大学のキャンパスを、フレイは颯爽と歩いていた。
赤く艶やかな髪を翻し、ヒールを鳴らして歩く彼女を振り返る者は多い。
男から向けられる惚けた眼差しも、女から向けられる羨望の視線も。
昔ならば気にしただろうが、今のフレイは違う。
他人からの賞賛などでは動じない、自分自身が己に持っている意志がある。
「フレイ!」
声をかけられて振り返ると、同じゼミを取っている少女がこちらへと向かってきていた。
「ねぇ、今日の授業はもう終わったでしょ? これからみんなでお茶しに行こうかって言ってるんだけど、フレイも行かない?」
友人の向こうでは、顔を知っている数人の男女がこちらを窺っている。
その様子に少しだけフレイは苦笑した。
「ごめん。今日はこれから用事があるの。また誘ってくれる?」
「そっか・・・・・・。あ、もしかして」
「何?」
首を傾げれば、少女はからかうような笑みで聞いてくる。
「―――デート?」
「うん、そう」
さらりと頷いて、フレイは笑った。
華やかに、けれど芯のある笑顔に、まさかと思って問いかけた少女だけでなく、遠目から彼らを見ていたクラスメイトたちも目を剥いた。
けれどそれに気づかず、フレイはキャンパスの正門に視線を走らせてパッと目を輝かせる。
見ればエレカがちょうど到着し、すらりとした影が車内から出てきたところだった。
「ごめんね、じゃあまた明日!」
手を振って、フレイは走り出す。
同年代の男と思われる相手に抱きつき、腕を絡めてエレカで去っていく姿に、その場にいた生徒たちは騒然とした。





Vivid Life





「誰と誰がデートだって?」
エレカの運転席からの問いかけに、フレイはちらっと舌をひらめかした。
今は義理の兄妹であり、大切な人の一人であるに、明るく笑う。
「いいじゃない。私との二人で買い物に行くんだから。立派なデートでしょ?」
「俺が、フレイに付き合って、父上へのプレゼントを選びに行く。一般的に称する『ただの買い物』だ」
は私が相手じゃ不満なの?」
「満足不満足の問題じゃない」
あっさりと切り捨てられ、フレイはむっと頬を膨らませる。
戦争を経て格段に成長し、今や少女を抜け出し女性となりつつある彼女も、の前では容易く幼さを覗かせる。
それは、フレイがそれだけのことを信頼し、どんな自分でも見せているということだった。
「だって私、のことが大好きだもの。デートだって言うくらい、大目に見てくれてもいいじゃない」
「だからって俺を断る理由に使うな。この前のパーティもそうだ」
「でも、本当のことよ?」
ふふ、と口元に手を当てて笑うフレイは、先日行われた停戦一周年記念セレモニーに参加した際、誘われたダンスをすべて断った過去を持つ。
外見以上に中身が成長した彼女はとても魅力的で、評議会議員を務めるクルーゼの義娘ということも手伝って、かけられる声はそれこそ山のようだった。
けれど相手たちに向かって、フレイは艶然と微笑んでただ一言こう述べた。
「『私、以上の人としか付き合う気はないの』」
あのとき男たちを固まらせたのと同じ言葉を囁くフレイに、は軽い溜息を吐き出しながらハンドルを切る。
車はショッピングモールの駐車場へと入っていった。



今日は午前のみで仕事を終えたは、午後からフレイに付き合う約束をしていた。
彼女が自分を引き取ってくれたクルーゼにプレゼントを贈りたいというので、その品を一緒に選ぶためである。
いつもならカタログで済ませることも多いが、今回だけは二人とも店に足を運ぶことにした。

なぜなら今回のプレゼントは、フレイが自らアルバイトをして、稼いだお金で買うものだからだ。

クルーゼの家に引き取られてから、フレイは再び大学に通いだした。
人類学をゼミのテーマに選んだ彼女は、今はナチュラルとコーディネーターの両者について勉強している。
過去の歴史から、その間にある溝、両者の身体的機能だけでなく心理面での差や問題など。
おそらくどんなに時が流れても解決できる問題ではないとフレイは思う。けれど、歩み寄ることは出来るはずだ。
だってこんなにもコーディネーターを憎んでいた自分が変わることが出来たのだ。だから、きっと。
そう考えてフレイは毎日を生きている。今はもう父親に甘やかされて、世間知らずだった子供ではない。
自分の頭で考えて、心で感じて、この足で歩いていく。
その第一歩が、アルバイトだった。
自分の力でお金を稼ぐ。子供だった頃には考えられなかったことを、フレイは自ら望んだ。

フレイたちクルーゼ一家は、プラントの中枢であるアプリリウス・ワンに住んでいる。
停戦してからはナチュラルの移住者も増えてきているが、やはりコーディネーターが多いこの街で、ナチュラルのフレイが仕事を見つけるのは大変だった。
いくつか断られて、結局ありついたのは大学で紹介してもらった家庭教師。
コーディネーターはナチュラルよりも覚えがいいから私に教えられるかしら。
そう呟いたフレイの肩をクルーゼは優しく叩き、は彼女が自信を持てるようになるまで予習に付き合った。
相手先の家庭はコーディネーター第一世代の両親と第二世代の子供で、最初はフレイのことを訝しがるような目で見ていたけれど、それも数日間通ううちに彼女の人となりを認め、温かなものへと変わっていった。
『フレイ先生に教えてもらえてうれしい』
小さな教え子がそう言ってくれたとき、フレイは涙が零れるのを止めることが出来なかった。
そう言ってもらえる自分がとてもとても嬉しかった。

