高い天井から吊るされている、派手な装飾のシャンデリア。
会話を邪魔しないよう、静かに演奏しているオーケストラ。
煌びやかな礼服を身にまとった人々が、上品に振る舞い時を過ごしている。
時折かけられる声に応対していたラクスは、慣れ親しんだ声に名を呼ばれ、振り返った。
近づいてくるのは、父親であるシーゲル・クライン。
その少し後ろをついてくる二人の人物に、ラクスは目を奪われた。
一人は金の髪をし、仮面で顔の半分を隠している。
「お久しぶりです、ラクス嬢」
クルーゼが手を取ってから挨拶し、後ろに控えている人物を促す。
一歩前に出てきた相手が身にまとっていたのは、ザフトのトップである証の赤い隊服。
けれど、目に焼きつくように鮮やかなそれよりも。
緩やかにあげられた瞼から現れた眼に、ラクスは自らの心が震えるのを感じた。
「・・・・・・・と申します。はじめまして、クライン嬢」
闇よりも深い黒。目が合っているはずなのに、決して自分を見ていない。
唐突に底の見えない深淵を突きつけられたかのようで、知らず足が震える。
けれど逃げられない自分を、ラクスは悟った。
もう、逃げられない。
黒く美しい狂気に、魅入ってしまった。
I want to become the light which illuminates you.
「やぁ、久しぶりですな。シーゲル」
恰幅のよい男が、そう言って声高に話しかける。
「クルーゼ、君の武勇伝も聞いているよ。ナチュラルの戦艦をいくつも落としたそうじゃないか。さすがはザフト1のパイロットだけある」
「もったいないお言葉です」
「そちらはシーゲルのお嬢さん、と・・・・・・?」
ラクスに目を留めた男は、隣に並ぶ少年の姿に小首を傾げる。
赤の隊服を着ているということはザフトのトップガンであるが、ラクスの婚約者であるアスラン・ザラの顔は評議会議員である父親を介して広く知られている。
確か彼は紺色の髪をしていて、おとなしいというよりも寡黙そうな少年だった。
けれど今、目の前にいる少年は違う。
黒髪に黒い目。静かだが冷たさを含んだような雰囲気を纏う。
「あぁ、ご紹介が遅れました。彼には私の補佐を勤めてもらっています、・です」
クルーゼに示され、少年は頭を下げる。
その際に黒髪が静かに彼の頬を流れ、清廉な印象を周囲に与えた。
背を伸ばして男と目線を合わせ軽く目元を和らげると、まるで華が咲き開いたかのように表情が明るくなる。
その変化の様を間近で向けられ、男はほう、と息を零した。
「・・・・・・・聞いたことがある。先の世界樹攻防戦ではクルーゼと共にジンを駆り、ナチュラルのMAを大破したという・・・」
男の言葉に、ラクスは驚いたように隣に立つを見る。
シーゲルとクルーゼは変わらぬ様子で、男がの手を握るのを見守っていた。
「まだ子供だとは聞いていたが、いやはやクルーゼ! 君は良い副官を見つけた!」
「お褒めに預かり光栄です。のような部下を持てたことを、私も嬉く思っております」
クルーゼの言葉に、は微かに俯く。
彼より背の低いラクスには、その伏せた表情が見て取れた。
は先ほどの挨拶や笑みなどとは違い、子供のように照れて頬を染めている。
はじめて見る表情にラクスは自然と笑みを浮かべ、だんだんと大きくなってくる心臓の音を感じた。
嬉しくて苦しい、そんな熱がせり上がってくる。
男と少し話をしてから別れ、シーゲルは周囲を見回した。
「では私たちは他の者に挨拶してくるが・・・・・・」
「はい」
「ラクスのエスコートを頼めるだろうか。今日はアスランもいないのでな」
「畏まりました。では、僭越ながら―――クライン嬢」
差し出された手。
どくん、と心臓が大きく反応した。
うるさい鼓動を気にしながらも、どうにか腕を動かして、その手に指先を触れさせる。
微笑んだラクスの頬がかすかに赤くなっていたことに気づいたのは、クルーゼだけだった。
見目にも麗しい少年と少女の姿に、通り過ぎる人々は笑みをたたえて振り返る。
ラクスはシーゲルの娘ということもさながら、癒しの声でプラントを照らす歌姫として知られている。
