プルルルルルル・プルルルルルル
スーツの内ポケットの中で鳴り出した携帯電話を取り出し、イザークは秀麗な眉を顰めた。
相手によって決められている着信音。その一番シンプルなものを、イザークは最もかけてくる―――またはかける相手に指定していた。
今その音が鳴り、相手の名前が液晶画面に表示されている。
「・・・・・・・・・何の用だ?」
『夕食を用意してやる。今から来い』
沈黙を持って出れば、命令形で一言残し、すぐさま切られる。
ツーツーという無機質な機械音に思わず携帯を強く握れば、鈍い悲鳴が上がった。
怒りで震える唇を吊り上げ、イザークはエレカのハンドルを殴りつける。
「何様のつもりだ! 貴様っ!」
今日は仕事も早く終わってこれから家に帰ってゆっくり休もうと思っていたところに降ってきた命令・・・もといお誘い。
そのタイミングの良さにクルーゼを脳裏に浮かべつつ、イザークは力任せにアクセルを踏んだ。
three choices of your brave man
「貴様っ! 一体何のつもりだ!?」
看護師がいたのなら間違いなく怒られただろう大声を上げて、イザークは病室のドアを蹴りつけるように入ってきた。
しかし中の様子に目を見張る。振り向いたのはオルガとクロト。ここまではいい。彼らとてこの病院の入院患者、しかもと同室だ。
だから彼らがいるのはいい。そこまではいい。―――けれども。
「やっと来た!」
「おせぇぞ、イザーク」
「貴様らに文句を言われる筋合いはない! それよりも何故そんな格好をしている!?」
「え? だって料理するには必要じゃん。―――エプロンと三角巾」
くるりとクロトが一回転すると、彼のつけているオレンジ色のエプロンもふわりと揺れる。
頭にはもちろん同じ色の三角巾。オルガの場合はそれが渋めのイエローだ。
まさかと思って首を巡らしてみれば、その向こうにいるらしいシャニはグリーンのエプロンと三角巾をしていて、いつもは下ろされている前髪もピンで留められ、オッドアイの瞳が露になっている。
その向こうに、イザークを呼び出したホストはいた。
はエプロンも三角巾もつけておらず、一人掛け用のソファーで足を組みながら、手元のファイルを見下ろしている。
「ではゲストも来たことだし、始める。本日のメニューは豚肉のカレーライス・アスパラとトマトのサラダ・チョコババロアの以上三品。もちろん自分で作ったものは自分で食べてもらうから、不味い夕食を食べたくなければ死ぬ気で作れ。制限時間は二時間、まずはカレーから。―――開始」
「おー!」
「・・・・・・おー」
「おぉ」
クロトは拳を天井へ突き上げ、シャニは肩くらいまで上げ、オルガは腰に手をやったまま。
設置されたタイマーは一秒ごとに減っていく。それらを無駄にしないために彼らはそれぞれのキッチンへと向かった。
いつもは奥に設置されているソファーが今はなく、その代わりに大きなキッチン台が備え付けられている。
水道もコンロも調理場所も三人分。そこに今は彼らが一人ずつ立っていた。
「・・・何のつもりだ・・・・・・」
いきなり呼ばれて来てみれば、どうやら目の前で繰り広げられるらしい料理教室。
以前からアズラエルに頼まれて常識を教え込んでいるという話は聞いていたが、まさか、と嫌な汗が背中を伝った。
イザークに隣の空いているソファーを示しつつ、はさらりと答える。
「今日のおまえの夕食だ。食べられるものが出来上がるように祈るんだな」
「〜〜〜貴様、俺を殺す気か!?」
「ここは病院だ。心配はない」
「その言葉自体がすでに心配だ!」
ふざけるな、とイザークは叫ぶが、は素知らぬ顔でレシピを眺める。
「カレーとサラダだ。アスハ代表でもない限り毒に匹敵する壊滅的なものは出来ないだろう」
「・・・・・・アスハ代表は料理が苦手なのか?」
