始めは、ちょっとした悪戯心だったのだ。
同じ年だが義兄であるレイが、一途に敬愛している元軍人。
どんなに冷たくされても健気に思い続けているらしい彼は、ミーアにとって同情するよりも楽しみを提供してくれる存在だった。
デュランダルと自分以外の前ではほとんど表情を崩さないレイが、そんなにも思慕している人。
会ってみたい。ミーアはそう思い、実際に会わせてくれるようデュランダルに願い出た。
そうすると義父は一瞬考えた後で何故かとても楽しそうな笑顔を浮かべて頷いてくれた。
いざ当日になって『お見合い』と言われ、笑顔の理由が分かったような気がしたけれども、綺麗なドレスを買ってもらえて美味しいレストランで食事が出来て、そして『レイの思い人』を見られるのなら全然構わない。
そんな軽い気持ちで、ミーアは義父に従い約束の一室へと足を踏み入れた。
そしてと対面して、彼女は納得した。あぁ、この人ならレイが虐げられても好きでいるのが分かる、と。
加えて彼女は思ったのだ。
この人となら結婚してもいいわ、と。
Honey
プチ、とテレビの電源を入れればたちまちに部屋中を喧騒が支配する。
『速報が入ってまいりました! プラントと地球で人気の歌手、ミーア・キャンベルさんの熱愛が発覚しました!』
『スクープした新聞社の号外によりますと、お相手はプラント最高評議会議員ラウ・ル・クルーゼ国防委員会委員長の秘書官、・クルーゼさん、18歳』
『記事に拠りますと二人は本日の午後一時、アプリリウス・ワンにあるホテル・リヤードの庭園で抱擁を交わしていたそうです! こちらがその写真になります!』
アナウンサーが興奮気味に喋り続け、問題の記事がクローズアップされる。
さすがはミリアリア。専門カメラマンの撮ったものらしく、ピントも合い、まるでポストカードのように綺麗に写されていた。
ダークブルーのスーツを着たの首に腕を回し、抱きついている白いドレスのミーア。
その二人の顔が重なる瞬間を、見事に斜め後ろのアングルから捉えている。
二人の造形が整っていることもあり、ドラマのワンシーンのようなショットは、確かなキスシーンを見る者に伝えていた。
先ほどから鳴り止まない携帯電話を手に取り、は通話ボタンを押す。
「―――はい」
『おいっ! 今ニュースでやってるのってマジかよ!? ミーアってあのミーア・キャンベルだろ!? すげぇ羨ましい! ちくしょう、こんなことなら俺も退役しとくんだった―――』
ピッ
プルルルルルル・プルルルルルル
「―――はい」
『あ、あのっ! メイリン・ホークです! お忙しいところ申し訳ありません! あの、あの・・・っ・・・テレビで放映されているのって本当なんですか!? クルーゼ秘書官がミーア・キャンベルと恋人だなんて、そんな・・・っ! 前に「恋人はいない」って言ってたのは嘘だったんですか!?』
ピッ
プルルルルルル・プルルルルルル
「―――はい」
『、俺だ。アスラン・ザラだ。今テレビで流されているのは本当なのか? もし嘘なら今すぐ弁明会見をやってくれ。セッティングなら俺たちクライン派がいくらでも準備する。だから頼む、どうか嘘だと言ってくれ! でないとラクスが―――』
ピッ
プルルルルルル・プルルルルルル
「―――はい」
『・・・・・・ドカッ・・・・・・・・・・・・・・・バキィ・・・・・・助けて・・・・・・・・・グシャ・・・・・・カガリが・・・・・・・・・っ・・・』
ブツッ・・・ツーツーツー
プルルルルルル・プルルルルルル
「―――はい」
『、結婚するって本当!? 挙式するなら僕らも出るからね! ―――・・・花束、俺に向かって投げて・・・・・・。―――何はともあれ、良かったな』
ピッ
プルルルルルル・プルルルルルル
「―――はい」
『議会所はマスコミに張られている。まさかとは思うが絶対に来るなよ』
「あぁ、分かった」
『貴様の女難の相はプラント1だな』
「俺も先ほど自覚した」
最後のみ会話に応じて、は鳴り続ける携帯の電源をオフにした。
窓際ではクルーゼが楽しそうに電話に向かって話している。おそらく今回の企てに参加しなかったアズラエルからのものだろう。
そういえばステラたちからは連絡が来ていなかった。確かに事実を確かめるのならアズラエル経由で仕入れるのが確実だ。