そんな彼女をエスコートしている少年が誰だか知らない者も多かったが、着ている服はザフトの赤い隊服。
優秀な軍人であることの証に加え、同じコーディネーターの目から見ても整っている容姿に文句を言うものはいなかった。
有り体に言えば、とても似合いの二人だったのだ。
ホールを抜け、テラスまで来たところでは手を離した。
一抹の寂しさを抱えながら、ラクスは空いてしまった手をもう片方の手で握り締める。
手袋越しだけれども、まだ熱が残っているような気がして。
「何か飲み物でも?」
「・・・いいえ、ありがとうございます」
微笑んで礼を言う。
けれど対するは先ほどホールにいたときに浮かべていた微笑も今はなく、最初に会ったときと同じ無表情な顔。
『感じの良い少年』から『冷たそうな少年』に変わった彼に、ラクスは戸惑わずにはいられない。
どちらが本当のなのか判らない。
「クライン嬢は」
聞こえてきた言葉に、己の思考に沈んでいたラクスがパッと顔を上げる。
予想外にもからは笑顔が向けられていた。綺麗で、好印象の笑み。
けれどラクスには何故かそれが外交的なものだということに気づいてしまった。
「アスランと婚約をなさっているのですね」
「・・・・・・はい。様は、アスランと同じ隊に所属していらっしゃるのですか?」
「ええ。同じクルーゼ隊の同僚です」
頷く様も、どこか形式的なもの。
「アスランはとても優秀なパイロットですよ。腕が立ち、状況判断も悪くない。いずれ素晴らしい軍功を立てることでしょう」
褒め言葉であるそれに、ラクスは目線を伏せた。
がザフトの軍人であり、アスランも同じ場所に属しているのだから、その言い分は確かに正しい。
だけどどうしようもない悲しさが心に広がるのを、ラクスは抑えることが出来ずにいる。
戦場の話を聞くたびに思うのだ。もっと、他の道はないのか、と。
そんな彼女の思考を読んだかのように、は話しを続ける。
「クライン嬢は戦争がお嫌いですか?」
「・・・・・・悲しいことだと思いますわ。コーディネーターとナチュラルは本当に判り合えないのでしょうか」
「人は人の数だけ思想が存在します。合わないのなら対立は避けられませんよ。コーディネーターとナチュラル間でも、同じ種族同士でも」
「―――え?」
聞こえてきた声は変わらずに冷たく穏やかで、けれど内容はそうではなかった。
むしろ軍人として、コーディネーターの軍人としては相応しくないような台詞。
それよりもラクスにはの言葉が気にかかって仕方がなかった。
『同じ種族でも』と彼は言ったのだ。――――――それはつまり。
胸に思い浮かんだ考えに、重ね合わせた両手が震える。
声が震えそうになるのをラクスは止めることが出来なかった。
「様は・・・・・・」
黒い瞳を見つめて、半ば確信を抱いて。
「コーディネーターもナチュラルも関係なく・・・『人』がお嫌いなのですね・・・?」
まぶしい光を放つシャンデリア。オーケストラの奏でる音楽。
煌びやかなドレスを身にまとい、会話を交わす多くの人々。
それらすべてが近くにあるのを感じながらも、ラクスは目の前のから目を離すことが出来なかった。
闇を湛えたような瞳に囚われてしまった。
曲調が変わったのを機に、は恭しく手を差し出す。
本来ならばアスランが務める、騎士の役を名乗り出るかのように。
「一曲お相手願えますか? クライン嬢」
浮かべられた笑みはやっぱり上辺だけのもので、それが一層ラクスの胸を焦がす。
断ることなど出来ず、先ほどと同じように指の先を触れさせた。
エスコートされるままにテラスを去り、ダンスのために幾ばくかの人が集まっているホールの中心へと向かう。
若いカップルに向けられる眼差しは多い。
けれどラクスの目には以外の姿が映ることはなかった。
何故ならもう、囚われてしまったのだから。
逃げられはしないと、判ってしまったのだから。
オーケストラが始まりの曲を奏でる。
黒の目を見つめながら、ラクスは緩やかにステップを踏み始める。
のリードに従って。
彼女は今、確かな一歩を踏み出した。
・・・・・・・・・底のない、闇へと向かって。
2004年10月17日