戦時中はあれほどプラントのために力を尽くしたというのに。
戦後もプラントと地球の未来のために日夜奔走しているというのに。
なのに何故、自分たちには災難ばかりが降りかかってくるのだろうか。
もはやクルーゼがどうというレベルではない。アズラエルやデュランダルよりも、星の元と考えた方が諦めもつく。
だが今ここで運命について論じたところで現状は変わらない。ならば如何に上手く交わすかどうか。
それだけがすべて。全力を注げ。元赤服の意地を見せてみろ。

「きゃっ・・・!」
転ぶところを助けてもらったとはいえ、胸―――の場合はもちろん偽物だが、本物と変わらない触感のパッドを仕込んである―――を触られて、動揺しない女性はいない。
特に大人しく、イザーク以外の男性と交際したことのない『』なら間違いなく顔を真っ赤にするだろう。
想定を実行し、は焦った動作でシンの腕から離れる。
それを自分の背中に庇いつつ、イザークはエレベーターから降りてきた相手たちを見据えた。
どちらも知った顔ばかりで溜息を吐きたくなる。
今日は厄日だ、と思った彼らは毎日が厄日に違いなかった。





Let's introduce my lady.





自分を見て息を呑んだレイに、は正体がばれているのだと悟った。
イザークと視線を合わせて互いにそれを認識しあうと、すぐさま行動に移る。
「・・・・・・シン。貴様、今、彼女のどこに触れた」
さり気なく前に出て、視界を遮るようにイザークが立つ。
不機嫌なその威圧感にシンはうろたえ、何を言われたのか思い返して自分の行動を振り返る。
その中で自分の手が触れた柔らかな膨らみに気付くと、彼は顔を真っ赤に染め上げた。
「あっ・・・! あ、ああ、あれは違うんです! わざとじゃありません!」
「ほう・・・・・・あれだけ鷲掴みにしておいて、わざとではないだと?」
「わ、鷲掴みって・・・! 本当にわざとじゃないですって! 信じて下さいよ!」
動揺して必死に弁解するシンを、イザークは冷たく問いただす。
その間に巧みに位置をずらされ、いつのまにかシンから死角になる場所に立たされたレイは、思い切り胸倉を捕まれて無理に体勢を捻らされた。
見開いた目に映るのは、いつもとは異なった顔。
レイと同じ金色の髪で、レイと同じブルーの瞳。お揃いということに喜びを感じたのもつかの間、すっと細められた目に背筋が凍る。
女性の格好をしているからか、紡がれた声は溶けるかのように甘く聞こえた。
「死ぬより酷い目に遭いたくなければ、余計なことは話すな。第三者に情報が漏れた場合は、ミネルバの巡回中に不慮の事故が起きると思え。ギルバート・デュランダルと永遠に別れたければそうするがいい」
「・・・・・・クル」
「判ったな? レイ・ザ・バレル」
呼びかけた名を遮って、呼ばれた名。
それが自分にはまったくと言っていいほど向けられることのない笑顔だったために、レイは何を考えるまでもなく首を縦に振った。
それはまさに忠犬のように。
隊服から離れていく指にはいつもと違って薄いマニキュアが塗ってあり、レイは思わず口を開く。
はにかむように、頬を染めて嬉しそうな顔で。
「とても・・・お綺麗です、クルーゼ秘書官」
「・・・・・・・・・」
その無垢な純粋さはいつか彼自身を滅ぼすかと思われる。
とレイの遣り取りが終了したのを悟り、イザークが言い合いを止めると、真っ赤な顔をしたままのシンががばっと頭を下げた。
「本当にすみませんでしたっ!」
「・・・・・・いえ、事故ですから。私こそすみません」
頬をうっすらと染め、少しだけ困ったように浮かべられた微笑は美しく、シンは思わず魅入ってしまう。
例えが今にも唇を引き攣らせそうになっていても、表面上の『』は変わらずに柔らかで、シンにとってそれは酷く優しく映った。
「・・・・・・すげぇ美人。モデルさんですか?」
「・・・・・・は?」
「あ、いや、だって俺、あなたみたいに綺麗な人、初めて見たから」
素直さ故に身を滅ぼす人物が二人目。そうイザークが思ったとき、新たな集団が廊下の角を曲がって現れた。
ジーザスと祈った彼は神など到底信じていなかった。

