「グッドラック」
贈られた言葉はこれからの未来へ、餞の言葉。
precious symmetry
Aグループの一方的な展開になると予想された試合は、それを裏切って接戦したものになった。
椎名のフィードに小岩が走りこんで、キーパーの渋沢に止められたが、それが一番最初のチャンスだった。
それをコートの外で見ながら、は思う。
一人一人の動きを、意識を、頭の中で描いて。
想像されるゲームに自分がいたらどのように動けばいいのかとシミュレートして。
どんな些細なプレーさえも見逃さないように、フィールドを見つめる。
「試合に早く出たいかい?」
かけられた声に顔を上げた。
目に入る姿は、ここには場違いなスーツを着た男の人。
その人物はを見て少し笑った。
「私はこの選抜と多少の縁があってね。榊というんだが」
穏やかな微笑みには眉を顰めて。
「君が君かい?」
「何か御用ですか?」
返される声は無表情なもの。
けれどそんなを見ながら榊は面食らうことなく話を続ける。
「西園寺から聞いてね。世界の頂点を目指している選手が一人いる、と」
サングラス越しの目が鋭く細められた。
取り巻く空気がゆらりとさざめく。
「俺にその選手の手伝いをしてほしいと言われて見に来たんだ」
「・・・・・・・・・そうですか」
「それでどうだい? 君の気持ちは」
言われた言葉に一度俯いて。
そして顔を上げた。
まっすぐに、フィールドだけを目に映して。
「ええ。是非、俺の力になって頂きたいです」
その横顔を見て榊はとても満足そうに笑う。
瞳が見えなくても関係ない。
伝わる、慟哭。
「なら、実際に世界に行ける実力の持ち主かどうかプレーを見せてもらわないとな」
「お見せしますよ。そして判断してください」
隣に立つ榊を見て。
「俺がサッカーを続けるだけの価値のあるプレイヤーかどうかを」
ホイッスルが鳴った。
合格を決めた者だけが抜けられるサバイバルゲーム。
現在の合格者はAチームから水野・藤代・谷口、そしてBチームからは椎名一人だけ。
前半残り15分というところでホイッスルが鳴って交代が告げられた。
しかしそれは合格という意味ではなくて。
あまりに精彩を欠いた選手を見越して西園寺がそう判断したのだ。
そして新たに参戦する選手の名が告げられる。
「。入りなさい」
周囲が揺れた。
サングラスを西園寺に渡し、ゆっくりと芝を踏みしめて歩く。
まっすぐに、戦場へ向かって。
「! 頑張んなよ!」
かけられた椎名の声に振り向いて、そして笑った。
前髪に隠れて目は見えなかったけれど、その赤い唇が緩やかな弧を描いて。
とても美しく。
すべての者の目を奪って。
「君!」
近づいてきた風祭にも穏やかに微笑んで。
「残り15分、パスを回すからどんどんゴールを狙って。キーパーに止められても構わない。出来る限りシュートを打て」
声だけは相変わらず無表情だけれど。
「俺がゲームを作る」
ハッキリと言われた言葉はズシリと重い響きを含んでいて。
けれどどこか安心できる。
きっと、彼が言うのだからそうなるのは絶対なのだと。
風祭は何度も頷いた。
「分かった。天城や小岩君にも言っておくね!」
走っていく後ろ姿を眺めて、そしてフィールドを見回した。
「・・・1,・・・2,3,4・・・・・・・・・」
視線を動かすたびに目に入る選手たち。
「・・・どうしたの? 君」
傍へ来た杉原が呟くに不思議そうに尋ねた。
それに嬉しそうに笑って。
それはもう、満面の笑みを浮かべて。
「22人いると思ってさ」
「内藤、加藤。ディフェンスを固めるぞ」
ゴール前の渋沢が指示を出す。
動き出すゲーム。
「結人、マークしっかりね」
「わかってるって。必ず押さえてやるよ」
中盤も前線も一気に緊張を強いられて。
敵にとっては何よりも強大な障壁に。
「フォローするよ。僕がサイドに回る」
「ラインディフェンスにするか。チャンス作るぞ」
杉原や黒川の言葉に頷いて。
微笑する姿はとても綺麗。
「勝ちに行くよ」
その一言に言いようもない自信と安心感が満ちてきて。
味方には何よりも頼れる戦友に。
「さて、どこまで出来るものかねぇ」
楽しそうに笑う監督も。
「あの子はやりますわ、必ず」
コーチとして、そして長年のファンとして。
「世界への覚悟を見せてもらうよ」
これからの道を創る指導者として。
すべてが今始まる。
Bのスローインが投げられた。
それは当然のようにへと渡されて。
駆け寄ってきたディフェンダーをワンタッチで切り抜けた。
そして走る。
風のように。
郭をたった一度のフェイントで振り切って、横へとパスを出す。
その間にスペースをかき回して、裏へと抜けて。
