「お帰りなさい、アンディ。それにも」
出迎えに出てきたアイシャが、嬉しそうにバルトフェルドとハグを交わす。
「ただいま、アイシャ」
「・、只今戻りました」
二人の抱擁にキラとカガリは目を点にしたが、は暫時の上司である彼女に敬礼する。
客人の二人を目にしたアイシャは、ふと何かに気づいたかのように長い睫を瞬いた。
すっと細められた瞳は、の下げている紙袋に注がれている。
服屋の白いそれに目立つ、毒々しい赤。
不満そうに膨らむ頬が破裂する前に、は涼しい顔でさらりと述べた。
「この紙袋への文句はバルトフェルド隊長にどうぞ。隊長がテロに巻き込まれた所為で血が付着したのですから」
「ふぅん・・・・・・アンディ?」
にこり、と魅惑的な表情でアイシャが微笑みかける。
美しいからこそ迫力のあるそれに、バルトフェルドは軽く口元を引き攣らせる。
「ア、アイシャ―――・・・・・・」
「、その子にバスと服を用意してあげてね」
謝ろうとしてくる相手を切り捨てて告げられた次の命令に、は一礼で答える。
手の中の紙袋を持ち直してから首だけでカガリの方を向き、顎をしゃくる。
「ついてこい」
「えっ? あ、あぁ」
「、僕は・・・・・・?」
縋るように尋ねてくるキラには、背中越しに。
「しばらく待てば終わる」
それだけ言い捨ててさっさと歩き出す。
カガリは途方に暮れるキラと取り込んでいるアイシャとバルトフェルドを見やってから、小走りでの後をついていった。
The sun says "Please don't disappear."
案内されたのは、元はスイートルームかと思われるホテルの一室だった。
広々とした室内には本格的なキッチンや応接室まで設置されていて、壁紙や調度品一つをとっても豪華なものばかりに、カガリは感心しながらきょろきょろと視線を巡らせている。
は持っていた紙袋をローテーブルの上に置くと、さっさとまた違う扉を開けて入っていってしまう。
追いかけるべきかとカガリは少し悩んだが、答えを出す前にが戻ってきた。
「バスタブに湯を張っている。服を用意してくるから先に入ってろ」
一言告げて、さっさと部屋を出て行く。
の言い方は、相手に反論させない。簡単に言えば高飛車でムカつく。
上司であるらしいバルトフェルドとアイシャには敬語を使っていたが、それも何かしら含みのある慇懃無礼なものだった。
「なんなんだよ、アイツ・・・・・・」
カガリはぶつぶつと文句を言いながらも、とりあえずはケバブのソースを落とそうとバスルームに向かった。
アイシャが自室にしている部屋に入り、はクローゼットを開ける。
「・・・・・・どう考えても同じサイズは無理だな」
たくさん並んでいる服を一瞥し、とりあえず身体のラインが目立つものはすべて却下だと判断した。
緩いドレスならば多少は誤魔化せるか、などとやはりカガリにとってみれば失礼千万なことを考えて衣服を漁る。
ハンガーにかけられているドレスを一枚一枚チェックして。
脳裏にカガリの姿を思い浮かべた。ケバブのソース塗れではあったが、あの金色の髪は綺麗な色をしていた。
そう考えて、数ある中からは淡いグリーンのドレスを選び出す。
そしてジュエリーボックスを前にしてふと考え込み。
「・・・・・・どうせだから派手に着飾らせて、凹凸のないスタイルを誤魔化すか」
蓋を開けていくつか手に取るは、激しく間違った方向で女性に親切だった。
一方、大きな部屋に見合った大きなバスルームのバスタブで、カガリはのんびりとお湯に浸かっていた。
入浴剤まで入れてくれたらしく、白いお湯が彼女が動くたびに波紋を描く。
砂漠であることを考慮して、入浴剤は水分保湿の高いものをが選んだのだが、カガリはそれを知らない。
ただ久しぶりの広いお風呂に頬を緩めて、思う存分に足を伸ばしていた。
塗れてぺたりとしている金色の髪から水滴が零れ、首筋を伝う。
体中が温まり、キラを待たせるのも悪いと思いそろそろ出ようかと立ち上がる。
用意されていたバスタオルを取ろうと手を伸ばしたとき、カガリは鏡に自分の姿が映っているのに気づいた。
大きな鏡は湯気に煙ることなく、彼女の全身をそのままに現していて。
「・・・・・・・・・そんなに胸、ないか・・・・・・?」
胸元に手をやって呟くカガリは、少年に間違われることが多いとはいえ、やはり女の子なのだった。
用意してあったタオル地のバスローブに腕を通しカガリがバスルームを出ると、ちょうどが戻ってきたところだった。
ちらり、と視線だけ寄越して奥へ行くに、カガリはむっと眉を顰める。
「おまえなぁっ!」
乱暴にバスローブの裾をはためかせて後を追った。
声を荒げても振り向かないに、ますます苛立ちを感じて。
「その無愛想な態度、どうにかしろよ! そりゃ確かに・・・・・・っナチュラルが嫌いなのは判るけど!」