「チョコレート一つでキラが二週間集中治療室に入った」
知らされる事実にイザークは息を呑む。それは一体どんなチョコレートだ、と思いながらも尚更抵抗を続けた。
「・・・・・・・・・貴様、キャンプカレーというものを知っているか?」
「アスランとディアッカの作ったカレーは水に近かったそうだな」
「そうだ! ルーの量を考えもせずにディアッカが水を入れ、隠し味などとほざいてアスランがコーヒーを入れたから散々だったんだぞ!? 貴様、あれを食べてないだろう!」
「俺はニコルとラスティと同じグループだったから、まともなカレーを作って食べた。くじ運の悪さを人の所為にするな。・・・・・・・・・シャニ、米を洗剤で洗うな。水でとげ」
「・・・・・・!」
「ちなみに本日のことはジュール議員の許可も頂戴している。『これも戦後の復興のため。頑張ってこい』がメッセージだ」
「・・・・・・・・・!!」
四方から固められ、イザークはもはや逃げられない己を知った。
脱力する身体をせめてもの意地で、床ではなくソファーへと落とす。
吐き出した溜息はやけに重く、己の未来を思ってイザークは頭を抱えた。
「・・・・・・内科は何階だ・・・?」
「二階だ。ストレッチャーも用意してある」
「そうか・・・・・・」
先を思いやる二人の向こうでは、シャニが何故か豚肉に砂糖をまぶしていた。
オルガは良い。ちゃんと包丁の角も使いこなしてじゃがいもの芽を取った。
クロトも良い。嫌いなタマネギをみじん切りにはしたが、ちゃんと鍋に放り込んだ。
シャニは良くない。普通の材料を入れたはずなのに、何故か紫色の物体が出来ている。
「俺はここで死ぬのか・・・っ!? 大戦をデュエルと共に生き抜いたのはこの日のためだったのか、イザーク!?」
「シャニ、鍋に入れたものを最初から言ってみろ」
錯乱しているイザークを視界の隅に収めつつ、は問いただす。
オルガとクロトが興味深げに紫のカレーを覗き込んでいる横で、シャニは指を折った。
「えーと・・・・・・肉と、タマネギと、にんじん、じゃがいも・・・・・・?」
「まだあるはずだ」
「カレールーと・・・塩と胡椒・・・砂糖と、油と、チョコと、牛乳と、ワインと・・・・・・ラー油も入れたっけ・・・? あ、それと豆板醤と、ブルーチーズと、片栗粉と、シナモン、ナツメグ・・・・・・隠し味にコーヒー・・・」
「ああああああ! やっぱりコーヒーか! くそっアスランめ! ここまできてまだ俺を馬鹿にするのか!」
「シャニ、おまえはこのカレーが食べ物に思えるのか?」
「・・・・・・入れたのは全部食べ物だし、たぶん・・・・・・」
「食べ合わせは料理の科学だ。おまえはプリンに醤油をかけたウニもどきが本当に美味かったか?」
「・・・・・・・・・・・」
「今日は責任を持ってそのカレーを食べろ。どこが悪かったのかレポートにまとめて明後日までに提出。来週の日曜に再試だ」
「はーい・・・・・・」
「次、アスパラガスとトマトのサラダに移れ」
恐ろしい物体に蓋をして、コンロの一番奥に追いやる。
どんなにカレールーを加えたところで、あの紫色の物体が美味しそうに見えることはないだろう。
今すぐデュエルに乗ってこの病院を破壊したい。イザークは出来る限り鍋を視界に入れないようにしながら、そんな出来もしないことを考えた。
「ドレッシングは酢を大さじ二杯。塩と胡椒を少々。シャニ、ケチャップを入れるな。その状態でビーターで混ぜながら油を過ごしずつ足していく」
「、ビーターってどれだ?」
「クロトが菓子を作るのに良く使う泡だて器だ。小さいサイズを使え」
「何で油は少しずつなの?」
「一気に入れると酢と油は混ざり合わない。混ぜながら少しずつ入れていくことでちょうど良いドレッシングになるからだ。シャニ、油は牛脂じゃなくサラダオイルを使え」
