その日は、地球で報道カメラマンとして活動しているミリアリアが、久しぶりにプラントへと遊びに来ていた。
嬉しそうなフレイを待ち合わせ場所まで送り、挨拶と少しの会話をした後、エレカを走らせ帰宅した。
今日は休日だから、昨日までにこなした仕事のチェックをして、明日以降の準備をしよう。
有意義な一日だ。は心からそう思っていた――――――が。
「本日は日柄も良く、若い二人の門出にはまたとない機会だな」
「あぁ、本当だね。おめでとう、二人とも」
隣の席でクルーゼが笑い、斜め前の席でデュランダルが笑う。
確かに窓ガラスの向こうでは、オートコントロールで雲一つない空が広がっている。
もしかしたら先ほどの台詞を言いたいがために気象管理部へ圧力でもかけたのかもしれない。
何気ない顔で公私混同しそうな二人に心中で溜息を吐き出しつつ、は無感情な瞳を上げた。
彼の向かいには、ミーア・キャンベルが座っている。
Darling
事の始まりはやはりと言うか何と言うか、定番でありながらもに対してこれ以上ないほど絶対的な威力を発揮するクルーゼの一言だった。
『久しぶりに父息子水入らず、食事でも食べに行くかね?』
手にしていた経理ファイルをがすぐさま置いたのは言うまでもない。
議員とその秘書という立場から毎日昼食を共にしているし、休日も家族で食卓を囲ってはいるけれども、やはり『プライベートで外食』となると喜びは違う。
特にフレイを引き取ってからはクルーゼとが二人で食事をしたことなど数えるほどしかない。
『先日オープンしたばかりのホテル・リヤードにするか。あそこの最上階レストランは美味しいらしい』
『すぐに車を回します』
『いや、とりあえず着替えてきなさい。先日フレイが選んで買ったスーツがあるだろう? あれを着て私に見せてくれ』
そう言われてが断れるわけがない。常には無表情な顔に喜びの色を少しだけ浮かべ、ダークブルーストライプのタイトスーツにブラウンのカラーシャツを合わせる。
黒い髪と白い肌によく似合うその着こなしに、クルーゼは柔らかく微笑して揃いのカフスとタイピンをつけてくれた。
二人で車に乗り込み、運転手の走らせるエレカでランチへと向かう。
そして行き着いたホテルの最上階、アプリリウス・ワンのすべてが見渡せる眺めの良い個室に案内され。
そこで、は急激に冷静さを取り戻した。
上品なクロスの上にセッティングされているテーブルウェアは四つ。
――――――四つ。
喜びに浮かれていた頭が冷水を浴び、めぐるましく現状の理解に努めること三秒。
『あぁ、待たせてしまったようだね。申し訳ない、二人とも』
最高評議会議会所で時折耳にするプラント最高権力者の声に、は弾かれたように振り向き、そして。
『紹介しよう、。この子は私の養い子であるミーア・キャンベルだ』
『はじめまして、様』
ラクスによく似た顔と声で、けれど彼女よりもどこか愛らしくミーアは笑った。
後から悔やむから後悔だと、その瞬間には思った。
ミーア・キャンベルの名は女性から遠ざかって暮らしたいと願っているも知っていた。
プラント最高評議会議長であるギルバート・デュランダルの養い子。レイ・ザ・バレルの義理の妹。
ラクス・クラインそっくりの容姿と声をしていて、戦後の復興で忙しいラクスの代わりにと思い歌手デビューしたのだが、今はミーア自身の歌声や個性が認められて押しも押されぬトップスターの座についている。
ラクスよりどこか愛らしく、溌剌とした笑顔に魅了されているファンは多い。
特に若い男性を中心として、ミーアのファンは増加の一途を辿っていた。
デュランダルとクルーゼはアズラエルも入れて私的な関係を築いているので、いつか自分がミーアに会う日も来るだろう。
もそうは考えていた。考えてはいたが。
まさかこんな初対面を果たすとはまったくもって考えていなかったのである。
運ばれてくる料理は確かに美味しい。
美味しいけれど美味しくない。その理由は間違いなくこの現状にあるとは思っていた。
「それではやはり軍事費の一割削減を?」
「国防委員長であるあなたには申し訳ないのだが、何せアスハ代表の軍事力排他宣言もあってね。ムルタも連合に働きかけると言うから、プラントと連合の両者共で少し減らそうかと思うのだが」
「いや、少ない経費で遣り繰りすることも楽しみの一つになるさ。何せ私には心強い秘書もいることだしな」
「私からもよろしく頼むよ、」
舌平目のムニエルを優雅に切り分けつつも、とめどなく交わされていた仕事の話を向けられ、は静かに頷いた。
けれど口は挿まない。挿んだら最後、墓穴を掘ることは分かっている。だからこそひたすら黙っていたというのに。
「様、ご趣味は何ですか?」
目の前の席でミーアが微笑む。隣のクルーゼとデュランダルがにやりと笑う。
質の差を感じつつも、はいつもどおり冷静に答えた。
「特にありません」
「そうなんですか?」
「はい」
相手から断って欲しいときは、手っ取り早く冷たい態度を取り続けろ。
通説ではあるが、は今まさにそれを実行しようとしていた。この際形振りなど構っていられない。
彼にとって女性とはまだ鬼門であり、出来るならば避けて通るに越したことはない存在なのだから。
