コーヒーを注ぎながら、フラガは小さく溜息を漏らした。
自分の分を片手に二つ目のカップを目の前の少年へと差し出して。
一緒に渡したミルクと砂糖は、受け取られはしなかったけれど。
「・・・・・・あんまりうちの艦長たちをいじめてくれるなよ?」
あれでも繊細な女性たちなんだ、と苦笑交じりで言った言葉は、一笑に付して切り捨てられた。
冷ややかな眼差しで、はコーヒーの渦を見据えて。

「俺は戦場でスカートを履いている女を軍人だとは思わない」

どっちつかずの中途半端な奴ら。だから出しゃばるなと忠告しただけ。
そう言った彼は、コーディネーター特有の、けれどそれ以上に綺麗な顔で笑っていた。





Him, Her, Love, and War





アスラン・ザラ。
目の前のキラから零れた名前に、ラクスは思わず驚きに目を見開いた。
そしてすぐにふんわりと笑みを浮かべる。
不思議そうな顔をしているキラに、噛み締めるように。
・・・・・・・・・説き伏せるように。
「アスラン・ザラは、いずれ私の夫となる人ですわ」
「・・・・・・え?」
言われた言葉は唐突なものでキラは一瞬絶句し、そして慌てた。
コーディネーターは遺伝子によって伴侶を決めるというが、まさかアスランにすでにそんな存在がいたなんて。
今は敵軍にいる幼馴染の顔を思いだすが、うまくラクスの夫という像に繋がらない。
それに、それに彼女には。
「・・・・・・でも、君には・・・」
言いかけてキラは言葉を噤んだが、ラクスにはその続きが容易く分かった。
だからこそ、微笑んで。
様には、私が勝手に想いを寄せているだけですの」
「でも、そんな・・・好きな人がいるのに・・・・・・」
脳裏に浮かぶのは、ザフトの赤い軍服を着た黒髪の少年。
敵艦であるアークエンジェルの中で、彼は常にラクスを守るように目を周囲に光らせていて。
完璧に近い美しさは近寄りがたくもあるけれど、でも彼はラクスにだけは優しかった。
「それは様のお仕事が、私を守ることだからです」
ラクスはそう言ってかすかに笑う。
その笑みはいつもの愛らしい彼女の表情ではなく、切なささえ帯びていて。
キラは思わずドキリと胸を高鳴らせ、そして内心で頭を振り煩悩を追い出した。
このラクスの表情は自分が見てよいものではない。
たった一人の人へ捧げられたものだから。
「・・・・・・きっと彼も、君のことを好きになると思うよ」
自信なんてないけれど、気がついたらキラはそう言っていた。
ラクスが今度は嬉しそうに微笑むのに、一緒に笑って。
そして、彼は決める。



先だってのフレイ・アルスター殺害未遂により、はフラガの完全な監視下に置かれていた。
武器などなくてもコーディネーターは指先一つでナチュラルを殺すことが出来る。
はそれを証明してみせたのだ。
だが実際にそんなことが出来るのは軍人だけ。その中でもかなり訓練を積んだ者のみ。
けれどその事実を知らずに、知っていてもナチュラルはより一層コーディネーターを恐れ始める。
フラガの監視下に置かれたのは彼が軍人であり、かなりの強さを誇っているからだろう。
同じコーディネーターであるキラの近くに寄らせるのは危険。ラミアスとバジルールがそう判断したのもあるだろうが。
とにかく好都合だ。そう考えては内心で笑った。

フラガの注意を自分に引きつけることが出来れば、後はキラが勝手にラクスをザフトへと帰してくれる。

自分はそれをのんびりと待っていればいい。
あのコーディネーターは使い道がある。ザフトに来ればかなりの駒になるだろうに。
は冷めたコーヒーを喉に流し込みながらそんなことを思う。
「・・・・・・だけどやっぱり軍人には向かない」
「何か言ったか?」
「―――いや、何も」
思わず呟いてしまった言葉を拾われて、は首を振って返事を返した。
その瞬間、ピピピピと機械音が響いて壁際の画面が白く光る。
――――――来たな。
の目が冷ややかに細められた。
『フ、フラガ大尉!』
「何―――・・・・・・」
焦った誰かの声がして、フラガが椅子から立ち上がる。
はその瞬間を狙って腕を支点にし、足払いを仕掛けた。
バランスを崩したフラガの腹に連続して膝蹴りを叩き込み、軽い跳躍でドアまで飛ぶ。
そのまま後ろ手にロックを解除して、今度は表情に出して笑った。
「キラ・ヤマトがストライクで送ってくれるんだってよ」
「な・・・・・・っ!」
「世話になったな、オッサン」
笑い声を残して、は走り出した。