トマトを湯通しする際に、クロトのものがパンクした。
中身を刳り貫いている際に、指をトマトの汁で赤く染めているシャニが嫌に楽しそうだった。
タマネギをみじん切りにする際に、オルガがぼろぼろと涙を零した。
他にも多々あったけれども、サラダはカレーに比べたら非常に良い出来栄えとなった。少なくとも色はまともだ。
「次、チョコババロアに移る」
「待ってましたぁ!」
自他共に甘い物好きなクロトが歓声を上げる。
どうでもいいから食べられるものを作ってくれ、とイザークは信じてもいない神に祈った。
タイムリミットの二時間が過ぎ、仕掛けておいたタイマーがけたたましい音を鳴らす。
はそれを止め、ファイルを手にテーブルを振り向く。
「それではこれから試食を始める」
まるで宣告のようなそれは、本当に宣告だった。少なくともイザークには死刑宣告のように聞こえた。
「本日のゲストはイザーク・ジュール。母親がプラント最高評議会議員ということもあり、幼い頃から食生活は充実していたため、肥えた舌を持つ人物だ」
「何だその紹介は!?」
「全部食べるのは難しいだろうから、一人一品ずつ提供してもらう。最初は・・・・・・オルガ、アスパラとトマトのサラダ」
「あぁ」
指名されたオルガが進み出てきて、一枚の皿をイザークの前へと置いた。
白い皿にクロスして載せられたアスパラガス。一センチ角に刻まれたトマトと、みじん切りされたタマネギがドレッシングで和えてある。
光の加減でか煌いているそれは、中々に美味しそうにイザークの目に映った。
「・・・・・・普通だな」
「俺はシャニじゃねぇよ」
「そうか、ならば頂こう」
フォークを手に取り、イザークはそれをアスパラガスに刺した。
固くもなく、かといって柔らかすぎない感触に思わず感心しながら口に入れる。
妙な沈黙にイザークが咀嚼する音、そして飲み込む音が響いた。
「・・・・・・美味い」
「―――っしゃ!」
オルガがガッツポーズを決める。は手にしているファイルに何か書き込んだ。
イザークは半ば信じられないような顔でトマトの方も口にし、自分を納得させるように何度か頷いた。
「アスパラがちょうどいい硬さで、トマトの水分も多すぎず、ドレッシングに良く合っている。このタマネギは水に晒してあるのか?」
「あぁ。濡れた布巾で包んで、流水で洗ったんだよ」
「なるほどな。辛くなくていい」
「オルガ、アスパラとトマトのサラダ、10点」
自身も一口食べ、は評価を下す。
「うっそ! オルガ、満点じゃん!」
「採点甘いんじゃないの・・・・・・?」
「うっせーぞ、シャニ! 文句なら食ってから言え!」
「僕も食べる!」
「あ・・・美味しい・・・」
「オルガ主婦みたい」
悪態を吐きながらも、シャニとクロトはサラダを食べ続ける。
オルガはその様子に満足したのか、余裕のある笑みで腕を組んだ。
「次、クロト。チョコババロア」
「はーい! 言っとくけどね、僕のは自信作だよ! お菓子だけは完璧なんだから!」
「ほう。じゃあ貴様は他は出来ないということか」
「撃・滅! 食らえ、クロトババロア!」
挑発に可笑しな文句でババロアを突き出す。
透明のカップに入っているそれは、ふんわりとした形とチョコレートの見事な色艶、上に載っているバナナとミントのバランスも良い。
さすが自分で言うだけはあるな、と思いながらイザークはスプーンを差し込む。
そして、ぱくり。
「・・・・・・この食感は・・・・・・?」
「マシュマロだよ。ココアと牛乳とチョコを混ぜたのに、マシュマロを入れて膨らましてんの。どう、美味いだろ!」
「・・・・・・・・・まぁまぁだな」
「生意気、こいつ! 抹殺!」