賢いな、と思いながらテレビに目を向ければ、すでに話題はミーアとの経歴紹介に移っている。
先の大戦で最前線にいた自分の過去が華々しく紹介されていて、は眉を顰めた。
場面が切り替わり、今度は野外にいるらしいアナウンサーの顔がブラウン管の中に現れる。
『こちら、セントラルホール前です。本日19時よりこちらでコンサートを行われるピアニスト、ニコル・アマルフィーさんは・クルーゼさんとかつてザフト軍にて同僚であり、また彼を兄のように慕っていらっしゃるそうです。アマルフィーさんが到着し次第、コメントを――――――あ、来ました!』
ホール前玄関へと横付けされるエレカに、マイクを持った報道陣が鈴なりに近寄る。
運転手にドアを開けられて出てきたのは柔らかな雰囲気を持つニコルで、彼は傍迷惑な歓迎に困ったように微笑していた。
『アマルフィーさん! ・クルーゼさんとミーア・キャンベルさんの熱愛はご存知でしたか!? それに対してコメントをお願いします!』
SPが報道陣をかき分けるが、向けられるマイクはしつこく付きまとってくる。
少しだけ苦笑をもらし、ニコルは控えめに答えた。
『いえ、僕は何も聞いていません。でももし二人がそういう関係で、婚約を発表するというのなら、もちろん祝福したいと思います』
『・クルーゼさんとは一体どんな方ですか!? アマルフィーさんは兄のように慕ってらっしゃるとのことですが!』
『は冷静で頼れる、優しい人です。そうですね、僕にとっては兄も同然です』
『そんなクルーゼさんに一言お願いします!』
ようやくホール玄関まで辿り着き、ニコルは振り返る。
おそらく彼の目には期待に目を輝かせた―――餌に集るピラニアのような―――マスコミがいるのだろう。
けれど顔を顰めたりなどせず、ニコルはただ穏やかに微笑んで一つのマイクに向かって言った。
『、また今度遊びに行かせて頂きますね。そのときにゆっくりお話を聞かせて下さい』
それだけ告げると、ニコルはマスコミを一切遮断してホールの中へと消えていった。
現場から繋がれていた報道が、再びスタジオへと切り替わる。
その頃にはクルーゼも電話を終えたらしく、の隣のソファーへと腰掛けていた。
「ムルタが残念がっていたよ。こんな楽しいイベントに参加できないとは、地球在住の身を嘆いていた」
「父上はそんなに俺を結婚させたいんですか」
「まさか。私がおまえを手放すわけがないだろう? 今回はミーア・キャンベル本人から『に会ってみたい』という希望が寄せられたのだよ」
「それで『お見合い』ですか」
「気に入ればそれで良し、気に入らなければそれも良し。取り急ぎ顔見せをさせようと思っていたのだが、どうやらキャンベル嬢は中々に役者が上手のようだ」
テレビで流されるミーアのコンサート映像を眺めながら、クルーゼはひどく楽しそうに笑う。
「己の魅力を理解し、それを最大限に有効活用している。人気歌手である自分のプライベートを見かけたら写真を撮らずにはいられないマスコミの習性を活かし、見事にキスシーンを収めさせた。まぁ出版社に転送されてしまったのは誤算だろうが、を自分のものと証明するにはこれ以上ない見事な手段だ」
「キスなどしてません」
「おや? そうなのかね?」
「あの写真ではそう見えるかもしれませんが、触れる寸前で離れました」
「なるほど。だが世間はそう見てはいないようだ。見たまえ、ホテル前では大勢のファンが事の真偽を求めて叫んでいるよ」
クルーゼが立ち上がり、窓から下を指し示す。
地上三十階のこの部屋からは、人は豆粒ほどの大きさにも見えない。けれど玄関前に人が溢れるようにして集まっているのは、この位置からでもはっきりと分かる。
不愉快そうに眉を顰めたの肩を叩き、クルーゼは楽しげに唇を歪めた。
「あと三十分もすればキャンベル嬢の会見が始まる。この部屋でのんびりとそれでも眺めていなさい」
「フレイは」
「隣室でミリアリア・ハウと待機しているよ。彼女への弁明は私がしてこよう」
「当然です。今の現状は父上の所為なんですから」
拗ねたような言葉に、クルーゼは殊更に優しく笑い部屋を出て行く。
残されたホテルのスウィートルームで、は乱暴にソファーに腰を下ろした。
