌いじゃなかったのでそのままにしておいた。
ステラはあまり喋らないし、基本的におとなしい。
女性特有のかしましさが嫌いなにとっては比較的楽なタイプだ。
「それ、ケーキなんだぜ。ステラが作った」
スティングの説明に、は彼と手の中の紙袋を見比べる。
アウルもひらひらと手を振って辟易したように続けた。
「そーそー。こいつ止めときゃいいのに手作りするって聞かなくてさ。最初なんかスポンジが膨らむどころか固まりもしなかったんだぜ」
「チョコも湯銭にかけるはずなのに熱湯の中に突っ込んでたしな」
「塩と砂糖だって間違えたし、すっげーお約束」
連ねられた言葉を聞いているうちに、紙袋の中身が兵器に摩り替わっていくのをは感じる。
けれどアウルとスティングはその心配を明るく笑い飛ばした。
「大丈夫。俺たちが味見した」
「進化の過程を見せてやりたかったぜ。ステラ、マジで努力したんだから」
「・・・・・・そうか」
太鼓判を押されて兵器からケーキへと戻った紙袋に安堵し、は視線をステラへと戻す。
抱きついたままのふんわりとした金髪を撫でて、やはりこれまた希少価値の笑顔を少しだけ浮かべて。
「ありがとう、ステラ」
見上げてくる彼女は、にとって女性というよりもペット的な印象があった。



ペットというのは癒しの効果があるらしく、午前中の疲労を半分くらい回復したは、アズラエルたちも去り、クルーゼも会議に出向いてしまったため執務室で一人仕事をこなしていた。
今後の予定をまとめてスケジュールを作り、議場で必要になりそうなデータをすべて並び挙げる。
それらを揃えようと資料室へ向かった途中で、は同類を見つけた。
それは過去に同じ隊に所属していたという意味で、また今は同じように議員秘書をしているという意味で。
そしてまさに現状が同じ、確かな同類だった。
か・・・・・・」
疲れた表情で話しかけてくるイザークに、今日の自分はこのように見えているのかもしれない、とは思う。
そうと分かってしまえば何も言うことはない。
「・・・・・・今日だけの辛抱だ、イザーク」
「分かっている。分かってはいるが・・・・・・っ!」
「耐えろ。それしか道はない」
戦場にいるかのような切り詰められた会話だが、二人を切迫しているのはチョコレートの山だった。
が執務室に置いているように、今イザークが両手で抱えている紙袋の中身のように。
雪崩を起こしそうなそれらは女性に人気がある証といえば響きはいいが、二人にとっては迷惑以外の何物でもなかった。
「今日ばかりは停戦を恨むぞ・・・・・・」
「まったくだ」
最前線で戦っていたMSパイロットにあるまじき会話をしていたとき、新たな嵐は訪れた。

様っ!」
軽やかな声はラクスに似ているが、けれど彼女ではない。
どちらかといえばラクスよりも溌剌としていて可愛らしい感のある少女を、は本日のモットーを自らに言い聞かせて振り返る。
もはや何度己を言い聞かせているのか、本人にも分かっていないだろう。
階段を上ってくるのは露出が少し多目のドレスを着たピンク色の髪の少女。
その後ろにはザフトの赤服に身を包んだ金髪の少年の姿も見え、は表情に出して眉を顰めた。
「こんにちは、様!」
「・・・・・・こんにちは、キャンベル嬢」
「こちらにいらっしゃるってお父様に聞いたの。会えて嬉しい!」
ちくしょうあの狐め余計なことしやがっててめぇも俺に余計な労力を割かせる気か、とが思ったかどうかは定かではないが、少なくとも心中でギルバート・デュランダルに文句を連ねたことは確かである。
これまたデュランダルの養い子であるレイも、ザフト式の敬礼でとイザークに挨拶した。
様、私、チョコレートサブレを作ってきたんです。はい、どうぞ」
レースペーパーで作られたパッケージを差し出されたを、イザークは哀れみを含んだ目で眺める。
即座に「おまえも似たようなものだろうが」という眼差しを返され、「互いに苦労するな・・・」という会話を無言でなしたあたりに、戦時中に培った彼らの連係プレーは発揮されていた。
「・・・・・・ありがとうございます、キャンベル嬢」
「いいえ、こちらこそ受け取って下さってありがとうございます! ほら、レイも早く渡したら?」
「「「え」」」
三つ重なった声は、ミーアを除く男三人のものだった。
の眉間には皺が刻まれ、イザークは純粋に驚きを見せ、レイは気まずそうな顔でミーアを振り返る。
「レイも様に渡すためにオランジェットを作ったんです。よろしければ受け取って下さいませんか?」
ミーアはそう言うが、ははっきり言って受け取りたくなかった。
バレンタインに男からチョコレートを渡されることは別にどうも思わない。だが、その相手がレイ・ザ・バレルと来れば話は別だ。
はレイが嫌いだった。珍しく態度に表すくらいに、彼はレイを拒んでいた。
それを知っていても慕ってしまうくらいにレイはのことを尊敬しているが、悲しくも愛は一方通行である。
あからさまに『嫌だ』と全身で表したに、レイは長身の背をかすかに丸めてうなだれた。
綺麗な金髪すらくすんだように見え、イザークはこめかみを押さえつつ溜息を吐き出す。
・・・・・・いい加減に子供じみた真似はやめろ」
「おまえに言われる理由はない」
「デュランダル議長とクルーゼ議員の関係を悪くする気か?」
「公私混同するような人じゃないだろう、二人とも」
言葉ではそう言いつつも、クルーゼにとって不利になることは欠片でもしたくない。
故には嫌々ながらもレイの持っていた透明のビンを受け取る。
店頭で売っているのと変わらない形の良いチョコレートがビンの中で揺れ、レイの整った顔も明るさを帯びて静かに笑む。
「・・・・・・ありがとうございます」
お礼を言ったのはレイだったが、とりあえず彼はとても嬉しそうだった。



