会談のためにプラントへ訪れたアズラエルに付き従って、ステラはアプリリウス・ワンの地を踏んだ。
いつもはぼんやりと―――もちろん有事の際は少女らしからぬ強さで敵を圧するが―――しているステラが、いつになくそわそわとしていて、その様子にアズラエルは楽しそうに笑う。
仕方なさそうなポーズで肩を竦めて、彼は許可を出した。
「いいですよ、ステラ。行ってきて」
パッと顔を上げた彼女の金髪を、アズラエルはよしよしと撫でる。
によろしく伝えて下さいね」
「うん・・・っ」
満面の笑顔で頷いて、ステラは走り出す。

目指すのは、一週間前にが入院したという病院だ。





Shall we dance?





「あ、ステラだ」
病院内に備えられている図書室からの帰り、クロトは馴染みの後輩を見つけて名を呼んだ。
ちなみに彼の手の中にあるのは『簡単に出来るスイーツ』という料理レシピ集だ。本格的な食事ももちろん好きだが、どうせ作るなら大好きな甘いものがいい。
そう思って借りてきた本を小脇に抱え、走ってきたため息を切らせているステラとエレベーターに乗り込む。
「何、おっさん来てんの? アウルたちは?」
「・・・護衛っ・・・ステラ、だけ・・・・・・」
「ふーん。なら僕たちと同じ病室だよ。さっきはパソコン開いて仕事してた」
「・・・・・・怪我・・・・・・」
「昨日手術してたよ。でもなんか平気みたい。っていうか、クルーゼさんが来て頭撫でていったら平気になったっぽい」
あれだよね、って実はファザコンだよねー。
そんなことを言いながらクロトは楽しそうに笑うが、逆にステラはむぅっと眉を顰めた。
先日のアイドルとの交際報道は嘘だと知らされてはいるが、それでも波立つ気持ちは抑えられない。
しかもそれでが怪我を負ったというのだから、尚更。
進化した医療技術のおかげで傷跡は残らないらしいが、それでもステラは不満で仕方がなかった。
もしも件のミーア・キャンベルを目の前にしたら、そのほっぺたを思い切り引っ張ってしまうだろうくらいには怒っているのだ。
大好きな大好きなを傷つけるなんて。
「ただいまー」
「あぁ・・・・・・って、ステラ?」
「いらっしゃーい・・・・・・」
迎えてくれたオルガとシャニにぺこりと頭を下げて、残り一つのベッドに駆け寄る。
ドキドキしながら覗き込めば、パソコンはすでに電源を落とされていた。
その代わりとでも言うように。
「・・・・・・ぁ・・・」
唇から出かかった声を、ステラは両手をやって慌てて押し留める。
知らず張り詰めていた肩を降ろす様子に、オルガたちが声に出さないで笑った。

ベッドの上ではが瞼を下ろし、静かにまどろんでいた。





ステラが・クルーゼに出会ったのは、戦後まだ間もない頃だった。
クライン派の働きによって、停戦を迎えた地球連合とザフト。
ナチュラルとコーディネーターの間にある溝は深いけれども、両者は歩み寄ることを決めた。
戦時中は産業理事の立場にあり、コーディネーター排他を掲げるブルーコスモスの盟主でもあったアズラエルは、戦後もその位置についていた。
頭でも打ったのかブルーコスモスの思想を失ってクリアーな思考を手に入れた彼は、優秀な指導者の手腕を遺憾なく発揮し始めた。
特に口を使った交渉はずば抜けていて、自然とアズラエルはプラントとの外交を担当することになり、戦後すぐのプラントにも何度も足を運んだのだ。
そんな中、ステラとは出会ったのである。