故には、全力でこの『お見合い』を棄却しようと試みた。
豚バラ肉のコンフィ香り焼きが運ばれてくる。
「様はクルーゼ様の秘書をしていらっしゃるのですよね?」
「はい」
「やっぱり、ゆくゆくは議員になられるのですか?」
「はい」
「プラントの未来を守るのですね。素敵!」
「そうですか」
「私は出来るならこれからも歌手としてやっていくつもりなんです。私の歌で少しでも誰かが元気になれたらって思って」
「そうですか」
「議員として人の生活を守る夫、歌手として人の心を支える妻。素晴らしい夫婦だと思いません?」
「思いません」
「私、ずっと夢だったんです。誰かのお嫁さんになるの」
「自分以外の誰かをご指名下さい」
「その相手が様だなんてすごく嬉しいですわ! 不束者ですがよろしくお願いいたしますね!」
「お断りさせて頂きます」
「結婚式はもちろんテレビ中継して、ハネムーンは地球とプラントを一周なんていかがですか? ふふ、考えるだけでドキドキしてきちゃう」
「病院へ行くことをお勧めします」
「子供はやっぱり一姫二太郎かしら。きっと様に似て綺麗な子になること間違いないですわ!」
「自分は家庭を持つ気はありません」
「老後はのんびりと過ごしましょう。いつまでも仲良しな夫婦でいましょうね」
「ですから自分は」
カチャリ、と音がしてが思わず口を噤めば、いつの間にかデザートのクリームチーズモンブランを食べ終えたらしいデュランダルがにこやかに笑みを向ける。
「では、後は若い二人でゆっくりとしておいで。このホテルの庭は綺麗らしいから」
無言の反抗を視線に込めつつクルーゼを振り返れば、彼も紅茶を片手にへと微笑を向けて。
「いっておいで」
「ふふ、行きましょう、様!」
立ち上がったミーアが、の腕を引っ張って立たせる。
腕を絡めてぴったりと身体を寄せる彼女に、さすがはデュランダルの義娘だとクルーゼは感心した。
自分の魅力とその使いどころを良く分かっている。
だがそれもが相手では通じない。おそらく『デュランダル最高評議会議長の娘』だからこそ振りほどかないでいるが、一瞬だけ確かに眉は顰められたのだから。
「それじゃあお義父様たち、いってきまーす!」
「あぁ、いってらっしゃい」
「ゆっくりしておいで」
「はーい!」
交わされる言葉には本気で舌打ちをしたかった。
腕に押し付けられている柔らかな膨らみなど、彼にとっては邪魔なだけだった。
緑の木々が庭を囲うように植えられ、涼やかな陰を芝生に落とす。
白石の噴水から上がる水はキラキラと輝き、空の青を引き立てている。
その中でくるりとミーアが回ると、白いワンピースの裾が風に膨らんだ。
今日はいつもの露出の多い衣装とは違い、清楚な印象のドレスを纏っている彼女をいつものならば褒めただろう。
けれど今はそうするつもりはない。むしろ褒めれば自滅することは分かっている。
先ほどの会話で彼はすでに悟っていた。『ミーア・キャンベルは同じデュランダルの養い子でも、レイ・ザ・バレルほど甘くはない』・・・・・・と。
冷たくしていては埒が明かない。ここはきっぱり切り捨てるに限る。
「キャンベル嬢」
「ミーアと呼んで下さい、様。それか『ハニー』と」
「せっかくのお話ですが、キャンベル嬢。自分は誰とも結婚する気はありません。このお話はなかったことにして頂きたい」
「私がお嫌いですか?」
「好悪の問題ではありません」
「でしたら良いじゃありませんか! 様だって奥様がいれば他の女性を問答無用で断れますよ?」
「・・・・・・自分はあなたを含めて女性全般が苦手ですので」
「今、少し考えましたでしょ。大丈夫です、私、結構努力家ですから」
ふふ、と楽し気に笑って、ミーアは再びへと近づく。
伸ばされた手を、今度はも避けた。クルーゼたちが見ていない今なら多少の拒絶は許されるだろうと思って。
けれどその細腕からは想像できない強引さで、ミーアは抱きつき、首に腕を回してくる。
間近に迫った愛らしい顔にもは眉を顰めた。
ふっくらとしたピンク色の唇が、秘め事を囁くかのように開かれる。
「様を手に入れるためでしたら、私、何でもしますの。たとえば―――こんなことだって」
そっと寄せられた口付けにが手を払おうとしたとき。
ジー・・・カシャッ
一瞬のストロボとデータが記録される音。
弾かれるように振り向いた先では想像のとおりカメラを構えたマスコミ―――ミリアリアがいた。
撮った本人もどこか呆然としているその横では、顔を蒼白にしたフレイが声もなく絶叫している。
何故ここに二人が、とは一瞬思ったが、相手が顔見知りだったのは運がいい。
「ミリアリア、チップを寄越せ」
プラントの、最近は地球でも人気を博しているミーアのこんなスキャンダルを世に出すわけには行かない。
今日は最悪の一日だ、と思いながらが手を差し出すと、ミリアリアは呆然としたまま力なく首を横に振る。
そして信じられない一言を告げた。
「無理・・・・・・これ、撮った写真は即出版社に転送されるの・・・・・・」
降ってきた問題の面倒さに、はこの最悪の一日がまだ終わらないことを知った。
そんな彼に抱きついたまま、ミーアはデュランダルそっくりの笑みを浮かべてもう一度の頬にキスをした。
2005年5月3日