それはある日の夕食のことだった。
通ってきている家政婦が作ってくれたディナーを食べ、それぞれが一日あったことをのんびりと話し、朗らかな時間の最中。
ふと思い出したようにフレイが聞いたのである。
「ねぇ、とお義父様は、・って人、知ってる?」
――――――カシャン、という音がして、ナイフとフォークが落ちた。
「?」
声をかけると、大好きな彼は「・・・・・・何でもない」と一言だけ答えて食器を拾い、食事を再開させる。
その眉間に深く皴が刻まれているのに気付き、可笑しなことを聞いてしまったのかとフレイは首を傾げたが、続いて義父を見やれば手にしているワイングラスを必死で押さえ、肩を震わせている姿が目に入る。
この反応の差は何なのだろうと、ますますフレイは首を傾げた。
The spreading ripple causes one's love.
クルーゼが笑いの波―――むしろ嵐から脱出したのは、それから五分後のことだった。
一度ツボに入ったら中々抜け出せない笑い上戸な義父の性質を、フレイも二年間共に暮らしてきたことですでに知っている。
だからこそ不思議に思いながらも言葉は続けずに、とりあえず食事を済ますことに専念していたのだが、クルーゼがワイングラスを置いたことでようやく会話が再開できるらしい。
「フレイは・・・・・・一体誰から彼女のことを聞いたのかね?」
ひどく楽しそうに唇を吊り上げている義父に、フレイはデザートスプーンを置いて答えた。
「えっと・・・・・・それはね、言えないの。あぁでもお義父様もも秘密にしてくれる?」
「もちろんだとも。なぁ、?」
「ええ。フレイが喋るなと言うのなら、俺は誰にも言わない」
「私たちを信じておくれ、フレイ」
にこりと微笑むクルーゼに、フレイは少しだけ悩みながらも頷きを返す。
を見ればめずらしく彼も微笑を浮かべていて、それが嬉しくてフレイは罪悪感を振り切って明かした。
「キラから聞いたの。あのイザーク・ジュールに婚約者がいるんだって」
キラか、という冷ややかながらにも毒々しいの呟きは、クルーゼには聞こえたけれどもフレイには届かない。
「この前ホテルで偶然会って、紹介されたらしいの。背が高くて金髪で、すごく綺麗なモデルみたいな人ってキラは言ってたけど、それって本当?」
「嬢には私もも数回会ったことがあるけれど、彼女は確かに素晴らしい女性だよ。穏やかだけれど芯が強く、イザークを支えることの出来る人だろう」
「ふーん・・・・・・あのイザーク・ジュールにそんな出来た彼女なんて勿体無いんじゃない?」
「フレイは相変わらずイザークが苦手なようだね?」
「苦手っていうか、合わないのよ。だってあの人って高圧的だし命令口調だし、それに何よりと一緒にいることが多いし」
「まぁ、彼はにとって親友にも近い存在だろうから仕方あるまい」
クルーゼはそう言って笑ったが、は心中で否定した。自分とイザークは親友などではない。あえて言うなら同僚、もしくは足の引きずり合いによる被害者同盟だ、と。
「は? その・って人をどう思ったの?」
フレイの笑顔の向こうで、クルーゼが再び肩を震わせる。
けれどは普段どおりの表情を崩さず、素知らぬ顔で答えてみせた。
「親しいわけではないから、特にどうとも思わなかった。彼女に関しては俺よりもニコルに聞いた方がいい。ニコルと彼女は遠縁の親戚だから」
「そうなの!? キラに教えてあげなきゃ!」
ぱんっと両手を合わせたフレイに、の動きがぴたりと止まる。
クルーゼが楽しそうに含み笑うと、フレイも笑って身を乗り出した。
「あのね、本当は内緒にしてって言われたんだけど、とお義父様にだけ教えてあげる」
ひそひそと明かされた内容は、にとってユニウス・セブンが地球に落下するよりも劣悪なものだった。
「キラね、その・のことが好きになっちゃったみたいなの」
その後、クルーゼの笑いは30分近く止まることはなかった。
『久しぶり、フレイ』
通信画面越しとはいえ顔を合わせるのは、彼の言う通りとても久しぶりだった。
今はアプリリウス・ワンでカレッジに通っているフレイと、地球のオーブで代表補佐を勤めているキラ。
差こそあれど互いに多忙な二人は、直接会うことは愚か通信で声を聞くことさえも随分と久しい。
「キラ? どうしたの、突然。カガリ・ユラ・アスハに何かあったの?」
『いや、カガリは・・・・・・うん、カガリはその・・・・・・相変わらず、元気だよ。それはいいことだと思うんだ。思うんだけどでも僕としてはやっぱりちょっと元気じゃない方が助かるって言うか助けてって言うか』
遠い目をした彼に、フレイは『元気』の意味を問わない。
それはきっと本当にそのままの意味なのだろう。相変わらずオーブの民を愛し、相変わらず一生懸命にすべてに取り組み、相変わらずひたすらにに好意を寄せているのだろう。
もしかしたら先日あったミーア・キャンベルの事件についてまだ怒りを感じているかもしれないが、それは自分も同じ。
いつかラクス・クラインも含めた三人で愚痴に花を咲かすのも良いかもしれない、とフレイは思う。