長い足を苛立たしげにテーブルへと放る。
テレビの中ではミーアの会見が開かれるだろうホールが、せわしなく映し出されていた。
「酷いですわ! 私の代わりに人々のためを思って歌いたいと言うから許しましたのに・・・・・・!」
「キラっ! フリーダムを出せ! 私は今からプラントへ行く!」
「お姉ちゃん・・・本当なのかなぁ・・・・・・?」
「知らないわよ! あいつに恋人がいようが何だろうが私には関係ないんだから!」
「・・・・・・・・・・・・」
不愉快なまま、それでもテレビをつけ続けていると、ホールに用意された席は見る間にマスコミで埋め尽くされていった。
用意された中継カメラは優に100を超えているだろう。それだけミーアが人気歌手ということか、それとも暇人が多いだけか。
どちらにせよくだらないことに変わりはない。はそう考えながらテレビを見据えていたが、ふと目を細めた。
画面がホールを右から左へと映し、会見の始まりを告げる。
開かれた扉からミーアが姿を現したとき、一斉にカメラのフラッシュがたかれた。
舌打ちして、は立ち上がる。
「馬鹿が・・・・・・」
苛立ちに満ちた呟きが、誰もいなくなった部屋に響いた。
テーブルの上で束になっているマイクは十本以上。
見回せば報道記者は何百人いるのだろうか。数えることすら馬鹿馬鹿しくなるくらいの数に、ミーアは内心で驚いていた。
けれどそれだけ自分が注目を集めているのだと知り、嬉しくなる。
彼女は歌うのが好きだった。自分の歌で誰かが幸せになってくれたらと願う心は嘘ではない。
だからこそこれだけの人に注目を受けているということは、自分の歌を受け入れてくれている人がそれだけ多いということで、その事実がミーアを笑顔にさせる。
いつもの衣装に着替えて中央の席に座り、凛と背筋を伸ばして唇を開く。
「皆様、本日は私のためにお集まり下さりどうもありがとうございます」
再びフラッシュが瞬き、ミーアはにっこりと笑顔を浮かべた。
「本日新聞にて掲載された私と・クルーゼ様に関する記事に対しまして、説明をさせて頂くべく、この会見を設けさせて頂きました」
「あなたと・クルーゼさんが抱擁を交わされていたこの写真は本当なんですか?」
「はい、本当です」
挙手して質問した記者に頷けば、ホールにどよめきが走る。
本当は唇を触れ合わせてはいないのだけれど、その真偽に突っ込んでくる者はいないらしい。
その誤解をあえて自ら解くことはしなく、ミーアは笑顔を浮かべ続ける。
そしてついに核心に触れる質問が寄せられた。
「ミーアさんは・クルーゼさんとお付き合いされているんですか!?」
しんと静まり返ったホールの中、ごくり、と誰かの唾を飲む音が響く。
誰もが息を呑んで自分を見つめているのを感じながら、ミーアは意図的に視線を伏せた。
恥らうようにそっと頬を高潮させて、はにかむように笑って。
「・・・・・・はい。お付き合いさせて頂いています」
本当はこの後、『友達として』と付け加えて会場の安堵を誘おうと思ったのに。
視界の隅で立ち上がり、叫ばれた悲鳴にも似た男の奇声。
SPが止める間もなく壇上に駆け上がり、肉薄してきた姿。
逃げることも声を上げることも出来ず、ただ男の振り上げる手だけがミーアの目に映った。
その手の中にあるビンの中で、液体が音を立てて揺れる。
「―――ぃや・・・・・・っ・・・!」
恐ろしさにきつく目を閉じた。
液体のかけられる音。
何かが蒸発するかのような音。爛れる肉のような腐敗臭。
椅子が倒れるような音がして、次いで悲鳴が、フラッシュを切るような音が立て続けに起こる。
「何してる、SP!」
その声にようやくミーアは薄目を開き、現状を理解した。
暴れる男を組み伏せ、その抵抗を抑え込んでいる。
彼の左腕は塩酸をぶちまけられ、皮膚はどろどろに溶け、ピンク色の肉を晒していた。
騒然とするホールの中で、ミーアは恐ろしさのあまり呆然としていた。
「ふざけんなっ! てめぇなんかミーアちゃんには相応しくないんだよ! 消えやがれ馬鹿野郎っ!」
拘束された男が罵詈雑言を叫んで連れて行かれ、カメラマンも何人か、そんな彼を追っていく。
遠くから聞こえてくる救急車のサイレンの音が、やけに耳について。
