・クルーゼはその日、アプリリウス・ワンの軍港近くにある工場を訪れていた。
国防委員会の定例会議に出席しているクルーゼの代理として、現在開発されているグフイグナイテッドの経過を見に来たのである。
久方ぶりのZAFT施設は相変わらず独特の騒がしさがあり、それをどこか懐かしく感じながら説明を聞く。
「プログラムはすでに完成し、搭載しました。装甲は現在約27%まで完成しています。外部パーツが少々手間取っていますが、遅れは三日以内です」
「武装の方はどうですか? 頂いた資料によるとM181SEドラウプニルはもう完成されたとのことですが」
「ええ、先日ザクで試射してみましたところ問題はなさそうです。MMI-558テンペストも明日には完成予定なのですが・・・・・・出来ることなら是非、クルーゼ秘書官にモデルパイロットをお願いしたかったですよ」
しごく残念そうに零した研究員に、は心中で肩を竦めた。
退役してから二年の月日が流れているのに、どうやらまだまだ軍内での自分の名は衰えていないらしい。
光栄と思うよりも先に、自分以上の素材が出てきてないことを不甲斐なく感じる。国防委員会委員長であるクルーゼを少しでも楽にさせられるような人材がパイロットとして欲しいのに。
シン、もしくは百歩譲ってルナマリアかレイでも鍛えるか。そんなことを考えながら、は対面的な笑顔を浮かべる。
「今すぐでなくとも、いずれ行われるZAFT・連合合同演習で扱わせて頂くことになりますよ」
「えっ? クルーゼ秘書官は演習に参加されるんですか!?」
「まだ決定ではありませんが、おそらく指導員として参加するかと思います。ジュール秘書官と共に」
「クルーゼ隊の再結成ですね! うわ、今から楽しみになってきましたっ! このことを伝えたら技術スタッフはみんな徹夜して、明日にもグフが完成するかもしれませんよ!」
興奮して喋り倒す研究員に、は笑い声を漏らす。
その後もいくつか機体や装填武器などを確認し、彼らは工場内を見て回った。

余談だが、公の場におけるは猫を100匹以上被っている。





Hide, hide, hide!





「今日は買い物に行くだけだし、ワンピースでいいかな」
鞄の中からドット柄のワンピースを取り出し、メイリンは着ていた軍服を着替えた。
ミネルバに常駐している彼女にとって、私服を着る機会というのは滅多にない。艦内は軍服着用が義務付けられているため、持っている数も少なく、おしゃれを存分に楽しむ余裕はないのだ。
だけど、だからこそ一時帰還の際は買い物に勤しむ。新たな服を買って、今度はそれを持ってミネルバに乗り込む。
ささいな楽しみだけれど、メイリンにとってそれはストレス解消にも繋がる娯楽だった。
「うん、これでよし!」
いつもは二つに結っている髪を下ろし、ブラシを通す。開いたワンピースの胸元が寂しいから、今日はネックレスでも見てみよう。
日頃は使う機会がなくて貯まっていく一方のお給料で、たくさん物を買おう。スカートと、ブラウスと、サンダルと鞄も欲しい。
化粧品も忘れちゃいけないし、雑誌やお菓子も買わなくちゃ。
予定を立てるだけで心がうきうきとしてくる。色付きリップで唇を飾り、メイリンは満足気に鞄を手に取った。
「じゃあ、いってきまーす」
誰もいない部屋に挨拶を残してドアを開ける。軍の一時的な宿泊施設ということで殺風景な廊下の中。

