クリスマスイブ当日。
ついに・クルーゼは逃亡した。
Nice to meet you, My Christmas!
天候を自在に操ることの出来るシステムは、こんなときにこれ以上ないほどの威力を発揮する。
12月24日の聖夜に雪を降らせ、しかもそれは積もることのない水を大目に含んだもの。
楽しげに空を見上げてはうっとりとしている恋人たちが、これほどまでに疎ましい存在だとは。忌々しい事実には人目を憚ることなく舌打ちした。
コートに降ってはじんわりと湿らせていく白い塊を、それはそれは嫌そうに払いのける。
冷ややかな目元はサングラスに隠されているが、それでも彼の醸し出す玲瓏な雰囲気までは隠せていない。恋人と腕を組んでいる女性たちが頬を染めながらチラチラと見てくるが、それも一瞥に付した。
先ほどから着信を鳴らし続けている携帯の電源を切る。出れば自分がどうなるかは判っているから、出たくない。出るわけにはいかない。
そう決めているのだけれど、心配事が一つあった。
「・・・・・・・・・父上に嫌われたらどうしよう・・・・・・」
それだけが心配で、今も心臓の鼓動を速めている。一晩これが続くなら、いっそのこと覚悟を決めて帰った方がいいのかもしれない。
そうすればきっと、嫌われなくて済む。赤と白に塗装されたプロヴィデンスガンダムに乗り、白のファーがついた赤い服と帽子を身につけ、大きな袋を背負ってプレゼントを配り回り、その数だけ災厄を受け取ればきっとそれで済むのだ。
クルーゼに嫌われるくらいなら、そちら方がマシかもしれない。だけどいまいち決心がつかない。
過去のイベントにおける苦労が思い浮かんでは消えず脳裏に蓄積されていく。心なしか身体まで重くなった気がして、は堪えきれずその場に座り込んだ。
街行く人は誰も少なからず楽しそうなのに、何で自分だけこんなに疲弊しているのだろう。
ぼんやりとそう考えていたとき、視界が白一色に染まった。
何かと思って顔を上げれば。
「・・・・・・具合が悪いの? 大丈夫?」
どこかで見たことのあるような少女が、心配そうに自分を見下ろしていた。
肩を越す、深い茶色の髪。左右の手前を少し取り、赤いゴムで結んでいる。
目鼻立ちのはっきりとした容貌は利発さを感じさせ、あと数年もすればきっとかなりの美人になろだろう。
そんな少女が何者だか、は一瞬にして見抜いた。似ているのだ、全体の雰囲気が。
そういえば彼の家族は先の大戦でオーブの家を失い、今はどこだかのコロニーに住んでいるとか。記憶の中のデータを漁り、は目の前の少女の顔をインプットした。
じっと見てくる相手にもどかしくなったのか、少女はもう一度聞いてくる。
「ねぇ、大丈夫? どこか痛いの? 誰か呼ぶ?」
「・・・・・・いや、必要ない」
「本当に平気?」
幼い顔に頷いて立ち上がろうとすると、小さな手が前に出てきた。辿れば白のダッフルコートに行き着いて、まさかこの手を取れと言うのか、と心中で眉を顰める。
いつまでも引っ込める様子がないのに溜息を吐き出し、極力重さをかけないように指先だけ触れさせ、立ち上がった。
そうすれば、少女がいかに小さいかが判る。データでは11歳とあったけれど、そのままの通りの肩ほどにも身長がなかった。
「どうしてここにいる? シン・アスカの乗るミネルバはセプテンベル市に停泊しているはずだが」
「えっ・・・・・・」
ぱちりと、少女が大きな目を瞬いた。
「お兄ちゃんを知ってるの!?」
「待ち合わせしてるのか? どこで?」
「え、えっと、ニューハイウェッジの第11ゲート」
「・・・・・・・・・セプテンベル市だな」
「え? ここがそうなんじゃないの?」
「ここはマイウス市だ」
「え?」
きょとんとした少女の顔に、は嫌な予感がした。先ほど感じた疲労がまたどこかから戻ってきたかのような。
「・・・・・・ええ?」
どこにいても面倒ごとに巻き込まれる宿命なのかと、は自身を疑わずにはいられなかった。
自身の携帯は電源を入れるのが恐ろしいので、少女のピンク色の携帯を使う。
ストラップがかつて見たシンのものと同じで、は思わず肩を竦めた。麗しい兄妹愛だと心にもないことを思いながら、ワンコールで出た相手にシスター・コンプレックスのレッテルを貼り付ける。
『マユーっ! 今どこにいるんだよ!? 道に迷ってるのか!? それとも怪しい奴に連れ去られたのかっ!?』
非常にうるさい。は思わず片耳を塞ぐが、少女―――マユ・アスカは慣れた様に携帯を反転させた。通話口の位置はそのままに、聞き取る方だけを下に回して。
「ごめんね、お兄ちゃん。マユ、乗ってくるシャトルを間違えちゃったみたいなの」
『ええっ!? じゃあどこにいるんだよ!?』
「えっと・・・・・・」
ちらりとこちらを向いたマユと目が合ったので、「マイウス市」と教えてやる。
「マイウス市? ここからお兄ちゃんのところまで、どうやって行けばいい?」
『マイウス市!? 判った、調べるからちょっと待ってて』
「あ、それとね。お兄ちゃんの知り合いって人に会ったよ」
余計なこと喋るな、と言葉にしなかった自分をは褒めてやりたかった。