帰りのエレカの中で、ぐったりとしている息子を眺めクルーゼは微笑する。
彼にとって息子の人気ぶりは見ていてとても楽しいものだ。
いずれはラクスとミーアを両手にはべらせている姿を見てみたい、とにとってはとんでもないことを考える。
そしてふと、首を傾げた。
今日はそれこそ数え切れないほどのチョコレートを受け取ったけれど、クルーゼの想定する『メイン』の一つはまだ現れていない。
「・・・・・・戦線離脱か? オーブ代表は」
小さな呟きにもピクリと反応してしまったは、やはり不幸だった。
そしてそれは自宅に帰っても続いた。

「だーかーらー! はまだ帰ってないって言ってるでしょ!? もうっしつこいわねぇ!」
玄関の扉を開けるなり聞こえてきた声に、クルーゼは笑い、は踵を返した。
けれど本日のモットーを思い出したのか、二歩目でその足を止める。
自分の命令を健気に守り続ける息子に、クルーゼは思わず哀れみの視線を向けた。
「第一そんなの自分が悪いんでしょ!? 自業自得じゃない! 泣くんじゃないわよっ!」
「フレイ、ただいま」
「あ、お帰りなさい、お義父様。は?」
「もちろんいるとも」
「ありがとう。―――分かったわよ、代わってあげる。の部屋の方に繋ぐからその間に顔洗ってきなさいよ。涙ですごいことになってるわよ?」
てきぱきと指示し、ボタンを押して通信を切り替える。
リビングの入り口で壁にもたれかかるがごとく立っているを振り返り、フレイは告げた。
「お帰りなさい、。カガリ・ユラ・アスハから通信が入ってるの。部屋に繋いでおいたから」
メインだ、と呟くクルーゼの横で、は座り込みそうになる自分を感じた。

自室のドアを開けば、テーブルの上に山のように盛られている色とりどりのプレゼントが目に入り、は舌打ちした。
手に持っていた紙袋も乱暴にベッドの上へ投げ捨て、ネクタイを外そうとしたがチカチカと光っている通信ランプにそれも止める。
溜息を一つ吐き出して、映像回線のボタンを押した。
画面に現れた相手に、どうにか言葉を綴る。
「・・・・・・こんばんは、アスハ代表」
『な、名前で呼べって言ってるだろっ! 何でおまえはいつもそう・・・・・・!』
「貴女はオーブの国家元首ですから、失礼な真似は出来ません。どうかご容赦下さい」
謝罪しつつ、は心中で本日最大級の溜息を吐いた。
画面の向こうにいるカガリは、色白の頬を赤く染め、目元を真っ赤に腫らせている。
金色の髪も乱れていて、いかにも泣いていましたという風体に疲れが増すのをは感じた。
バレンタインの締めがこれか、と思いながら。
『わ、私・・・・・・っ・・・おまえに謝らなくちゃいけないんだ・・・』
カガリの映っている画面の後方に、キラが入り込んできた。
大きな画用紙のようなものを抱えてこちらを向きながら、彼は一枚目のそれをめくる。
た、という文字をの目は捉えた。
『私・・・・・・バレンタインに、おまえに何か贈りたくて・・・・・・っ』