そこに、一人の青年がいた。

漆黒の髪、闇色の目、透けるような白い肌、すらりとした体躯。
実はひそかにZAFTのデータベースにハッキングしてプリントアウトした彼の写真を、メイリンはIDカードに潜ませている。
滅多に会えないから、せめて写真だけでも。そう思っての行為だったのだけれど、やはり本物は違う。キラキラしてる。格好良い。
突然の再会にメイリンが息を呑んでいると、当のも気づいたのか振り返った。
そして何を思ったのか、まっすぐ手を伸ばしてくる。
「きゃっ・・・・・・!?」
「悪い」
思い切り押され、部屋に逆戻り。ドアを閉める音がして思わず閉じていた目を開き、メイリンはぎょっとした。
左手で抱きこまれている状態のため、の顔がすぐ近くに見える。触れる肩や腕の感触に身体が熱くなってくる。
どうしようもなくて俯くと、ドアの向こうで多数の足音と声が聞こえてきた。
「ちょっとー! クルーゼ秘書官はどこに行かれたのよ!?」
「こっちに来たのは確かだって! おい、手分けして探せ!」
「こんなときじゃないと滅多に会えないし、見つけ次第丁重にお迎えしろ!」
「ブレイズザクウォーリアのメンテナスパイロットしてもらって、ガズウートの起動実験もしてもらって、MGX-2237アルドール複相ビーム砲の評価も聞いてみたい・・・!」
「メインホールでコーヒーとケーキを用意して待ってるから、出来るだけ早くね!」
ダダダダダダ、という駈ける音が部屋の前を通り過ぎ、ドップラー効果で小さく遠ざかっていく。
人の気配がなくなったことを確認し、の腕が離れた。それを少し残念に思いながら顔を上げると、やはりすぐ傍に顔がある。
先ほどとは違って自分を見下ろしてくる眼差しに、メイリンはかぁっと頬を真っ赤に染めた。
「く、くくくくくく」
「・・・・・・悪かった。協力感謝する」
「い、いえっ! お、お久しぶりです、クルーゼ秘書官!」
「ああ。ミネルバもちょうど帰艦していたのか」
「はい! 明後日また出航の予定です!」
「そうか」
頷くは、今日は黒に近いグレーの二つボタンスーツを纏っている。
ストライプのシャツとダークレッドのネクタイというコーディネートがよく似合っていて、自分で選んだのかしら、とメイリンは思った。
が自分から一歩離れたので触れていた熱もなくなってしまい、それが少し寂しい。
「さっきの・・・・・・ここの工場の人たちですか?」
問いかけに、の綺麗な眉が顰められた。しまった、とメイリンは思ったが、撤回するよりも先に答えが降ってくる。
「・・・・・・ああ」
「さ、さすがクルーゼ秘書官ですよね! あんなに人気があるなんて!」
「現状としては嬉しくない。その所為で余計な時間を食った」
「そうですか―――・・・・・・」
頷きを返したところで再び聞こえてきた足音に、メイリンは口を噤む。
も無表情ながらに眉を寄せ、二人は息を潜めて廊下の会話を聞き拾った。
「おい、そっちいたか!?」
「いない! くっそ、どこに隠れたんだ・・・っ」
「部屋に入ったんじゃないの? ここら辺って臨宿でしょ?」
「よし! 片っ端から当たれ!」
散っていく足音と、どこかのドアが乱暴にノックされる音。
これはもはや迷惑以外の何物でもない、とが思ったとき、ぐいっとスーツの左腕が引かれた。
振り向けば、メイリンの赤い髪が揺れていて。
「こっちです、クルーゼ秘書官!」
先ほどとは逆に、メイリンに引っ張られてユニットバスへと押し込まれる。
かと思えばいきなり彼女がワンピースを脱ぎ出し、は一応礼儀として視線を逸らした。
シャワーが流れ、メイリンはせっかく整えていた髪を無造作に濡らしていく。
肩にも水をかけ、バスタオルを下着の上から巻きつけたところで、ドンドンとドアが叩かれた。
「あのーすみませーん!」
「は、はーい!」
慌てて返事をしながら、メイリンは「ここにいて下さいね」と告げてバスルームを出て行く。
その際にきっちりとドアを閉めることは忘れない。止め忘れられたシャワーの湯気がバスルームを満たしていき、湿り始めたスーツには舌打ちした。
溜息を吐き出しながらジャケットを脱ぎ、ロムや重要資料の入った鞄を包む。
その間にメイリンはドアを開け、研究員と顔を合わせたらしい。
しかもどうやら騒ぎを気にしたルナマリアまでもが登場したようで、さっさと窓から出て行けばよかった、とは自分の判断を省みていた。
「ちょっとメイリン! やだ、なんて格好よあんた!」
「お姉ちゃん。だってシャワー浴びてたらドンドンドア叩くんだもん」
「もう! いいからあんたはさっさと服を着なさい。みっともない。だいたい何? これは何の騒ぎなの?」
「あぁ、いえ・・・・・・」
「あ、お姉ちゃん! 私これから買い物に行くんだけど、一緒に行く?」
「やめとくわ。だってあんたの買い物って長いんだもの」
「わかった、じゃあまたね」
このとき、ルナマリアは物分りの良い返事を返した妹に首を傾げるべきだったのだろう。
しかしそうしなかったことが、その後の彼女にとって勿体無い結果に繋がってしまった。
知らず笑顔になりながらメイリンはドアを閉め、バスルームへと戻ってくる。
「もう大丈夫ですよ、クルーゼ秘書官」
「・・・・・・あぁ、感謝する」
「いいえ! どういたしまして」
満面の笑みを浮かべるメイリンは、とてもとてもご機嫌だった。
の役に立てたことはもとより、こうして秘密を共有でき、果ては湯気で心なしか艶の増したを見ることが出来たのである。
ラッキー、と彼女は心中で叫んでいた。ごめんね、レイ! とも。

ワンピースは濡れてしまったので、新たにスカートとノースリーブのシャツを取り出して着替える。
こんなことなら昨日のうちに買い物に行っておけば良かった。そうすればクルーゼ秘書官に可愛く思ってもらえたかもしれないのに。などと年齢に見合った乙女らしいことを考えているメイリンを他所に、はドア越しに廊下の気配を探った。
どうやら研究員たちは本当に一つ一つの部屋を確認しているらしく、まだ去っていく気配はない。
舌打ちを一つ零し、ワンルームの部屋を横断する。窓を開けば三階であることが確認でき、僅かに出ている雨どいに、十分降りられるな、とは見当をつけた。
ジャケットで包んだままの鞄を持ち直し、窓枠に足をかける。
「えっ!? クルーゼ秘書官!?」
ぎょっとしたメイリンが走り寄ってきて、の腕を掴んだ。
振り向いた顔は無表情で、その冷たさに見惚れる。触れている手の感覚が一気にリアルになって、心臓がうるさい。
「そこからじゃ危険ですっ! 車回します! 見えたら出て下さい!」
「・・・・・・CX-107型のエレカ、色は黒だ」
「分かりましたっ! 待ってて下さいね!」
放り投げたキーを受け取り、メイリンは慎重にドアを開けて、人に室内を覗かれないよう注意しながら出て行く。
外から見えないよう壁にもたれかかり、は溜息を吐き出した。
ポケットから携帯電話を取り出し、帰宅予定時刻にはまだ余裕があることを確認する。
いつの間にか受信していたメールを開くと、それはクルーゼからのものだった。
嬉しい気持ちになって本文を見れば、そこには。
「・・・・・・・・・何がしたいんですか、父上・・・・・・」
絵文字を利用した赤いハートマークが一つだけ。
今更ながらに自分の父親が分からなくて、は脱力した。

猛スピードの黒いエレカが、駐車場から駆けてくる。





2005年7月9日