サングラスでの感情が読めないのか、マユは嬉しそうに笑いながら話し続ける。
『俺の知り合い? 誰?』
「えっとね・・・・・・」
「―――貸せ」
手を差し出せば、マユは素直にピンク色の携帯を載せてくる。
ストラップを邪魔だと思いながら、は普通に携帯を構えた。
「シン・アスカ」
『その声・・・っ・・・クルーゼ秘書官!?』
マユの行動は正しかった。電波を介して伝わる声がうるさすぎる。は先の彼女と同じように、通話口を支点に携帯を反転させた。
『な、何でクルーゼ秘書官がマユと一緒に!?』
「偶然だ。自由時間は何時までだ?」
『え!? えっと、今日は外泊届けを出してないんで21時までです』
「現在の時刻が14時25分。15時のシャトルに乗れたとしてセプテンベルからマイウスまで三時間。その後戻る時間を考慮すれば、会話時間は三分といったところか」
『えーっ! どうにかなりませんかっ!?』
「無理だな。マイウスからセプテンベルへのシャトルは19時までない」
『そんなぁ・・・・・・・・・』
シンが受話器の向こうでジメジメとうっとうしい空気を出し始めたので、は携帯をマユへと戻した。
「もうお兄ちゃん、しっかりしてよ! 無理なら仕方ないじゃない。また今度遊ぼうね」
『マーユー・・・・・・・・・っ』
「お正月には、お家に帰ってくるんでしょ?」
『そうだけどさぁ・・・・・・・・・』
この瞬間に、は逃げればよかったのだ。しかしクリスマスの浮かれた雰囲気にか、疲弊した自身にか、彼の感はそこまで働かなかった。
『・・・・・・・・・クルーゼ秘書官!』
耳を近づけていなくても聞こえる声で、シンが言った。おそらく携帯の向こうで頭を下げながら。
『マユのこと、よろしくお願いしますっ!』
イベントなんてこの世からなくなってしまえ、とは思った。
正直は今すぐにでもどこかのホテルに入って明日が来るのを一人で寝ながら待ちたかった。おそらくそれが最も幸福な過ごし方だと信じていた。
けれど、今目の前には少女―――マユ・アスカがいる。
シンに頼まれたとはいえ、放り出すことは容易い。けれどそう出来ないのは彼女が幼いからか、それとも小動物だからか。
どちらにせよ同じこと。溜息を吐き出しつつ目線を下げると、慣れない角度に首がかすかに痛んだ。
「・・・・・・行きたいところはあるか?」
マユが驚いたように目を見開き、けれどすぐに嬉しそうな顔で喋りだす。
「ケーキが食べたい! それとね、ツリーが見たいの。お兄ちゃんが『セプテンベル市には大きなツリーがあるんだよ』って言ってたんだけど、ここにもある?」
「セプテンベル市はイルミネーション・ツリーだったな。マイウス市はモミの木だ。地球から移植したらしいが、天然物なので飾りは多くない」
「本物なの? 見てみたいっ!」
「判った」
了承して歩き出すと、すぐに左腕に何かが絡み付いてきた。
不審に思って見下ろせば、マユが小さな両手で抱きついてきている。おそらくシンに対していつもやっているのだろう。いやらしさを感じさせない親しげな仕草だった。
楽しそうに、彼女は笑う。
「マユはね、マユ・アスカっていうの。お兄さんは?」
「・・・・・・・クルーゼ」
「お兄ちゃんって呼んでもいい?」
「・・・・・・・・・好きにしろ」
兄と呼ばせておけば、ロリータ・コンプレックスで警察に止められることもないだろう。そんなことを考えつつは軽く頷いた。
雪の降る街へと繰り出していく自分たちが、年の差はあれど立派なカップルに見えることに彼は気づいていなかったのだ。
24日PM9:30
『お兄ちゃん! マユね、成人したらお兄ちゃんと結婚する!』
「は!? 何言ってんだよ、マユ! なんでクルーゼ秘書官と!?」
『だってお兄ちゃん、すっごくかっこいいし、冷たいけど優しいし、王様みたいなんだもん! マユ、決めたの! お兄ちゃんのお嫁さんになる!』
「待てよ! クルーゼ秘書官はすっごい倍率高いんだぞ!? ミーア・キャンベルだってそうだし、メイリンもレイも、たぶんルナマリアもそうだと思うし! 無理だから諦めろって」
『でもお兄ちゃんがマユと結婚したら、お兄ちゃんはお兄ちゃんの弟になるんだよ?』
「・・・・・・・・・クルーゼ秘書官が、俺の弟・・・・・・?」
『だめ?』
「マユ、頑張れ! 兄ちゃんも応援するから!」
『ありがと、お兄ちゃん!』
25日AM5:00
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・勝手に逃亡し、申し訳ありませんでした・・・・・・・・・」
「いや、気にすることはない。君は見事に務めを果たしてくれたよ。さすがは私の息子だ」
「・・・・・・・・・?」
「いささか年が離れている気がしないでもないが、若妻は男の永遠のロマンと言うし、育てる過程も楽しめて一石二鳥だろう」
「父上、一体何の話を」
「マイウス市のツリーは雄大だったかね?」
「・・・・・・・・・っ・・・」
「メリークリスマス、」
今年はにとって、何時の日かすべてのイベントを抹殺しようと心から誓ったクリスマスだった。
2005年12月18日