プラント本国、アプリリウス・ワンにある最高評議会議会所の廊下をアスランは歩んでいた。
戦時中はジャスティスを駆りエターナルに属していた彼は今、地球とプラントの両者の架け橋となっているクライン派の代表護衛の任についている。
強硬派だった亡き父に反抗してまで平和の道を貫いたアスランは、今やプラントではラクスに継ぐ英雄として知られていた。
実際はそんな偉大なことをした自覚はないし、彼自身とんでもないと思っているが、やはり民衆の期待というのは大きい。
そして今彼の半歩前を行く少女には、アスランよりも大きな期待が全人類から寄せられている。
「アスラン、この後の予定はどうなっていますか?」
ピンク色の髪をなびかせ、ラクスが振り返る。
最高評議会議会所という場所に合わせ、比較的地味なドレスを纏っているが、それでも彼女はやはり周囲の目を引いた。
それはおそらく『クライン派代表』という肩書きの所為だけではないだろう。
「この後は1415のシャトルで月へ向かい、2000より地球連合産業理事との会談です」
「まぁ、では急がないといけませんのね」
「はい。軽食と着替えはシャトルの方で用意してありますので」
秒刻みのスケジュールだが、ラクスはきちんとこなしていく。
地球で武装解除を求めて働きかけているオーブの代表であるカガリも、同じような毎日を過ごしていると聞いている。
少女である彼女たちが頑張っているのだから、自分も頑張らなくては。
アスランが心中でそう思い、決意を新たに一つ頷いた瞬間、先を歩いていたラクスの動きが止まった。
不審に思って顔を上げ、そして後悔する。
彼女の纏う雰囲気はもはや一瞬前の『クライン派代表』のものではなく、完全に『恋する乙女』の物に変化していて。
髪ではないピンク色のオーラが眩しい。
「様っ!」
嬉しそうに駆け出すラクスの向こう。
議会所の入り口にあるテーブルセットの一つにかつての同僚の姿を見とめ、アスランは溜息を吐き出した。
1415のシャトルに乗れるだろうか、と予定の逆算を弾き出しながら。
My body screams for my heart!
その日、は最高評議会議員である父・クルーゼの秘書として、議会所を訪れていた。
クルーゼは国防委員会に出席しているため、その間に資料室を訪れ、今後の予定と必要と思われるデータをまとめておく。
当面の準備を終えてもなお時間が余っていたので、議会所の入り口にあるテーブルセットに座り、時折かけられる声に挨拶を返しながら今度は私的なデータを整理していた。
「・・・・・・オルガたちの回復状況をアズラエル理事に送っておくか」
メールを起動し、簡単な挨拶を打ち込んでファイルを添付する。
公的な遣り取りではないし、何度もこういったメールを送りあっているので慣れたもの。
送信完了のウィンドウを確認し端末を閉じる。丁度そのときだった。
「様っ!」
久しぶりに聞く高い声音に、は本日の議会所の使用スケジュールを頭の中に思い浮かべた。
そういえばクライン派代表と最高評議会議長の会談があったな、と考え席を立つ。
振り返れば案の定、白と紫のドレスを纏ったラクスがこちらへと駆け寄ってくるのが目に入る。
その後ろにアスランの姿も見え、は軽く会釈をした。
「お久しぶりです、クライン代表。お元気そうで何よりです」
戦時中ならば絶対にしなかったであろうの丁寧な挨拶は、間違いなくラクスが『クライン派代表』という地位に着いたからだ。
それを少し悲しく思いながらも、ラクスは微笑んでを正面から見つめる。
「お久しぶりです、様。今日はお会い出来て嬉しいですわ」
ゆっくりと歩いてきたアスランも小さく片手を上げた。
「久しぶり、」
「あぁ」
「今日は隊長・・・・・・じゃなくて、クルーゼ議員は?」
「国防委員会に出席されている。クライン代表は議長との会談でいらしたと記憶していますが」
「はい。でももう終わりましたの」
常よりもきらきらとした、恋する乙女のみが許されるオーラを纏い、ラクスは笑う。
来た、とアスランは思った。
そしてその予想に違わず、ラクスは笑顔そのままに振り返る。
「アスラン、何分まででしたらシャトルに間に合いますか?」