「やぁ、。久しぶりですね」
何度目かのプラント訪問の際、アズラエルはアプリリウス・ワンにある総合病院を訪れた。
そこに自分の先輩にあたる、前大戦で活躍したMSパイロットたちが入院しているのをステラは知っていた。
けれどその病院でアズラエルが一番最初に話しかけたのは、彼らではない。
黒い髪に黒い目。透けるような白い肌にダークブラウンのスーツをまとった、息を呑むような美形。
男だけれども麗人という言葉が似合いそうな相手は、礼儀正しく一礼し、口を開いた。
「お久しぶりです、アズラエル理事。お元気そうで何よりです」
「ええ、まぁどうにかやってますよ。君こそ忙しいでしょうに、彼らの面倒まで見てもらっちゃってこちらとしては助かってます。今度ちゃんと御礼でもしますから」
「勿体無いお言葉です」
頭を下げる彼を、ステラはぼんやりと眺める。
何となく、何となく隙がないと思った。どんな相手でも対等に渡り合えるだろうと自負している彼女でも、突破口を見出せない。
戦うことに慣れ親しんだ身のこなしを、目の前の相手から感じる。
「あぁ、紹介しましょう」
振り返ったアズラエルがステラ、そしてアウルとスティングを手で示す。
「僕の護衛です、金髪がステラ・ルーシェ、水色がアウル・ニーダ、緑がスティング・オークレーです」
ぺこりと三人は頭を下げる。護衛として雇われる際に、一通りの礼儀は仕込まれているのだ。
「君たち、こちらは・クルーゼ君。プラント最高評議会議員の一人であるラウ・ル・クルーゼ氏のご子息であり、また彼の秘書官でもあります。忙しい僕に代わってシャニたちの面倒も見てもらっている、優秀な人物ですよ」
「はじめまして」
にこやかに浮かべられた笑みはとても綺麗だった。
初対面のステラたちは気付くことがなかったが、その見事な営業スマイルにアズラエルは肩を竦める。
だが、これでこそ。戦場の詐欺師と呼ばれたクルーゼの義息子である。
「じゃあ僕はシャニたちの顔を見てきますか。はこれからどこへ?」
「議会所へ戻る予定です。迎えのエレカが来るまで、まだ少し時間がありますが」
「じゃあ暇つぶしにステラを貸し出しますよ。是非その魔性の魅力を発揮しちゃって下さい」
「・・・・・・・・・何ですか、それは」
「狼が良い男なら自ら食べられたがる羊もいるってことですよ。じゃあ行きますよ、アウル、スティング」
「え、ちょっと、ステラはいいのかよ?」
「いいんですよ、ステラは羊になるんですから」
「・・・・・・訳わかんねぇ」
首を傾げながらも、アウルとスティングは大人しくアズラエルについて病院のドアをくぐっていく。
残された形になったステラは、まるでダンボールに置き捨てられた犬のごとくぽつんと立っていた。
ぼんやりとしている頭で言われたことを思い出す。
「・・・・・・めぇめぇ・・・?」
「ならなくていい」
とりあえず出してみた鳴き声は、同じく残されていたによって却下された。

すべきことは、エレカが来るまでのの相手。
アズラエルの言葉を再生してそう理解したステラは、取り急ぎベンチに座るの隣に座ってみた。
しかしどうすればいいのか分からない。
元より口数が少なく、特別な趣味があるわけでもなく、暇なときはぼんやりと海を眺めていたりするステラだ。
相手をしろと言われても、どうすればいいのか分からない。
「・・・今日は・・・いいお天気ですね・・・・・・?」
「アプリリウス・ワンの気象予定では20時から一時間雨だ」
「・・・・・・海・・・好き・・・?」
「好きでも嫌いでもない」
「ステラ・・・・・・好き」
「そうか」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「アズラエル理事の仰られたことは気にするな。無理に喋る必要はない」
にそう言われて、ステラは話題を探すことを諦めた。
元々喋るタイプじゃないこともあり、すぐに頭の中は切り替わる。
またしてもぼんやりとしながら、ステラは病院の庭を眺めた。
広く敷かれている芝生、植えられている木々。色とりどりの花が咲き乱れる花壇。
見舞い客の話し声や、車椅子に乗っている患者たちの姿も見える。
キラキラと差し込む光が眩しい。作り物だとは分かっていても綺麗に澄んだ青空に、ステラはいつしか立ち上がっていた。
一歩踏み出すと、ピンク色の隊服の裾が揺れる。袖が揺れてふわり、髪が舞ってふわり。
さくさくと芝生を踏む音が楽しくて、ステラは踊りだした。
光が彼女に降り注ぐ。

