議会所の近くにあるレストランにて昼食を取り、クルーゼとは執務室へと戻ってきた。
机の上に置いておいたファイルを確認し、はロムと共にそれを手渡す。
「国防予算の検討案です。それと、こちらは父上が先日仰っていたZAFT・連合共同演習のカリキュラムを俺なりに組んでみたものです。よろしければご参考になさって下さい」
受け取って、クルーゼは満足そうに笑みを浮かべる。
「ありがとう。ちなみにカリキュラムのモットーは?」
「『一つの目標に向かい、皆で邁進せよ』にしました」
「その心は?」
「『質よりも量で攻めろ』、『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』です」
「なるほど、分かりやすいな」
一介のザフト兵や連合兵が聞いていたのならば泣いて逃げ出しそうな会話を、クルーゼ父子はさらりと交わす。
取り急ぎ必要な資料はすべて揃えてあることを確認し、は席を立った。
「それでは父上、本日は先に失礼させて頂きます」
「・・・・・・あぁ、そういえば今日は水曜日だったな」
目を通していたファイルから顔を上げ、クルーゼはカレンダーを見て納得したように頷く。
そしてスーツの内ポケットから財布を取り出して開き、札を一枚へと差し出した。
「これで美味しいものでも買っていってやりなさい」
「ありがとうございます」
どこの援助交際、または賄賂取引だと思わせるやり取りをして、は執務室を後にした。
水曜日の午後一時。
には週一の日課がある。
Symbol of happiness
エレカを走らせて一度自宅に戻り、準備しておいた鞄を手に再び家を出る。
そして訪れた場所は、アプリリウス・ワンの中心街にあるプラント内でもっとも大きな病院だった。
事前に約束をしているということもあってすんなりと院長室に通され、は勧められた革張りのソファーに腰掛ける。
「それで、どうでしょうか? 彼らの経過は」
尋ねると、この病院の院長であり、医学界の権威である男性医師は笑顔で答えた。
「非常に順調ですよ。オルガ・ザブナックなど、先日の検査でインプラントレベルを脱しました。クロト・ブエルは現在レベル1−、シャニ・アンドラスはレベル1+まで回復してきています」
「そうですか・・・・・・中毒症状の頻度は少なくなりましたか?」
「ええ。γ-グリフェプタン中和剤を投与すればすぐに回復しますし、拒否反応や精神異常も今のところありません。このままでいけばあと一年くらいで三人とも退院できそうですよ」
退院、とは呟いた。
先の大戦から二年。連合のパイロットでありながら、物として扱われていた彼らが、あと一年で退院できる。
人としての生活に、戻ることが出来る。今度は平和な世界に。
膝の上の手を握り締め、は目の前の医師に深く頭を下げた。
「―――ありがとうございます」
「いえ、彼ら自身の頑張りがあったからこそですよ」
温かく微笑する医師からは、コーディネーターとナチュラルの確執など感じられない。
「三人とも、本当によく頑張りました」
その言葉に、はようやく戦争が終わるのだと思った。
廊下を歩くたびに、看護士の女性から声をかけられる。
仕事中であるということを踏まえて挨拶のみのそれだが、ナースステーションでは三人の日頃の様子を口に出されて足を止めざるを得なかった。
俺は保護者か、と思いながら、は病室の前で足を止める。
ドアの横にあるインターホンを押し、名を名乗った。
「・クルーゼだ」
『!?』
『いらっしゃい・・・・・・』
『待ってたぜ。早く入れよ』
三者三様の声と共に、ドアがスライドされて静かに開く。
踏み入れた病室では、クロトとシャニとオルガがそれぞれにこちらを向いて笑っていた。
が三人のお守り―――基、観察を仰せつかったのは、停戦後すぐのことだった。
ドミニオンがアークエンジェルから主砲を放たれたとき、どこかに頭をぶつけて、ブルーコスモスの思想を綺麗さっぱり失ったアズラエルが言ったのである。
「こちらの病院に、三人を入院させようと思うんですよ」
仕事の合間を縫って、彼はクルーゼ邸を訪れていた。
紅茶を出したら「ワインはないんですか?」と聞かれて、「仕事中だろう、おまえは」と思ったのをは今も覚えている。
「我々ナチュラルよりもコーディネーターの方が医学は進歩していますからね。こちらなら彼らの中毒症状も抜けるんじゃないかと思いまして」
「なるほど、それは確かに。では、私からも口を利いておきましょう」
楽しそうに笑うクルーゼは、アズラエルの親しき友だ。
クッキーを出したら「ワインにはチーズだろう?」と言われて、おとなしくワインとチーズを用意したのをは今も忘れない。
「だけど困ったことが一つありまして」
「ほう?」
「彼らをこっちに入院させると、様子を見に来るのが難しくなっちゃうんですよ」
やれやれ、とアズラエルは掌を返して振る。
「ただでさえ理事として地球とプラントを往復しているのに、これ以上忙しくなったら過労で死んじゃいますよ、まったく」
「週に一度くらい様子を見に行って、定期的に回復状況を教えてくれる。そんな素晴らしい人が見つかればいいが」
「そうなんですよねぇ。加えて彼らに一般常識とか叩き込んでくれる学のある人なんてそうはいませんしねぇ」