変わることが出来て、本当に良かった。



「お父様には何がいいかしら・・・・・・。やっぱりカフスとかネクタイ? あまり高いものは買えないけど・・・・・・」
紳士用品売り場を見て回るフレイは、今も家庭教師のアルバイトを続けている。
子供が好きだということも、成長して初めて判った自分自身だ。
「父上はフレイの選んだものなら何でも喜ぶだろうな。感激して涙を流すかもしれない」
「もう! 真剣に考えてよ。本当はの分も買いたいんだから」
「俺はいい。フレイも買いたいものがあるだろ? 無理するなよ」
「・・・・・・って言われるだろうと思ったから、やめたの。にはまた次の機会にするわ」
少しだけつまらなさそうに、フレイは肩を竦める。
一緒に暮らすようになって知ったことだが、は物欲があまり・・・というか殆どない。
基本的に自ら進んで何かを手に入れたりすることはなく、意外にも受身的な人間だった。
クルーゼは時折のことを『押しに弱い』と表現するが、それは当たってるとフレイも思う。
だからこうして何だかんだ言いつつもショッピングに付き合ってくれたり、大学までエレカで迎えに来てくれたりするのだ。
大切で大事な人。そんな彼の傍にいられることが、フレイはとても幸せだった。

ピンと来るものがなかったので、エスカレーターで一つ上の階に上がる。
そしてすぐ目に入ってきたものにフレイは駆け寄った。
両手で持ってみて、目の高さに掲げて。
! 私、これにするわ!」
振り返るとは、少しだけ首を傾げて歩いてくる。
「・・・・・・マグカップ?」
「そう! これならそんなに高くないから三つ買えるもの。お父様の分と、の分と、私の分」
手に持っている黄色のものと、展示されているグレーのものと、赤いもの。
底が丸くなっている可愛らしいそれは三つとも同じタイプのもので、一目で色違いだと判る。
家族で同じものを持ちたいのだろう。そのフレイの気持ちに、は珍しく目元を綻ばせた。
一瞬で華やいだものに変化した彼の雰囲気に、フレイは思わず見惚れ、慌ててカップを握り締める。
「わ、私、買ってくる!」
三つのカップを危なっかしい手つきで持ち、レジへ走る。
ラッピングを頼み、自分の財布からお金を出して払う後ろ姿を眺め、はこの後紅茶とケーキを買って帰ることに決めた。



一日の仕事を終えて帰宅したクルーゼを待っていたのは、色違いのエプロンを身につけた息子と娘だった。
フレイは髪と同じ赤いものを、は髪の色に白を混ぜたグレーのものを着て、玄関まで出迎えに来た。
クルーゼは二人を見つめ、朗らかに口元を緩める。
「お帰りなさい、お父様!」
「ただいま、フレイ」
「お帰りなさいませ、父上」
「ただいま、。そのエプロンは二人で買ったのかい?」
眼差しを受けては頷き、その隣でフレイは満面の笑みを浮かべる。
「お父様の分もあるのよ。お父様はお料理しないけれど、やっぱり三人一緒がよかったから」
「ありがとう、フレイ」
穏やかに会話を続けてリビングに向かえば、美味しそうな匂いが漂ってくる。
スーツのジャケットを脱ぎ食堂に入ると、豪華な夕食がテーブル一面に並べられていた。
今日はお手伝いである女性は休みを取っているので、おそらくが作ったのだろう。
見目にも美味しそうな皿たちの中に少しだけある不恰好なものはフレイ作に違いない。
それでも引き取った当時よりは格段に上達している腕前に、クルーゼは仮面の下で目を細める。
席に着く前に一言褒めようと振り返り、けれど言葉にはせず、代わりにとても優しく口元を綻ばせる。
自分に向かって、丁寧な仕種でラッピングされた箱を差し出してくるフレイに対して。
「お父様・・・・・・これ、私が自分でアルバイトしたお金で買ったの。お父様には、本当に言葉に出来ないくらい感謝してるから、その、せめてものお礼に」
少し頬を高潮させてそう言うフレイの顔には、充実感と自身への誇りを感じさせる。
戦時中の無知ゆえの幼さはなく、今はとても輝いた瞳をしている。
軽く目線を上げればフレイの向こうに立っているが見え、柔らかなその眼差しにクルーゼも同じく微笑を浮かべた。
こういったとき、本当に。

戦争が終わりを迎えて、自らも変わることが出来て、本当に良かったと思うのだ。

「ありがとう、フレイ」
プレゼントがクルーゼの手に渡ると、フレイはパァッと笑顔になった。
父親への甘えを満面に浮かべているそれは家族の前でしか見せない顔で、フレイ自身意識はしていないが、ひどく愛らしいものだった。
愛でるだけではない、見守って一人で立たせてやる娘に対してクルーゼも笑い、リボンを解きにかかる。
「それね、マグカップなの! のと私のも色違いでお揃いなのよ」
「夕食の後にそれでお茶を入れましょう。ケーキも買ってきてありますから」
次々と娘と息子に言われながらラッピングを解くと、黄色のマグカップが出てきた。
お世辞にも高そうなものとは言い難かったが、何よりもフレイの気持ちがクルーゼとにとっては嬉しかった。
「なるほど。私は黄色なのだね」
「そう。お父様が黄色、がグレー、私が赤。それならいくらでもお揃いが持てるでしょ?」
「とりあえず夕食にしましょう。フレイ、スープをよそって」
「はーい」
並んでキッチンへ向かう二人の後ろ姿を眺めながら、クルーゼは黄色のマグカップを見つめ、手に良く馴染む感じに満足そうに笑った。

明るい家族と、温かな時間。
穏やかな心と悲鳴をあげない身体に、本当に思う。



―――変わることが出来て、よかった。





2004年11月11日