に向けているときは傍目から見ていても可愛らしいのに、何故自分に向けられたときはこんなにも迫力が溢れているのだろう。
心底疑問に思いながら、アスランは先程逆算して導き出した答えを告げる。
「・・・・・・10分です。それ以上は待てません」
「分かりました。ありがとうございます」
きらり。笑顔は再び恋するパワーを帯びてへ向けられる。
おそらくカガリの補佐を努めているキラも、自分と同じように脱力する場面をたくさん迎えているのだろう。
しかしへの遭遇率はカガリよりもラクスの方が高い。だからきっと自分の方がこういった面では苦労している。
アスランはそう考え、溜息を殺すように心がけながら口を開いた。
「・・・・・・車を回してきます」
邪魔をすれば後が怖いことを、彼は身を持って知っているのだ。
「、また今度ゆっくり話そう」
「時間があればな」
飾り気のない正直すぎる答えに思わず笑い、手を振る。
とりあえず10分の間に道路の渋滞情報をチェックしなければと思いながら、駐車場へ向かった。
久しぶりに会うことの出来た彼は、とても綺麗な青年になっていた。
黒い髪や目、白い肌は色艶を増し、そこはかとない色気がのストイックさを助長している。
背が伸びて男らしさを得始めていながらも、決して野卑ではなく美しい。
気を抜けば見惚れてしまいそうでラクスは困った。
隣にいてもいいのだろうか。傍から見て釣り合いが取れていなかったら恥ずかしい。
そう不安に思いながらも誘惑に逆らえず、ドレスの裾を押さえての隣の席に座る。
笑みを浮かべる必要はない。彼を前にすれば自分は、自然と微笑んでしまうのだから。
「・・・・・・お久しぶりです、様」
会えた喜びを噛み締めるように口にすれば、無表情な横顔がこちらを向く。
視線が合うと嬉しくて、頬が熱を持つのを止められない。
「お元気そうで嬉しいです。少し髪を伸ばされたのですね」
「ええ、自分は構わないのですが、家の者が似合うと言ってくれたので」
「・・・・・・・・・私も似合うと思いますわ。もちろん様はどんなお姿でも素敵でしょうけれど」
「勿体無いお言葉をです」
多少、いや結構、実はかなり、おそらくものすごく感じるところがあったけれども、ラクスは笑顔を崩さなかった。
の前で嫉妬に狂った顔を晒すわけにはいかない。それはもう乙女の意地に懸けて。
脳裏に浮かんだ赤い髪のライバルに一層の敵愾心を抱きつつ、を見上げる。
すると自分を見ていたはずの彼の視線がふと何かに気づいたのか小さく逸らされた。
ラクスもそれに従い、くるりと後ろを振り返る。
玄関ホールの左右にある階段から、背の高い議員が降りてきていた。
それはつい先程ラクスが会談していた相手でもあり、思わず名を呟く。
「・・・・・・デュランダル議長」
彼がどうしたのだろうと思って仰ぎ見れば、が本当に見ていたのは彼ではないらしく、ラクスは再びデュランダルの方へ視線を向けた。
そして彼の後ろに一人の少年が控えているのに気づく。
目にも鮮やかな紅の隊服は、ザフトのトップである証。
かつてやアスランも纏っていたもの。
長めの金髪を揺らし、目線を伏せていた少年が顔を上げる。
それによって現れた海のように青い瞳が、ラクスたちを捉えてびくりと揺れた。
隣から聞こえた小さな舌打ちにラクスは驚いて顔を上げる。
滅多に感情を表さないの瞳が、今はどこか不機嫌そうに苛立ちの色を帯びていた。
己の背後にいる少年の変化に気づいたのか、デュランダルが彼を振り返る。
そして今度は視線を追うようにこちらを向き、穏やかな微笑を浮かべてラクスとに歩み寄ってきた。
「これはこれは・・・・・・クライン代表とクルーゼ秘書官がお揃いで、デートのお約束でも?」
「そうしたのは山々なのですけれど、纏まった時間が取れなくて悩んでいたところですわ」
「お久しぶりです、デュランダル議長」
「久しぶりだね、。―――あぁ、紹介しましょう」
デュランダルの言葉に、赤服に身を包んだ少年の肩が震える。
「こちらは私の養い子で、レイ・ザ・バレル。この度アカデミーを卒業し、最新防衛艦ミネルバに配属されることが決定したパイロットです」
「・・・・・・お初にお目にかかります。クライン代表、クルーゼ秘書官」