「あれ? イザーク?」
かけられた声はまたしても聞き覚えのあるもので、イザークとはどうしてこの場をさっさと去らなかったのかと自問自答した。
ぐるぐると回り、それは件の我侭少女の所為だということになる。にとってはイザークが諸悪の元凶だと結論付けられたりもしたが。
それでもやはり振り向けば、久しぶりに会うアスランが目に入り、その隣にはキラがいて。
更にその後ろにデュランダルの姿を見つけ、逃亡は不可能だと悟った二人は心中で「ちくしょう」と同時に呟いた。
「・・・・・・アスラン」
忌々しげに顔を歪めたイザークに、アスランとキラはにこやかな笑顔で近づいてくる。
「久しぶりだな、イザーク」
「・・・・・・貴様ら、何故ここにいる」
「僕たちは議長と会談だったんだ。僕はカガリの代理、アスランはラクスの代理で」
「ほら・・・・・・今、ラクスたちをプラントに来させると、ちょっと面倒なことになるから・・・」
どこか遠い目をする二人に、イザークは得心する。
ミーアとのスキャンダル事件は、一ヶ月以上経った今でもなお、彼ら―――というか彼女らの間で尾を引いているのだ。
特にそれは、あまりと会うことの出来ないカガリやラクスにおいて顕著だった。
「それで、イザークはどうしたんだ?」
問いかけてくるアスランをこんなに疎ましいと思ったことが今まであっただろうか。否。
「そちらの女性は? イザークの知り合い?」
にこやかに笑うキラをこんなにも邪魔だと思ったことが今まであっただろうか。否。
イザークとの視線が交差する。アスランに理解できないアイコンタクトは、やはり先の大戦で最後の最後まで同じ隊にいた賜物か。
とにかく適当に交わしてこの場を去る、と決めた瞬間に発された声は別の人間のものだった。
「野暮なことを聞いてはいけないよ、キラ君。ジュール秘書官と彼女の指に収められたリングが見えるだろう?」
この瞬間、とイザークは自身の指にあるリングをすぐさま引き抜いて遠く宇宙の果てまで放り投げたいと思った。
「え!? あ、え・・・!? イザーク、婚約したのか!?」
「いつの間に!? おめでとう!」
「私もこうしてお会いするのは初めてだよ。お噂はかねがね―――ジュール秘書官のフィアンセ、さん」
にこやかな笑顔で手を差し出され、は少し戸惑ったような表情をしてみせてから、控えめに自身の手を重ねる。
しかしその細腕と見ているだけでは分からない力が、その握手には込められていた。
デュランダルの手からミシ、という鈍い音が聞こえた気がしないでもなかったが、当の二人は笑顔のままだったので、そのまま場は流される。
「お初にお目にかかります、ギルバート・デュランダル最高評議会議長。お会いできて光栄です」
「御身体の方はいかがですか? プラントの風が合えばいいのですが」
「おかげさまで、最近は安定しておりまして・・・。お優しいお言葉、痛み入ります」
「あなたはいずれジュール秘書官とご結婚なさる身。お体にはどうか大切になさって下さい」
「ありがとうございます」
交わされる言葉は笑顔だからこそ恐ろしかった。特に事情を知っているイザークにとっては、―――の浮かべている微笑は美しく儚いものでありながらも底に満ち満ちている迫力が感じ取られて、生きている心地さえせず冷や汗が背中を伝う。
もう一人、の正体に気づいていたレイは、敬愛する義父との和やかな光景を嬉しそうに頬を染めて眺めている。
そんな中、ぽつりとした声が落ちて、彼らは視線を動かした。
「・・・・・・ジュール秘書官の、婚約者・・・・・・」
呟いたシンの顔はどこか呆然としていて、その中に微弱ながら含まれている感情を悟ってデュランダルは深く笑む。
「そうだ。―――ジュール秘書官」
「・・・・・・・・・はい」
眼差しを向けられ、イザークは嫌々ながらにもの横に立った。
一度機嫌を伺うように目を合わせれば、『さっさとしろ』という意図が読み取れ、その後に続く『一秒でも早く去るぞ』という決意も見て取れたので、それに従うように頷く。
シンだけではなく、驚いているアスランやキラ、そして一応レイに向けてイザークは紹介した。
「俺の婚約者、だ。身体が弱くていつもは地球のサナトリウムで養生しているんだが、今日は用事があってプラントまで来てもらっている」
「はじめまして、皆様」
彼女が頭を下げると、ふんわりとしたウェーブの金髪が肩を滑る。
背は高いけれど、細い肢体。病弱だと聞いたからだろうか、どこか頼りなさを覚える。
握りこめそうな手首や、透けるように白い肌。その中で海を思わせる蒼い瞳が印象的で。
柔らかな笑顔が、まるで消えてしまいそうなほどに儚くて。
手を握り締めたのは、果たして誰だったのか。
と申します。イザークがいつもお世話になっております」
「世話になどなっていない」
他愛ない言葉の遣り取りからも分かる仲睦まじい様子が、やけに目に焼きついて離れなかった。



エレカに乗り込み、去っていく二人。
最後、助手席からが向けた笑顔はとても綺麗なものだった。
それを見送り、自分の横に並んでいる少年たちを眺め、デュランダルはぽつりと呟く。
「そういえば・・・・・・今、プラントでは『略奪愛』をテーマにしたドラマが人気だったな」
びくりと肩を震わす彼らの中で、ただ一人その真意が分からなかったレイが首を傾げた。
そんな彼にデュランダルはにこりと微笑みかける。
それは一部で『狸』と呼ばれている策略家・デュランダルらしい笑顔だった。

一方その頃、車内のとイザークはというと、まるでヤキン・ドゥーエ攻防戦直後のように疲れ果てていた。
「・・・・・・いいか、もう二度とこんな格好はしないからな。次からはおまえが一人で乗り切れ」
「・・・・・・・・・あぁ、すまなかった」
互いにげんなりと疲労しながら会話を交わす彼らは、まだ知らない。
自分たちの本日の行動が、いたいけな青少年たちの琴線に引っかかってしまったことを。
知らないでいるからこそ、今の彼らはまだ、幸せだった。



敗因は、が控えめで守ってあげたい雰囲気をかもし出していたこと。
常日頃、気の強い女性たちと接してばかりの少年たちにとって、彼女はあまりにも眩しかったのである。





2005年7月1日