冷ややかな威圧感がから発されている。
その隣でイザークは顔色を青褪めさせ、出来る限り視線を逸らしている。
「忘れるな、イザーク。おまえは今後永久に俺の下僕だ」
「・・・・・・・・・分かっている・・・」
などという遣り取りをしつつ、二人は問題の当日を迎えた。
Let's introduce my lady.
「ドレスは何色にしますか? 髪が金色で瞳を蒼にするのなら、僕としては白かブルーか似合うと思うんですけど」
にこにこと満面の笑みを浮かべながら、ニコルはメイドによって運ばれてきたドレスを指し示す。
軽く十着以上あるだろうそれらは、見事なデザインや生地から特注だろうことが容易に推測された。
に鋭い視線を寄越され、身に覚えのないイザークはぶるぶると首を横に振る。
ここ最近の頭痛は気のせいだろうか。眉間に皴を寄せ、は鼻歌で自作の曲を奏でながらドレスを見比べるニコルに尋ねた。
「・・・・・・ニコル、どういうことか説明しろ」
「あれ? クルーゼ隊長から聞いてないんですか?」
ザフトを退役した後も、ニコルはクルーゼを昔と同じように呼んでいた。
自身がピアニストの道を歩んでいる彼にとって、呼称はあまり問題のないことなのだろう。
「いきなり身元の確かじゃない女性が登場しても、相手はそう簡単に信じてくれないでしょう? ですからアマルフィ家の遠い親戚ということにしたんです。幼い頃に両親を亡くし、アマルフィの分家で育てられていた頃にイザークと出会って、悲しみを癒された。そこから二人の関係は始まって、戦争で苦しむイザークを支え続け、いつかイザークが立派な議員になったら結婚しようという約束をしている。今は身体が弱いために地球のサナトリウムで療養中の、物静かけれど強さと優しさを心に秘めている18歳の女性―――という設定なんです」
それはどこのメロドラマだ、ととイザークは思った。
ニコルは薄いブルーのドレスを持ち上げ、に合わせながら続ける。
「名前は・。隊長に聞いたんですけれど、この名前をは以前から使っていたんでしょう? 隊長と僕とイザーク、それと他に誰が知ってるんですか?」
「・・・・・・オルガ・シャニ・クロト、それとアズラエル理事だ」
「アスランたちは知らないんですか? フレイも?」
「誰が好き好んで女装姿を晒すものか」
「綺麗ならいいじゃないですか。でも、それなら僕たちだけの秘密なんですね。・・・・・・嬉しいです。僕は退役してピアニストになってから、みんなとはあんまり会えなくなってしまいましたし・・・・・・」
だからこうして秘密を分けてもらえると、昔に戻ったみたいで嬉しいです。
そう続けて微笑んだニコルは、軍人だった頃から成長しているとはいえどこか幼く、寂しそうだった。
イザークは眉を吊り上げ、は内心で溜息を吐き殺す。
中々にしたたかな性格をしているニコルだが、の前ではそれがなりを潜め、可愛い弟的な要素が前面に押し出される。
そんな彼を理解していながらも見逃してしまうのは、甘さ故か恐ろしさ故か。
どちらにせよ結果は同じ。自分には特に害もないからいいだろう、と早々には考えることを止めた。
「うーん・・・・・・そのままだと少し合わせにくいですね。先にかつらをつけてもらってもいいですか?」
「好きにしろ」
「ありがとうございます。誰もが振り向く絶世の美女にしてみますから、期待してて下さいね」
必要ない、とやはりとイザークは思ったが、にこにこと準備するニコルに対し、それは意味をなさなかった。
「前髪は少し流して・・・・・・後ろはカールを巻いてもいいですか?」
「好きにしろ」
「瞳はやっぱり空と同じ色のブルーですよね。はい、カラーコンタクト」
「・・・・・・」
「身体が弱いという設定ですから、キャミソールや肩の出るドレスは止めた方がいいですね。それともドレスだとフォーマルすぎるから、ワンピースの方がいいのかな・・・。どう思います? イザーク」
「俺は知らん。勝手にしろ」
「もう、はイザークの婚約者なんですよ? じゃあ僕の好みで飾っちゃいますからね」
「・・・・・・俺は知らん」
「まったくイザークは・・・・・・。それなら、やっぱり紺のワンピースにしましょう? 袖は五分袖、丈は膝より少し上。大きめに開いた丸い襟と、腰より高い位置で結ぶリボン。細かい白の水玉入りですからそんなに重い印象を与えませんし、清楚で大人しいイメージにはぴったりですよ」