敬礼する声にも動揺が現れていて、ラクスは微笑ましいものを見るかのように笑みを浮かべた。
「はじめまして、バレル様。ラクス・クラインと申します」
「・・・・・・・・・・クルーゼです」
名前だけ口にしたの様子はやはり不機嫌で、ラクスはその理由が判らなかった。
知りたいと思ったけれど、それが目の前の金髪の少年にあるだろうことは想像ついたので、彼の前で尋ねることは控える。
それに手首の時計はもうすぐ10分間のタイムアウトを示そうとしていた。
「・・・・・・もう行かなくてはなりませんのね」
名残惜しげに立ち上がると、ドレスの裾を持って優雅に一礼する。
「それでは失礼致します。デュランダル議長、バレル様」
「どうかお気をつけて。連合産業理事によろしくお伝え下さい」
「はい、必ず」
頷いて、ラクスはを振り返る。
その表情は笑顔だけれども別れの悲しさを秘めていて、デュランダルは軽く目を見張った後で得心した。
「様も、どうかお元気で。お体にはどうかお気をつけ下さいね」
「クライン代表もお気をつけて」
自身も立ち上がり、そう言ってくれるの言葉は嬉しい。
だけど思わず続けてしまったのは、もしかしたら牽制だったのかもしれない。
赤い髪のライバルに対して、金髪で気の強いライバルに対して。
そして今ここにいる、金糸に赤服の彼に対して。
宣誓するかのようにラクスは告げた。
「様、お別れのキスはして下さらないのですか?」
眉を顰めた顔を見るのは、結構久しぶりかもしれない。
どんな顔も好きだな、と思いながら返されるだろう言葉を予想する。
そしてそれは違えることなく与えられた。
「そういった行為は恋人にお望み下さい」
「いないから様に望むのですわ。戦場を生き抜いてきた加護を、私にも分けて頂きたくて」
「あぁ、それはいい」
援護するかのようなデュランダルの言葉に、は鋭く彼を一瞥した。
けれど穏やかな笑みを返され、心中で舌打ちする。どこか父親と似ているデュランダルが、はあまり得意ではない。
「クライン代表はお立場から移動されることが多いし、それだけ危険な御身でしょう。ですが優秀な元パイロットであるクルーゼ秘書官の加護を頂ければ、それだけで心が休まられるかもしれませんね」
「でしたらアスランでも構わないかと思いますが」
「私は様がいいのです」
もしここに記者がいたのならば、明日の見出しを飾っても不思議じゃない言葉を、ラクスははっきりと口にする。
はざっと周囲を見回して異常な行動を取る者がいないことを確認し、すっと目を細めた。
冷ややかな雰囲気が強まるその仕種も、今では慣れてしまっている。後数秒で彼が折れてくれることも。
「・・・・・・分かりました」
だけどまだ、触れる指先には胸が高鳴る。
手の甲にそっと寄せられる唇と、言葉だけでも無事を願ってくれるの態度に。
「どうかお気をつけて、クライン代表」
心がどうにも止まらなくて、身体が勝手に動いた。
視界の隅で金髪の少年が目を剥いたようだったけれど、気にしない。
間近になった漆黒の瞳ににこりと笑う。
「またお会いしましょう、様」
頬を彩るピンクの跡はそのための淡い約束。
運転手に制限速度ぎりぎりで飛ばしてもらっている車内は、右に揺れ左に揺れ、戦時中のMSさながらである。
けれどラクスは乙女オーラで身を守っている所為か笑顔のままで、うっすらと頬を染めている様子はとても可愛らしい。
可愛らしいが、色々な意味で恐ろしい。出来れば近づきたくないと心から思う。
「アスラン」
祈っている端から名を呼ばれ、アスランは息を呑んだ。
「・・・・・・何でしょう、ラクス」
「今日はどうもありがとうございました」
「いえ、喜んで頂けたのならそれで」
答えを返しつつ心中で涙する。だが、これでしばらくは大人しく仕事をこなしてくれるだろう。
不足で彼への想いを吐露するのを移動中のシャトルの中でずっと聞き続けなくても済むだろう。
それだけで十分だと自分に言い聞かせ、アスランは頷く。
しかし後日、ラクスがに会えたことをカガリに自慢し、その余波が彼女の補佐を務めるキラに直撃し、彼から愚痴ばかりの通信が入ることなど、今のアスランは全くもって知る由もなかった。
2005年1月27日