椅子から床へとへたり込んでしまったが、ふと目の前に立つ影に気づいて恐る恐る顔を上げる。
ダークブルーストライプのスーツは、今日何度も目にしたもの。
けれどその左袖はなく、肉を焼いた腐臭が鼻につく。
口を開こうとするよりも先に、パンッという軽い痛みが頬に走った。
「キャンベル嬢。あなたはもっと御自分の立場を理解する必要がある。あなたの言葉一つ一つがあなたのファンを喜ばせ、悲しませるのです」
「・・・・・・、様・・・・・・」
「これからも彼らのために歌っていきたいと思うのなら、ちゃんと誠意を尽くしなさい」
――――――歌っていきたいと思うのなら。
その言葉が酷く胸に響き、ミーアの心を貫く。
救急車が来たのだろう。ホテルのポーターが駆け寄ってきて、に慌しく声をかける。
彼はミーアを一瞥すると、これ以上何も言うことはない、と言うように無言で扉へと足を向けた。
大怪我を負いながらも凛とした後ろ姿に、ミーアは思わず泣きそうになってしまって。
けれど強く瞼を拭い、立ち上がる。
そしてざわめいているマスコミ各社に向かって、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 私が様と付き合っているというのは嘘です! 今日は私も様もお互いの父に連れられ、たまたまお食事を一緒にしただけだったんです! その写真もキスしているように見えるけれど、本当はしていません! 嘘をついて本当に申し訳ありませんでした!」
閉まる扉の隙間から聞こえてきたミーアの言葉に、は薄く笑って救急車へと乗り込んだ。
クロトはもぐもぐとチョコレートケーキを咀嚼する。彼は上に載っている苺は最後まで楽しみに取っておくタイプだ。
オルガはコーヒーメーカーに四人分の水をセットし、シャニはプリンをぐちゃぐちゃにかき混ぜながら、テレビをじっと見つめている。
ブラウン管の向こうでは、お昼のワイドショーのアナウンサーたちが笑顔で会話を交わしていた。
『―――ミーア・キャンベルさんは無傷、犯人はその場で確保されました。・クルーゼさんは全治一ヶ月の重症で皮膚移植を行うものの命に別状は無いとのことです』
『それにしても、カリスマ歌手と言われているミーア・キャンベルさんもやっぱり普通の女の子だったんですねぇ。「誰かと付き合ってるって自慢してみたかった」だなんて』
『どんなに歌がうまくてもやっぱり女の子ですね。可愛らしいじゃないですか』
『むしろ今回のことで女性ファンが増えたそうですよ。特に同年代の女の子が親近感を覚えて盛り上がっているとか』
『そして何と言っても・クルーゼさん! 身を挺してミーア・キャンベルさんを庇った、まるで王子様のような行動に賛美の声が上がっています』
『いやぁ、モデル並みの格好良さですね。これならミーア・キャンベルさんが自慢したくなるのも分かりますよ』
『男の中の男、ということで男性からも尊敬されているようです。交際してはいないとのことですが、本当にお似合いの二人ですよね』
『いつか婚約する日が来ても、きっと世界中が祝福しますよ、この二人なら』
朗らかで勝手な言葉に、シャニはスプーンを銜えながら器用に歌う。
「・・・・・・・・・ぱぱぱぱーん・・・ぱぱぱぱーん・・・」
「それ以上続けてみろ。おまえのプリンに醤油を混ぜてやる」
「ウニ味・・・・・・?」
いつもは三つしかないベッドが今は一つ増え、その上では左腕を吊られたが冷ややかな苛立ちを湛えている。
贈り物に埋もれながら、それでもデータを片手に仕事をしている彼は、まさに時の人だった。
一部で熱狂的なファンを獲得し、極一部で貢がれるほど心配され、極々一部で抱腹絶倒な笑いを提供しているリアルタイムの人だった。
テレビの中で、『女の子』の素顔を晒してミーアが笑う。
『私は歌手としても人間としてもまだまだひよっ子ですから、成長していつか自信がついたら、そのときは自分から様に告白して、押せ押せで恋人になりたいと思います。世界中の恋する女の子の皆さん、一緒に頑張りましょうね!』
愛らしく微笑む彼女に酷く頭痛を感じつつ。
はプラントどころか宇宙一かもしれない己の女性運の悪さを恨むのだった。
2005年5月4日