「ニコル、おまえの好きにしろ」
「はい。頑張りますね」
「おい、俺のときと態度が違いすぎるぞ」
「気のせいですよ、イザーク。じゃあ次は靴ですね。の身長は175センチですし、イザークと4センチ差ですから、ヒールは履かない方がいいですよね。なら、小さなリボンのついた白のパンプスはどうですか? ミュールだと転びやすいですし、少し派手ですから」
「サイズはあるのか?」
「もちろんです。ネックレスはシルバーでトップに小さな石のついているものを、バッグは財布と携帯とポーチと護身銃と目薬とハンカチが入るくらいでいいですよね。少しくしゅっとしたシルバーの手提げバッグにして・・・・・・コサージュもつけちゃえ。指輪はやっぱり婚約者設定ですから、左の薬指にしますか?」
「・・・・・・まさかそれは俺の分もあるのか?」
「当然じゃないですか、婚約者なんですから。一応プラントでも歴史があって著名なブランドのペアリングを用意してみましたけど、どれにしますか?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「僕のおすすめは、これです。形が固定人気のオーバル、幅はが3.5ミリ、イザークが4.0ミリ、素材はプラチナ、表面はスラッシュカットマット、そして石は中央に丸いダイヤが一つ組み込まれたシンプルな指輪ですね。リングの裏にはイザークとの名前を彫ってもらいました」
「俺は何でもいい」
「・・・・・・勝手にしろ」
「じゃあこれに決定。はい、二人ともつけて下さい。残すところはメイクですね。大丈夫です、バッチリ研究しましたから」
「ニコル、これらの経費はどこから出した」
「それはもちろんクルーゼ隊長です。・の名義で口座も作られていますし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好きにしろ」
こうして『・』が作られていくこと二時間弱。
メイクの段階になって廊下に放り出されたイザークは、手元の時計で刻一刻と過ぎていく時間に焦りを感じ始めていた。
待ち合わせの時間まであと一時間。
シャニの持っていた写真に写っていたは確かに美少女だったが、あれから二年の時が過ぎているのだ。
イザークの身長が伸びたように、の身長だって伸びている。成長期を経て男らしい体躯だって手に入れている。
そんなが今更ながら『女』に化けられるのかと心配になってきて、イザークはイライラと舌打ちをした。
これも全部、自分に交際を迫ってきた勘違い女の所為だ、などと責任転嫁しながら。
「イザーク、もういいですよ」
部屋の中からかけられるニコルの声が、何だか破滅へのファンファーレに聞こえる。
そんなことを考えながら、イザークは恐る恐る扉を開いた。
笑顔が見える。満面に誇らしげな笑みを浮かべているニコルが見える。
その、向こう。
紺のワンピースを着た女性が、ゆっくりと振り返る。
ゆるくウェーブのついた髪がふんわりと揺れ、鮮やかな唇が弧を描いて。
「・・・・・・イザーク」
名を呼ばれた瞬間、何かがイザークの全身を駆け抜けた。
勝った、と彼は思った。
ニコルが撮ったの写真を財布に入れ、イザークはアマルフィ邸を出た。
エレカの助手席に座るのは―――ではなく、・。
ちらりと視線を走らせれば、ワンピースもネックレスも髪型も、すべて身につけるところを見ていたというのに新鮮でならない。
ここまで変わるものなのか、とイザークは心底感嘆していた。
つい先ほどまで抱いていた焦りが消え、今は自信だけが浮かんでくる。
知らず口元を笑みが飾り、ハンドルを握る手に力が篭る。
放っておけば「はははははは!」と悪役笑いまでしそうなイザークとは逆に、は至ってクールだ。
「たとえどんなものだろうと負けは許されない。分かっているな?」
「もちろんだ! 絶対に勝利してみせる!」
「馬鹿なミスは許さない。―――行くぞ」
エレカを停止し、助手席に回ってイザークはドアを開ける。
差し出された手に自分の手を重ね、もその場へと降り立った。
二人の前には約束のホテルがそびえ立っている。
いざ行かん、決戦の地へ。
2005年6月20日