次にボールをもらった位置は最終ラインのすぐ手前。
「天城!」
二人のディフェンダーの足元を掠ることなくすり抜けて。
放ったシュートはバーに当たって外へ零れた。
「悪い」
「前向きな失敗なら気にすることはない。まだまだ行くぞ」
「ああ」
笑いあう姿はあまりに自然。
真田へのパスをカットして走り出す。
緩やかなタッチ、思うとおりに動くボール。
描いたとおりにプレー出来る。
コンディションは上々だ。
は笑った。
一瞬のダッシュが速い。
自在にコントロールしてボールを操る。
切り返しも鮮やか。
右へ、左へ。
そしてもう一度右へ。
小さなパスフェイクを入れて。
右から抜く。
繰り出されるパスは決して敵に取られることなく相手に届く。
それも捕球しやすい丁度いい位置に。
右に敵がいるなら左足に。
左に敵がいるなら右足に。
意思と情報をこめた最高のパス。
「風祭!」
ゴールに背を向けて出したヒールパスは寸分違わず辿り着いて。
シュートはキーパーの渋沢によって止められはしたけれど。
が入ってからこれで6本目のシュート。
エリート揃いのAチームを相手に善戦どころか競り勝っている。
いまやBのワンサイドゲーム。
支配者はたった一人。
敵のチャンスをことごとく潰して。
それを味方のチャンスに変化させる。
変幻自在なパスは受け手の力をいつも以上に引き上げて。
そしてさらに勢いは増す。
「ファウル! 白フリーキック!」
笛の音と審判の声が響いた。
「大丈夫か?」
差し出された手を借りてが立ち上がる。
三上は楽しそうに笑っていた。
心の奥からサッカーが好きだという気持ちが溢れてくる。
そしてそれはこの場にいる誰もが同じ。
ゴールまでは30m。
黒と白のボールを大切そうにそっと置いて。
は小さく息を吸った。
蹴り上げたボールは相手ディフェンダーの壁を越えて。
「ミスキックだ!」
誰が叫んだのか分からない。
けれど確かにボールはゴールポストから離れていて。
ミスだと誰もが思った。
そのとき。
ボールが曲がる。
大きく。
直角に近いくらい極端なカーブを描いて。
スピードを落とさずにゴールを狙う。
けれどボールはゴールへと入る前に突風に煽られた。
勢いよく吹き上げられる風にパワーが削られて。
失速してポトリと落ちた。
ゴールの目の前に。
誰も動けなかった。
あまりの出来事に目を奪われて。
心も体も吸い寄せられてしまって。
動くことを忘れてしまった。
「何やってるんだ!」
芝生を蹴ってが走り出す。
ゴール前に動かず落ちたままのボールへと向かって。
FWが気づいてシュートを打とうとするより渋沢の方が早く動いた。
慌てたようにボールを拾い上げて。
そして大きく息を吐く。
今、目の前で行われたプレーを思って。
感嘆する。
「何やってるんだフォワード! 今の走りこめば一点取れたぞ!」
「ゴ、ゴメン!」
風祭が申し訳なさそうに謝った。
他の者はというと何も言うことが出来ない。
圧倒的な技術を前に。
恐怖さえも感じて。
その後もBチームの一方的な展開が続いて、けれど点は入らなかった。
がゴールを狙ったのはフリーキックの一度だけ。
他は全部アシストへと回っている。
AチームのFWがボールを手にすることは全くなかった。
審判が時間を確認するのをは視界の端で認めた。
時間にして15分が経ったくらい。
そろそろ前半も終わる頃。
は杉原からパスを受けると、トラップして立ち止まった。
動きを止めたに全員が不思議そうに目を丸くして。
次の瞬間一気に緊張する。
ゆっくりと。
ゆっくりとが動く。
ボールを足元から離さずに。
走るのではなく歩いて。
相手ゴールへと向かっていく。
ハッと我に返った三上がスライディングを仕掛けるがそれをジャンプして交わして。
スピードを上げた。
一気に走り出す。
その打って変わったスピードに付いてこられないボランチを抜き去って。
中央の位置にいるディフェンダーの内藤へ向かって走りこんでいく。
視線を合わせて、逸らさずに。
黒目が右下へと落ちた。
次の瞬間、は内藤を抜いていた。
何の動作を入れることもなく、目だけを動かして。
左から相手を抜いた。
渋沢と一対一の勝負。
どこに蹴れば入るのか、には判っていた。
渋沢が何を考えて、どのように動こうかと思っているのかも。
そしてさらにスピードを上げた。
ピィィィ―――――――――――――ッ
ホイッスルの音が鳴って。
はふっと笑みを漏らす。
「時間切れ、だ」
渋沢さえも越えて。
白いゴールラインを越えて、ネットを握って。
フィールドにいる全員に向かって微笑んだ。
ボールは、足元に。
「ノーゴールだ」
芸術的な一点は幻となって消えた。
2002年8月25日