突然立ち上がったかと思うとくるくる回りだした少女に、は溜息を吐き出した。
珍しく黄色い声を発しない大人しい少女に出会ったと思ったのだが、やはりアズラエルの護衛を務めるだけある。行動が不可解だ。
しかし横で下手に喋り続けられるよりはずっといい。はそう思いながらベンチに背を預け、回り続けるステラを眺める。
右へくるり、左へくるり、前へくるり、後ろへくるり。
おそらく正式なステップではなく、適当に回っているだけなのだろう。
本人はとても楽しそうだが、そのままでは後ろを歩いている通行者にぶつかると思い、は一応声をかけた。
「ぶつかるぞ」
くるり。ステラは回避したが、それでも回り続けているとやがてまた別の人にぶつかりそうになる。
「・・・ぶつかるぞ」
くるり。同じことが繰り返される。
それを二桁続けただろうか。
どうやら午後の日差しの気持ちよい時間ということもあり、散歩に出ている入院患者が多いらしい。
その中でくるくると不規則に回っているステラは邪魔以外の何物でもないだろう。
はそう判断し、ベンチから立ち上がると回り続けるステラの手を捕まえた。
きょとんとした眼差しが一瞬の後で、期待に満ちた目に変わる。
「踊るの・・・・・・?」
見上げてくる彼女に否定するのは容易い。けれどそうしないのは、以前ペットショップで見かけた愛玩犬を思い出したからか。
は深い溜息を吐き、空いていたもう片方の手をステラの腰に回した。
そして足を踏み出す。



「おやおや、病院が社交場に早変わりですねぇ」
「何言ってんだよ、おっさん」
「あーっ! がダンス踊ってる!」
「・・・・・・ルンバじゃない・・・」
「へぇ、ステラも普通に踊れんじゃん」
「っていうかリードがいいんじゃねーの?」
病室の窓から揃って庭を見下ろし、歓談する六名。
満足そうに顎へ手をやり、アズラエルは至極楽しそうに呟く。

「ほら、羊になった」



くるくると、先ほどとは違って心地よく規則的に回る世界に、ステラは明るい歓声を上げた。
自然と踏んでいるステップは、相手に導かれてのもの。
握っている手や腰に回された腕が、ステラを上手にリードしてくれる。
「左・右・左、右・左・右」
言われたとおりに足を動かす。くるりと回るターンも楽しくて、ステラは笑う。
「すごい・・・!」
「飲み込みが早いな。音感がいいのか」
「すごい! 楽しい!」
「そうか」
ワルツ一曲分の時間を踊りきり、片手だけ残して離れ、互いに礼をする。
その瞬間にわぁっと拍手が鳴り響いた。
見回せば庭にいた患者たちがこちらを見ていて、盛大に掌を叩いている。
ステラはきょとんとしているが、は見られていたことにも気付いていた。
吐き出しそうになる溜息を堪え、繋いでいた手を引っ張り、ステラを二・三度ターンさせる。
そして再度一礼し、短いダンスは幕を下ろした。
最初のベンチへと戻り互いに腰を下ろすと、興奮の所為か頬をうっすらと赤く染めたステラが、まるでペットのように愛らしく笑った。
気がつけば、最初の頃より座っている位置も近い気がする。
ぺろりとご主人様の顔を舐めるように、懐いた様子で。
「ステラ、のこと好き・・・っ」
言われた言葉に目を瞬き、次いでは自分がアズラエルの予想通りの展開を作ってしまったことに気付いた。
しかしもはや後の祭り。

以後、ステラはに懐き続け、アズラエルはそれを楽しみながら支援している日々が続くのである。





眠っているを見るのは初めてだ。そう思いながら、ステラはベッドで眠り続けるを見つめる。
包帯で大仰に巻かれ、天井から吊られている左腕が痛々しくしくて、泣きそうに眉を顰めた。
そんな雰囲気を察したのか、近づいてきたオルガがくしゃりとステラの金髪を撫でる。
「クルーゼさんと議長のおかげで、プラント最高の医師団が手術したんだ。綺麗に治るからそんな顔すんじゃねぇよ」
「いつも忙しすぎるから、これくらい休んでも当然だし・・・・・・?」
「僕らも楽しいし、ステラも来れば会えるし、一石二鳥だよ!」
シャニとクロト、先輩たちの励ましにステラはこくりと頷いた。
掛け布団の上に載せられている、傷ついていない右手をそっと握る。
額を摺り寄せて、まるで祈るように呟いて。
「・・・・・・早く、元気になってね・・・」
ステラはぎゅっと、の手を握った。

あの日からずっと、ステラはワルツの練習を続けている。
今度は互いにドレスを着て、どこかのホールで踊るために。



のパートナーになるため、ステラは努力を続けているのだった。





2005年5月7日