目の前の男はバルトフェルドを『隊長』と呼んでいた。そのことから彼がザフトの軍人だということは判る。
それゆえの冷たい態度だとカガリは思ったのだが、ベッドに着替えを置いて振り向いたは意外な一言を返した。
「別に。俺はナチュラルは嫌いじゃない」
「な・・・っ!?」
「好きでもないけどな」
「じゃ、じゃあ何でザフトに入隊してるんだよ!? 好きでも嫌いでもないんだったら戦争なんか参加しなくてもいいだろっ!」
訳が判らないと叫ぶカガリを、は冷めた目で見つめる。
彼にとって自明の理であることを、変わらぬ表情でただ告げる。
「やりたいことがあるから」
5分で戻るから、その間に着替えておけ。
そう言って再び部屋から出て行くを、カガリは呆然と見送った。
きっかり5分後に戻ってきたに、こいつは一体何々だ、という顔をカガリは向ける。
理解不能だ。ナチュラルやコーディネーターがどうのという以前の問題。性格的に得体が知れない。
けれど文句を言うよりも先に、の後ろから現れたアイシャによって声が上げられた。
「あら、せっかく可愛い格好してるのに、そんな顔じゃ台無しよ?」
「かわ―――・・・・・・っそんなことより、何々だよそいつ!」
ビシッと指差した先には、やはり変わらぬ表情のがいる。
化粧台からブラシを取り出している彼を一瞥し、アイシャはとても楽しそうに笑う。
「何って、なぁに?」
「コーディネーターでザフトにいるくせに、ナチュラルは嫌いじゃないとか言うし、やりたいことがあるとか言うし! こんな部下を持ってるなんて『砂漠の虎』は甘いんじゃないのか!?」
「はアンディの部下じゃないわ。今の彼は私の部下」
「そんなことはどうでもいいんだよっ! キラはどこだ!? 無事なんだろうな!?」
カガリの訴えを冷たい声が遮る。
「うるさい。座れ」
「〜〜〜〜〜〜だからその言い方をどうにかしろ!」
「黙れ。座れ」
微妙に言い方を変えて、カガリの腕を掴み無理やり椅子に座らせる。
その顎を掴んで乱暴に自分の方を向かせると、化粧水のたっぷり染み込んだコットンを押し当てる。
突然の冷たい感触にカガリは小さく肩を震わせ、慌てて目を閉じた。
前髪をどかす指と、コットンで柔らかく頬を叩く手。
自分でもあまりしない、ましてや誰かからされるのは初めての行為にカガリの頬が自然と熱くなっていく。
しかも相手は男で、ザフトの軍人で、ここは『砂漠の虎』の本拠地で。
動揺している自分を知られたくなくて、カガリは小さく唇を噛んだ。
けれど紅くなっていく頬を止めることは出来ずに、おそるおそる薄目を開ける。
羞恥が好奇心に負け、警戒が優しい触れ方に崩れたのだ。
頬に塗られる乳液の感触。耳元に添えられている冷たい指先。
そして震える睫の先、視界が揺れる。
それは近すぎてぼやけていたのだと、後で気づいた。
まるで口付けるかのように、寄せられた顔。
その美しさと、瞳の深さに。
奥底にある、闇に。
―――気づいてしまった。
この男はいつか、己を捨てる。
誰かのためにその身を投げる。
周囲の心など気にせずに
勝手に一人、満足して死んでいく。
こいつは、そういう男だ。
戦場にいさせちゃいけない
「―――っ」
カガリが唐突にそう思い立って息を呑むのと同時に、の手が彼女の頬から離れる。
最後にもう一度軽くブラシを通し、化粧箱の蓋を閉めてアイシャを振り向く。
「終わりました」
「そうね、まぁまぁじゃない?」
「ありがとうございます」
アイシャは唇を楽しそうに吊り上げて、カガリを見つめる。
淡いグリーンのドレスは金髪によく映えている。薄く塗られた化粧は派手じゃないが、決してカガリの持つ眩しい雰囲気に負けていない。
あくまで地味に、けれどしっかりと艶やかに変えられた少女に満足そうに頷いた。
「それじゃ、そろそろ行きましょ? そろそろアンディたちが待ち侘びてそうだもの」
「―――あ・・・キラ・・・・・・っ」
そこでようやくカガリはキラの存在を思い出し、慌てて立ち上がる。
けれど慣れないドレスの裾に足を取られバランスを崩した。
その身体を隣から伸びてきた腕が支える。
顔を上げるとすぐ傍での黒髪が揺れていて、カガリは一気に頬を染めた。
アイシャはその様子に小さく微笑む。
「、そのままエスコートしてあげて」
「・・・・・・はい」
一度離れた手が、今度は前に差し出される。
戸惑いながら触れた指先が温かな手の平に包まれ、カガリは堪えきれず俯いた。
耳まで赤くした彼女を気にすることなく、は慣れた様子で歩き出す。
その迷いのない足取りが逆に不安を誘って、カガリは軽く触れていただけだった指先をしっかりと絡ませた。
どうしてそう想うか判らないけれど、それでも。
この男は、戦場にいさせちゃいけない。
願うように祈るように、カガリはきつくの手を握った。
それはとても冷たい、人形のような手だった。
2005年1月5日