あなたが信じろと言うのなら、愛さえも信じましょう。
あなたが裏切れと言うのなら、神さえも裏切りましょう。
俺のすべてをあなたのために。この世のすべてをあなたのために。
捧げるのだと、一番最初に決めたのだから。
だから、いらない。
それ以外何も、欲しくない。
DO
この場面を予測していなかったわけじゃない。
むしろしていた。自身ではなく、クルーゼが。
『プラントに戻ってくるヴェサリウスを―――を前に、ラクス・クラインが動かないはずがない』
含み笑いを浮かべている様子は、とても楽しそうだった。
『彼女は反逆者として手配されているが、必ずその逃亡を助ける仲間がいる。もしもそいつらが近づいてきたときは、大人しくついていってやりなさい』
笑みに睥睨を混ぜて、楽しそうに。
『引導を渡してやれ。愚かで盲目な、あのラクス・クラインに』
訪れた最高評議会議会所で、はザフトの隊服を着た男たちに拉致された。
銃を向けられ、「死にたくなければついて来い」と言われ、大人しく車に乗せられて走ることしばし。
無抵抗なに男たちは訝しげに眉を寄せていたが、それもまもなく終わる。
が連れてこられた場所は、古ぼけた建物だった。
おそらく昔はコンサート会場にでも使われていたのだろう。並べられている数多くの椅子が今は埃をかぶっている。
そしてそのステージに、彼女は立っていた。
「お久しぶりです、様」
「お久しぶりです、クライン嬢」
「怪我などされていませんか? 体調など、崩されていらっしゃいませんか?」
「ご心配下さりありがとうございます。自分は万全です」
「そうですか。それは良かったですわ」
はんなりとラクスが微笑を浮かべ、後ろに控えていた男たちに視線を送る。
銃を構えて二人の会話を見守っていた男たちは、まだ警戒しながらもホールから出て行った。
けれど気配が遠ざかっていないことに、ホールのすぐ外で見張っているのだろうとは見当をつける。
これではどちらが犯罪者か分からない、と思いながら。
「もうすでにプラントを出ていらっしゃるものだとばかり思っていましたが」
「ええ、時間がないとは言われたのですけれど、どうしても様にお会いしたくて」
「自分に何か御用でも?」
「もう、分かっておいでなのでしょう?」
どこか悲しげに呟いたラクスは、漏れ入ってくる光の中でそっと目を伏せた。
白く細い両の手を胸に重ね、ゆっくりと深く、息を吸って。
―――眼差しを、上げる。
「私は・・・・・・ラクス・クラインは・様が好きです。ずっとお慕いしておりました」
頬を僅かに紅潮させ、想いを告げる彼女は確かに愛らしいのだろう。
――――――けれど。
「ですから、どうしても様に思い止まって頂きたいのです。戦うばかりでは戦争は終わりません。悲しみの連鎖を誰かが止めなくてはならないのです。ですからどうか・・・・・・どうか、私と共に来て下さい」
あの方の元を、離れて。
埃と木漏れ日、古ぼけたステージで歌うヒロイン。
世界のために過去を捨て、正義と平和を唱えて戦え。
あなたは呼ばれるだろう。『ヒーロー』と。
『戦争を終結に導いたヒーロー』と、呼ばれるその日のために今。
この手を取れと、彼女は言う。
は笑った。とてもとても綺麗に、それこそラクスが見惚れるほどに。
美しく妖艶に微笑み、彼はそっと柔らかに囁く。
「たいした夢想家だな、ラクス・クライン」
・・・・・・愚かにも程がある。
表情を強張らせたラクスに、は嫣然と微笑みかける。
上げられた口角は優しさや慈愛などではなく、侮蔑と睥睨を表している。
「俺にクルーゼ隊長を裏切れだと? それが本気の誘いなら、俺も随分と見くびられたものだ」
くすりと笑みを含んだ声は酷く穏やかで、返って嵐の予兆を感じさせる。
一歩踏み出された足に気圧されるように、ステージ上でラクスが無意識のうちに一歩下がった。
その様子に笑みを深める様も、美しすぎて恐怖を募る。
「悲しみの連鎖を誰かが止めなくてはならない。なるほど、それは正論かもしれないな。だが、何故そこで『俺が』連鎖を止めなくてはならないんだ? 『誰か』ならば別に俺じゃなくてもいいだろう? 例えば、俺が殺した誰かの身内でも」
「それは―――・・・・・・!」
「それは?」
先を促す声音は冷ややかで甘い。
握り締めていた手がいつしか震えていることに、ラクス自身気付いているのか。
「俺一人が誰かを殺すのを止めたとして、それで本当に戦争が終わるとでも思っているのか? ナチュラルとコーディネーターの未来は俺一人の意思にかかっていると言うのか? 違うな。戦争はこの世の生き物すべてに等しく降りかかっている現実だ」
「・・・・・・そうかもしれません。でも」
ステージに上がってきたから距離をとりつつ、ラクスは懸命に意思を綴る。
「一人では無理でも、それが二人、三人と、もっと多くの方たちに伝われば可能かもしれません。戦争は確かに誰にとっても等しく悲しい問題です。だからこそ私たちは協力してそれを止めることが出来るはずなのです」
「所詮、理想論だな」
「ですが平和を願う方が多いのは事実です。誰しも戦争をしたいと思っているわけではありません。始まってしまった戦争を早期終結させ、人々が平和に暮らせる世界を―――・・・・・・」
「その『平和』だが」
早口で述べられるラクスの言葉を鷹揚に遮り、は肩を竦めた。
どこかからか漏れ入ってくる光が降り注ぎ、あたかも二人はスポットライトを浴びているかのようだった。
薄暗い世界の中で照らされながら、は緩やかに意思を告げる。
「俺にとっては『世界中の人間がすべて死んだ世界』が平和だが、おまえにとっては違うのだろう?」
別々の光の中で、互いに輝きを放ちながら。
愛らしい顔を蒼白に変えたヒロインに、決別を。
「俺の幸せは俺が決める。そしてそれはこれからも変わらない」
ラクスの目の前に立ち、おそらく最初で最後、は彼女に本心を告げる。
「俺の人生は、ラウ・ル・クルーゼただ一人のものだ」
愛も神も信じない。
あの人さえ在れば、それでいい。
「あの方の邪魔をするものはすべて殺す。それが俺の幸せだ。―――だから」
おまえなど、いらない。
ドアの軋む音がし、足音が遠ざかる。行かないで、と心は叫ぶのに何も言えない。
彼の闇を目の前にして、足が竦んだ。闇色の目に晒されて己を保ちきれなかった。
その先には破滅しかないと分かっているのに、止めることが出来なかった。
「ラクス様・・・・・・」
ダコスタの心配げな呼びかけにも、言葉を返すことが出来ない。
ただ、涙だけが頬を流れて。
薄汚れたステージにしゃがみこみ、ラクスは顔を手で覆った。
細く綺麗な指の合間から、雫が溢れては床に落ちていく。
もはや、名を呼ぶことさえ出来ない。
彼女の愛は届かなかった。
この瞬間、二人は確かに隔たれたのだ。
2005年5月2日