『フレイは元気? クルーゼさんの家はどう?』
「私は元気よ。この間は教育心理学のレポートでSをもらったの。コーディネーターとナチュラルについて、すごくよく考えてるねって教授に言ってもらえたのよ。お義父様とは毎日忙しいけど、ちゃんと元気よ」
『の怪我はもう大丈夫なの?』
「うん。この前見せてもらったけど、皮膚移植の跡も残ってなかったし、もう通院も終わったわ。お義父様がプラントで最高の医師に頼んだのが良かったみたい」
『そう、よかった』
「それで? どうしたのよ、突然通信してくるなんて。何かあったんでしょ?」
問いかけると、通信の向こうのキラの顔が固まった。
それに眉を寄せ、フレイは通信機前の椅子に座る。
じっと見つめればキラは視線を逸らせ、「あ」とか「えっと」などという言葉を連ねだした。
気のせいかだんだんと顔が赤く染まってきている。けれど決定的な言葉を紡がないじれったい様子に、フレイは長くなりそうだと割り切って近くに置いてあった鞄から手帳を取り出した。
ページを開き、締め切りの近いレポートや、今度あるセミナーの参加申し込みの予定などを確認し始める。
あぁ、そういえば今度ゼミのメンバーで旅行に行こうって誘われてたっけ。あれ、行かなくちゃダメかしら。ゼミはこれからも続くし行った方がいいのは判ってるんだけど、でもねぇ・・・何か合コンみたいなノリなんだもの。こう言うとあれだけど、あからさまに私のことを狙ってる子もいるし、正直行きたくないのよね。私はがいればいいし、だけに恋人になってほしいんだもの。それにしてもどうしてカレッジって真面目に勉強してる子が少ないのかしら。確かに私もヘリオポリスのときはそんなに一生懸命じゃなかったけど、でももうちょっとマシだったような・・・・・・? プラントの教育制度は少し見直した方がいいのかもしれないわ。成人が早いんだからもっと短期間で学習して、社会に出て行けるような学習を―――・・・・・・。
つらつらとフレイがプラントの教育、比較して地球の学術体系、流れて少子化問題、連続して婚姻制度、果ては自分の恋人はしか考えられないと見事思考の一周を成し遂げた頃、通信機から誰かの声が聞こえた。
『・・・こんなこと・・・・・・フレイにしか相談できなくて・・・っ』
そういえばキラと話してたんだっけ、と思い返してモニターに顔を戻す。
そしてフレイは目を瞬いた。
画面の向こう、耳まで赤く染めて俯いているキラが、必死に告げる。
『僕・・・・・・っ・・・好きになっちゃいけない人を、好きになってしまったんだ・・・・・・!』
そのときフレイの脳裏には、現在プラントで高視聴率を記録しているドラマが浮かんだ。
略奪愛をテーマにしたそれをフレイは毎週欠かさずビデオに録画している。
「最初はアスラン・ザラのことを好きになったのかと思ったんだけど、このサイトはそういう系じゃないじゃない? だから近親相姦でカガリ・ユラ・アスハのことかと思って聞いたんだけど、違うって言うし。それで問い詰めたらイザーク・ジュールの婚約者だって言うから、どんな人なのか気になったのよ」
フレイの言葉の中にツッコミを入れたい箇所がなくもなかったが、クルーゼは笑顔でそれを流した。
笑っている間中放置されていたワインは、すでにデカンターレされすぎて彼には少し渋みが物足りなくなっている。
グラスを少し離れたところに置いて、クルーゼは納得した素振りで頷いた。
「なるほど。確かにキラ君は先日、嬢と偶然知り合ったはずだ。ということは一目惚れかな」
「一目惚れっていうか・・・・・・最初は綺麗な人だなって思ってただけらしいんだけど、優しげな雰囲気や言葉を思い返しているうちに、もう一度会いたくなっちゃったみたいなの。ずっとそう考えてるうちに、自分は彼女のことを特別に見始めてるんだって気付いちゃったらしくて」
「しかし嬢はイザークの恋人だ。いくらキラ君とはいえ、略奪愛はどうしたものか」
「そうなのよね。でも無理に気持ちを抑えるのは良くないと思うし。だからとりあえずもう一度会ってみて、それからどうするか考えても遅くないんじゃないかって言ったんだけど」
「――――――だそうだよ、」
クルーゼの笑顔が息子を捕らえた。の絶対零度の視線が父親を射抜く。
けれどそんなものどこ吹く風。春風そよ風、むしろ左団扇から送られる風。
にこりと仮面の上からでも判る微笑をに向け、クルーゼはフレイに告げた。
「に頼んで、ニコルから嬢に連絡を取ってもらうといい。先のことはともかく、一度会うくらいは出来るだろう」
「ありがとう、お義父様! ごめんね、。お願いしてもいい?」
無邪気に頼んでくるフレイに、どうすればキラを亡き者に出来るのか。むしろ・をなかったことに出来るのか、は真剣に画策した。
すべてはイザークの所為だから、絶対に奴に落とし前をつけさせてやると硬くその心に決めながら。
同時刻、アマルフィ邸にて。
『俺は・・・・・・っ・・・好きになってはいけない人を、好きになってしまったんだ・・・・・・!』
通信越しのアスランの告白に、深刻な顔の下で必死に笑いを堪えるニコルがいた。
2005年9月8日