「私が時間を許可するとしても、再興に励む現状じゃ誰もが忙しいだろうな」
「僕が各種手当てを払うといっても、引き受けてくれる人はいないでしょうし」
「探してもおそらく見つかるまい」
「見つからないでしょうねぇ」
「残念だな」
「残念ですねぇ」
わざとらしい言葉と、わざとらしい溜息の数々。
しかも二人して頬に手を当てて『困っています』と体現しては、ちらちらとこちらを見るのだから始末におえない。
ふう。はあ。ちらり。ふう。はあ。ちらり。
そんな擬態語がいつまで続くのか分かっていたは、舌打ちしたい気持ちを堪えながら口を開いた。
「・・・・・・自分でよろしければ、喜んでその役目を引き受けさせて頂きます」
クルーゼとアズラエルの溜息がぴたりと止まる。
戦時中の方が心労が少なかったと思うは、おそらく間違っていないだろう。
それ以来、は週に一度のお役目を欠かすことなく果たしている。
患者とはいえ中毒症状を起こしているとき以外の彼らは、健康な一般人と大して変わらない。
故に病室は一般患者よりも広く、ベッドの他に応接セットや簡易キッチン、シャワールームなどがついたワンルームのタイプのものを用意してもらった。
残り一年ということもあるし、その後のことを考えて家事も覚えさせよう。
そう考えながら、はクルーゼに貰った金で購入してきたケーキをテーブルの上に置く。
「あっ! 何それ、ケーキ!?」
嬉々として近づいてきたクロトの額を叩き、それ以上は近寄らせない。
ばたばたと暴れているのを他所に、備え付けられているコーヒーメーカーをセットする。
その頃になってようやく諦めたのかクロトもおとなしくなり、は手を離して持参してきた鞄を開く。
取り出した三枚のロムのうち、一枚をブーメランのように放った。
「オルガ・ザブナック。900点満点中、813点」
飛んできたそれを、オルガは片手で受け取った。
は残りの二枚も同様に放る。
「シャニ・アンドラス、740点。クロト・ブエル、699点」
「えーっ! また僕がビリ!?」
「ケアレスミスが多すぎる。幾何学の三割が計算ミスだ」
さっくりと切り捨てて、はオルガとシャニを振り返る。
それぞれベッドに転がって好き勝手していた二人も、立ち上がって応接セットまで歩いてきた。
座る二人と唇を尖らしているクロトに、は手元のファイルを開いて読み上げる。
「オルガは現代文学・古典文学ともに全問正解。小論文に詰めの甘いところが多々見られるが、この分野はもういいだろう。次は法学を薦めるが、どうする?」
「法学って法律とかそういうのか?」
「あぁ。今までの成績とおまえの性格から判断するに、合っているだろうからやっておいて損はない。経済学でもいいが、数学は弱いからな」
「・・・・・・悪かったな」
「数学と物理化学が足を引っ張っている。微積分くらい完璧に解けるようにしておけ」
チッとオルガは舌打ちするが、特に何も言わない。
加えられたもう一枚のロムを受け取り、肩を竦める。
「次、シャニ」
呼べば、の隣に座っていたシャニが顔を上げる。
マイペースで独自の雰囲気は変わらないが、薬が抜けることによって病的な印象は減ってきている。
言葉ではなく目や態度で心情を表す彼は、どこかステラと似ていた。
「生物学、物理学共に高得点。文学は壊滅的だが理系でこれだけ取れるならいいだろう。生物と物理、どちらを専攻したい?」
「メロンのなるキュウリ・・・・・・」
「諦めろ。農学に遺伝学を組み込んでおいてやる」
「牛味の豚・・・・・・」
「畜産業も入れておく。次、クロト」
シャニの手にもロムをもう一枚落とし、はクロトを呼ぶ。
向かいのソファーに座っている彼は目をきらきらとさせながら、を見ていて。
「代数・幾何・解析・確率・統計。単純な計算ミスは多いが理解に問題はない。物理か天文学をやってもいいが、どうする?」
「僕、もうちょっと数学やりたい。ほら、3以上の自然数nでxn+yn=znとなる0でない自然数がどうとかってやつとか」
「フェルマーの最終定理か。その前に数理哲学と数学論理学、モデル理論と数学的証明を学んでおけ」
「えーっ!」
「プラントと地球の歴史を学ばせてもいいが?」
「ごめんなさい。ちゃんとやります」
小さくなって謝ったクロトの頭にロムを載せていると、コーヒーメーカーが音を立てて淹れ終わったことを知らせる。
すぐに立ち上がってコップを用意し始めたオルガはきっとよい婿になるだろう。
結婚斡旋所も調べておくか、と客用のカップを受け取りながらは思った。
穏やかな光が、窓から差し込んでくる。
明るい声に溢れる部屋は、これからの未来で輝いている。
知らず浮かぶ笑みは平和の証。
「来週からは料理を教える。カレーの作り方を覚えておけ」
の言葉に三人が振り返る。
それぞれに不思議そうな顔をしていて、それが更に平和を実感させた。
穏やかな気持ちで、はさらりと口にする。
「料理くらい出来ないと、一年後、退院したときに困るだろう?」
ぽかんと口を開けたり、目を見開いたり、息を呑んだりする三人と共に過ごす時間が嫌いではないことを、はうすうす気づいていた。
これも停戦の余波だというのなら、悪くない。
2005年4月29日