全身を包む冷ややかな液体。
細かな気泡の向こうに広がる薄暗い世界。
手足さえ伸ばせない。開いた目すら閉じられず。
何もない空間に、ただいた。

自分は生きていなかった。





reason for fight of living





震えていた
目を閉じれば最後、世界が終わると思っていた
けれど開いていれば、見えるのは絶望ばかり
広がり続ける闇に飲まれる
嫌だ、消えたくない
助けて

たすけて、だれか





「―――
弾かれるようには瞼を開いた。零れた雫が頬を伝い、冷たい跡を残していく。
無機質な天井が目に入り、それよりも手前に広がっている金色。
変わらない仮面が見えて、さらに涙が零れた。
ぼろぼろと声もなく、目を見開いたまま涙する様子に、クルーゼは苦笑しながらベッドに腰掛け、肩を抱き寄せた。
首筋に顔を埋めるようにして縋り付いてくる姿は、優秀な副官でもパイロットでもない、ただの子供で。
優しく背中を叩いてやれば、白い隊服の裾をぎゅっと握られる。
「大丈夫だ、おまえはここにいる」
黒髪をすいてやり、手袋を外した手で温かな体温を分けてやる。
そうすることでようやく息を吐き出したを、可愛らしい子供だとクルーゼは思う。
自分の抱えている憎悪と謀略を知っていながらも、ついてきてくれると言う。
望んで底のない闇へ落ちてきてくれた。出来ることは何でもする、好きなように使ってくれ。告げた漆黒の瞳は星を映した夜空のように純粋だった。
その目に見つめられることに罪悪感を覚えなかったわけではない。だが、それ以上に喜ばしい気持ちがクルーゼを満たした。
良い意味でも悪い意味でも、この子供は使える。そしてそれを本人も自覚している。
擬態することなく己を曝け出せる相手がいるということがどんなに心休まることか、クルーゼはに出会って初めて知った。
「やはり連れてくるべきではなかったな。これから私とイザークは偵察に出るが、その間は休んでいなさい」
「・・・・・・大丈夫です、俺も出ます」
「私が心配なのだよ。良い子だから大人しくしていたまえ」
含み笑うように言われては、眉を顰めつつも頷かざるを得ない。
汗で額に張り付いている黒髪を解き、宥めるように頭を撫でてもう一度ベッドに横にならせる。
布団の上から優しく叩き、安心させるように笑って。
「足つきと連合の状況を見極め次第、すぐに戻ってくる」
無垢な瞳を和らげ、も微笑み返した。
「いってらっしゃいませ・・・・・・クルーゼ隊長」
血を分けることで親子になれるというのなら、この体中に蔓延る血管を差し出しても惜しくないのに。



全身を包む冷ややかな液体。
細かな気泡の向こうに広がるオレンジの世界。
手足さえ伸ばせない。言葉すら発せられず。
何もない空間に、ただいた。
自分は生きていなかった。

命を与えてくれたのは、唯一人。



あなたのためならば命も身体も心さえも差し出そう。



「――――――っ」
胸騒ぎがしては身を起こした。枕元のデジタル時計を見れば、クルーゼが部屋を出てから30分くらいの時間が経っている。
そう判断した瞬間、心臓が鷲掴みされたかのように悲鳴をあげた。
これは、ここに来ているからではない。過去ではなく闇ではなく、光が。
光が消えてしまいそうな、そんな予感が。
「・・・クルーゼ隊長・・・・・・?」
名を呼べばさらに心が騒ぎ、はいてもたってもいられなくなってベッドを出た。
隊服の上着を纏うことさえせずに部屋を抜けて強く壁を蹴る。
心が、手が、身体が震える。
こんな不安を自分に与えるのは一人しかいない。その彼に何があったのか。
分からない現状に唇を噛み締める。やはり無理でもついていけば良かった。
ドッグに着けば、ゲイツとデュエルの姿はない。まだ帰ってきていない。すぐ戻ってくると言ったのに。
「ジンを出せ!」
常に冷静で義務的な副官のらしくない声音に、ドッグにいた整備員たちは戸惑うように顔を上げる。
「俺が乗る! 早くしろ!」
「で、ですがアデス艦長の許可は・・・・・・」
「黙れ! いいから早く―――・・・・・・っ」
埒が明かないと判断し、は言葉半ばで手摺を越え、残されていたジンのコクピットに乗り込む。
シートに座りながら起動スイッチを押し、慌てふためく整備員たちの声を遮るようにコクピットを閉めた。
震える。怖い。怖い。怖い。だけど。
!? 君には待機命令が・・・・・・』
「うるせぇっ! 、ジン出撃!」
映像を繋げて制止をかけてきたアデスにも取り合わず、は力の限りレバーを引いた。
カタパルトを抜け、重力の負荷が緩んだ途端、目の前に大きなコロニーが広がる。

「・・・・・・・・・メンデル・・・・・・」

呟いた声は今にも泣きそうで、操縦桿を握る手は震えていた。
恐ろしい。怖い。このコロニーは嫌いだ。
だけど、だけど。



そんなもの、あなたを失うことに比べれば。



高速のジンは宇宙を切り裂くように駆けていく。
焦る気持ちと募る不安を堪えるように、は強く唇を噛んだ。
けれどそれもすぐに弾け飛ぶ。

フリーダムの放ったビームライフルが、ゲイツの装甲を貫いた。



――――――光が消えてしまう、そんな予感が



「・・・・・・キラ・ヤマト――――――ッ!」
唯一を願う叫びが、始まりの星に響いた。





2005年5月15日