『最初はトリュフを作ろうとしたんだ! なのに何故かキッチンが爆発してしまって』

『キラに手伝ってもらってもう一度作ったんだけど、それもうまくいかなくて!』

『と、溶かして固めるだけなら出来ると思ったのに』

『何でかうまくいかないんだ! 本の通りにやってるはずなのに!』

『だから結局・・・・・・市販のチョコにデコレーションをするくらいしか・・・っ』

『期限ぎりぎりまでやってたから、気づいたら14日中に届けることが出来なくなっていて!』

『キラに頼んだんだけどフリーダムでも間に合わないって言うし! だから・・・チョコが届くのは明日になってしまうんだ・・・・・・っ! バレンタインに間に合わなきゃ意味がないのに! それなのに!』
ボロボロと涙を流しながらカガリは言うが、はそれよりも気になって仕方がなかった。
市販のチョコレートにデコレーションをしただけなのに、何故キラはそれを「たぶん食べられる」などと言うのだ。市販品なら「絶対食べられる」と言うのが普通ではないのか。それともカガリの「デコレーション」というのはそれほどまでに壊滅的なものなのか?
そして一番の謎は、泣きじゃくるカガリの後ろでふらりと倒れたキラだ。待て、担架で運ばれる前に答えろ。それはカガリのチョコレートを食べた所為ではないだろうな?
冷や汗を背中に感じつつ、は努めて冷静な声音を搾り出す。
それが棒読みになってしまったのは許してほしい。
「どうかお気になさらないで下さい、アスハ代表。自分はその気持ちだけで十分です」
『・・・・・・・・・』
「アスハ代表もお忙しい毎日でお疲れでしょう。どうかご無理はなさらず、ゆっくりとお休み下さい。その方が自分も嬉しいです」
『そ、そうか?』
不思議そうに尋ねてくるカガリに、はしっかりと頷く。
料理せずに大人しくしていてくれた方が何倍も嬉しい。だからそうしてくれ。そんな願いを山ほど込めて、は本日の仕上げとばかりに笑ってみせた。
「ありがとうございます、アスハ代表」
明日届くらしいチョコレートはどうしてくれよう、なんて考えながら。



山積みにされたプレゼントの中から、知り合いの名が書いてあるものだけ拾い上げる。
ニコルからはカフス、オルガ・シャニ・クロトからは何故か花束が届いていた。
「・・・・・・病院からよく送る」
呆れ半分で感心し、スーツからラフな私服に着替えリビングへと向かう。
そこではクルーゼがソファーに座り、フレイからもらったらしい生チョコを食べていた。
、それも君宛だ」
視線で示された先には赤い紙袋が一つあり、ロゴからそれが有名店のチョコレートであることが分かる。
カードなどは入っておらず差出人が不明では眉を顰めたが、それを見越していたクルーゼは楽しげに笑った。
「何、警戒することはない。つい今し方届いた不器用な少女からだよ」
「それは・・・・・・」
「お待たせ、お義父様。はいどうぞ」
キッチンから戻ってきたフレイが紅茶を配る。
言葉を遮られたはクルーゼの浮かべている笑みを見て、追求することを止めた。
こうなってしまった父の口を割らせるのは難しい。長年の経験からそれを分かっているため、大人しく引き下がる。
軽く溜息をつきつつ、はいつもの十倍近く疲れ果てた体をソファーに沈めた。
「はい、
「ありがとう、フレイ」
隣に座ったフレイが柔らかな笑顔で紅茶を差し出してきたので、それを受け取った。
温かな湯気と優しい香りが心に沁みる。不覚にも何故か泣き出しそうになり、額に手をやってそれを堪えた。
「・・・・・・・・・疲れた・・・」
ぽつりと零れた本音が、紅茶の表面を揺らす。
のバレンタインデーはこうして幕を下ろした。





余談。
「それで、。ホワイトデーには何をお返しするのかね?」
「あ! 私、と一日デートしたい!」
「ではそれを少なくともフレイとクライン代表とホーク姉妹とステラ・ルーシェとキャンベル嬢とレイ・ザ・バレルとアスハ代表としなくてはならないな。気にすることはない、有給は両手に余るほど残っている」
「映画見てショッピング! お礼として手も繋いでね?」
「記念写真も必須だな」

ホワイトデーはどこかに雲隠れしよう。
は必死に己をそう励ました。

自分はどこまでもクルーゼについていく主義からして逃亡は出来ないと分かっているけれども、はせめて時が止まるのを必死で願うのだった。





2005年2月14日