クロトとイザークがぎゃあぎゃあと遣り合うが、はイザークが素直に認めるのが悔しくて「まぁまぁ」と評価したことに気付いていた。
その証拠に器はすべて空になっている。
自身の分を口にして、は評価を下した。
「クロト、チョコババロア10点」
「ほんと!? やったぁ!」
いがみ合っていたクロトが離れると、イザークは乱れたネクタイを正して立ち上がった。
「では俺は失礼する。これから帰って母上のために資料をまとめなくては」
スーツの上着を羽織る彼の後ろで、シャニが囁く。
「・・・・・・・・・カレー」
「、突然呼び出すのはもう止めろ。俺には俺の都合というものがあるんだ。いくら昔の馴染みだからといって迷惑をかけるな」
「・・・・・・カレー」
「大体どうして俺がおまえたちの料理教室に付き合わなくてはならないんだ。こんなことくらいフレイ・アルスターにでもやらせておけばいいだろう。同じ元ドミニオンクルーなのだし」
「・・・カレー」
「それに病室に調理台を持ち込むということがどうかしてるぞ。アズラエル理事の好意で出来たこととはいえ、病院にかける迷惑というものももっと考えたらどうだ。衛生面では心配ないかもしれないが、他の患者に対して悪影響を及ぼすことは否定できんだろう」
「カレー」
「だから俺は帰りたい。帰るんだ。帰らせてくれ。帰らせろ!」
パチン、と指の鳴る音がしたかと思うと、ご高説を述べていたイザークの身が両側からものすごい力で固定された。
首を巡らせばオレンジとイエローのエプロンが見える。
「なっ・・・! クロト、オルガ、貴様ら何をする!?」
「ごめんねー、イザーク」
「俺らは所詮生徒の身だからな」
「なん・・・!」
謝りながらもどこか楽しそうな二人。気付いてを向けば、彼は無表情のままやはりファイルを構えている。
その顔には慈悲も何もない。戦時中と変わらぬ冷静さが嫌でもイザークに危険を知らせた。
ここでやられてなるものか。シャニ作のあの紫色のカレーを食べさせられるくらいならば、大抵のことはしてもいい。
プライドを半ば放棄して、イザークは叫ぶ。
「―――・・・・・・っ!」
「行け、シャニ」
しかし敵は・クルーゼ。元クルーゼ隊MSパイロットにしてザフト指折りの優秀な副官。
暗躍・謀略・戦闘はすべてお手の物。もちろん特攻のタイミングだって外さない。
命令を受けたシャニが、スプーンに山盛りに盛られた紫色のカレーをイザークの開いた口へと突っ込む。
「!!!!!!!!!!」
「・・・・・・あれ・・・?」
問答無用で頭をシェイクし、かなり強引な手段で飲み込ませはしたものの、動かなくなってしまったイザークにシャニは首を傾げる。
押さえていたクロトとオルガも慌てて拘束を解いた。
「うっわ、瞳孔開いてるよ!」
「おい! これってヤバイんじゃないのか!?」
「―――もしもし、401号室の・クルーゼです。重症患者が一名発生しました。緊急を要します。すぐに手術の準備を整えて下さい。・・・・・・いえ、内科でお願いします。それと401号室にもう一台ベッドを追加して下さい。・・・・・・・・・はい、よろしくお願いします」
内線電話を切れば、すぐさま駆けてくるらしい医師や看護師の気配。
ストレッチャーに乗せて運ばれていくイザークを、彼らは黙って見送った。
「・・・・・・南無阿弥陀仏・・・」
「早すぎる」
合掌するシャニの後頭部をファイルで叩き、は溜息を吐き出した。
「シャニ、おまえはもう二度と料理をするな」
それはイザークが身をもって証明した、宇宙のための真理だった。
どうにか一命を取り留めたものの、イザークは入院を余儀なくされた。
もう一台ベッドが追加された401号室にて、彼は二週間の養生を義務付けられる。
そんな彼が退院する頃に、ようやく腕の怪我が完治したも無事に退院するのであった。
2005年5月10日