「――――――様!」
「クライン嬢!」
ドックの入り口まで来て見えた姿に、は舌打ちした。
「何していらっしゃるんですか」
「キラ様が、私たちを帰してくださると」
「だったら早く」
の言った『何しているのか』とは、『何をこんなところでグズグズしているんだ』という意味である。
キラが逃がそうとしていることくらい分かっている。だからさっさと行け、彼はそう言いたかった。
だが、ラクスを前にしてそう言うことは出来ない。
内心で舌打ちして、不釣合いな宇宙服に身を包んだラクスの肩を押す。
苛立ちなど表さずに、笑顔を作って。
ストライクのコクピットにいるキラの元まで連れて行き、その膝にラクスを座らせた。
、君も早く後ろに」
その言葉には、首を振って。
「ダメだ。俺はここに残る」
ドックに響いた台詞に、キラやラクスはもとより、彼らを逃がす手伝いをしていたミリアリアやサイまで驚いたように息を呑んだ。
は笑って、先を続ける。
「ストライクに三人も乗れない。俺はここに残って他のヤツラの足止めをする」
「そんな・・・・・・っ」
「クライン嬢を頼む、キラ・ヤマト」
そう言ってコクピット離れようとしたの手を何かが掴んだ。
宇宙服越しの、少女の手。
振り解こうにも、どこからそんな力が、と思わせるほどに強く握られて。
軽く驚きながらも、は笑った。
「お気をつけて、クライン嬢」
様・・・・・・っ」
「アスランにどうか、よろしくお伝え下さい」
笑ったはアークエンジェルに残ると言う。
ラクスのいなくなったそこは、彼にとって敵地でしかない。
足止めになるということはきっと。

もう、会えなくなるということ。
・・・・・・ずっと、一生。

「嫌っ・・・・・・嫌です!」
涙が無重力に浮いて漂う。
キラの膝元からラクスは身を乗り出して。
の手を決して放さないように、きつく、きつく握って。
「嫌ですわ・・・! 私は様と共に・・・・・・っ!」
叫ぶ。泣きながら。強く。
――――――願う。



「私は・・・っ・・・様のことが―――・・・・・・!」



想いはによって遮られた。
彼の、唇によって。



ゆるやかな口付けは深くなることもなく、ただ重ねられただけのもので。
けれどそれは慈しみに満ちていた。
間近で見ていたキラが、その光景の美しさに見惚れてしまうくらいに。
ゆっくりと唇を離し、ラクスの髪を撫でて、そしてもう一度彼女をキラの元へと座らせる。
突然のことに呆けてしまっている相手に笑って。
「さようなら、クライン嬢」
ストライクのコクピットを、閉じた。



射出されていくストライクを見送って、は振り返った。
ラクスのいなくなった今、もうこの艦にいる必要はない。
だけど手ぶらで帰ることは出来ない。
あの方の、役に立つためにも。
ストライクが無断で出て行ったことに騒がしくなりつつあるドックの中、ただ一人こちらを見ているフラガに向かって。
「来るのが遅いんじゃない?」
それとも見送ってくれたのかな。そう言っては笑った。
ドックの中、二人だけの周囲がまるで異空間のように静かだった。
見下ろしてくるフラガ。それを見上げる
張り詰めた空気は、紛れもない軍人のもの。
戦端はが切った。
「これから俺が起こす行動は、二つのうちどちらか」
示される人差し指と中指は、まるで人形のように長くて形良い。
「一つは、優しいムウ・ラ・フラガがプレゼントしてくれた船で、この艦から出て行くこと。二つ目は、この場に留まって全員皆殺しにし、その後でザフトに帰ること」
笑顔で言われるからこそ、その宣告は本気なのだと分かる。
「個人的に言えば後者を選びたい。俺としてもクルーゼ隊長の元へ手土産もなしに帰るのは憚られる」
楽しそうに笑う姿に、やはりこの子供はクルーゼの部下だ、とフラガは思った。
本音を言えば、彼はラクスよりも目の前にいるに、アークエンジェルから脱出してもらいたかった。
は、軍人だから。
だからこそいてもらいたくない。
「・・・・・・いくらおまえがコーディネーターだからと言って、この艦にいる人間を全員殺せると思っているのか?」
「不可能じゃないと思ってる。だけど殺すのはアンタとキラ・ヤマトだけだ。後はボタン一つで」
わざとらしく言葉を切って、は自分の両手を胸元まで上げた。
拳から、まるで花火のように手を開いて。
その意味していることを悟ってフラガは顔色を変えた。
「まさか・・・・・・っ!」
「爆発物は軍人の基本だ。火薬の管理も気をつけた方がいいんじゃないか?」
「―――・・・・・・」
フラガは言葉を失って、目の前の少年を睨みつける。
フレイの事件があってからこっち、は自分の監視下にいた。ならば爆弾を作成し、取り付けることは出来ない。
出来たとしたらそれよりも前。
彼が一人で部屋に入れられていたとき。
それは――――――。

「最初から・・・・・・すべて仕組んでいたのか・・・!」

ラクスが自分を軍人だと紹介するのを強く止めなかったのも。
逆上したフレイにラクスが連れて行かれるのを止めなかったのも。
そしてフレイに指を衝きたて、けれど殺さなかったのも。
ラクスに止められ、殺すのを止めたようにみせたのも。
その行為で自分を危険人物だとして、フラガの監視下に入ったのも。
ストライクを見送って、アークエンジェルに残ったのも。
キラの行動も、ラクスの好意も、きっと何もかも知っていて。
「・・・・・・さぁ、答えを聞こうか」
は笑う。



「コーディネーターとナチュラルは分かり合えずに争っているが、俺とアンタはどうなるんだろうな?」



宇宙ではすでにラクスがイージスへと引き渡されている。
選ぶ余地などなかった。





2004年3月26日