シャワーを浴びて濡れたままの髪で廊下を歩く。
昨日は椎名に捕まったけれど、今日は彼の姿は見えない。
は気にすることなく食堂へ行き、焼き魚の定食をトレーに載せて席に着いた。
一人で食事することには慣れていなくもないことなので。
黙々と箸を進めていると向かいの席の椅子がガタリと揺れた。
「ここ、いいかな?」
見上げれば背の高い少年のシルエット。
は無言のまま頷いた。





precious symmetry





まったくの偶然か渋沢はと同じ焼き魚定食を持っていた。
二人して向かい合いながら魚をつまむ。
「・・・俺は渋沢克朗。武蔵森の三年だ。・・・と呼んでもいいかな?」
こくりと頷く。
はすごく上手いな。昨日のミニゲームといい今日の紅白戦でも両方ゴールを決めたし」
そう言われても感想を返すことなく、は煮物に手を伸ばす。
渋沢は困ったように頬をかいて。
「クラブには入っていないみたいだけど、部活サッカーではないだろう?」
やはりコクンと頷いて。
「どこでサッカーを習ったのか教えてもらえるかな」
「・・・・・・どうして?」
サングラス越しの瞳が渋沢を射抜く。
「どうしてって・・・・・・」
動揺せずにはいられない。
「ただ・・・ただ純粋にすごいと思ったから、聞いたんだ。気を悪くしたならすまない」
「別に」
無表情のまま言われて渋沢はさらに困窮する。
けれどは魚の骨をとりながら口を開いた。
「三年前まではクラブチームに入ってた。そんなに有名なチームじゃなかったけど」
それは事実で、少しだけ嘘。
「じゃあそこでサッカーを学んだのか?」
無言で頷く。
クラブチームに所属していたと言う
きっとその言葉は本当だろう。
でなければあれほどのプレーを出来るはずがない。
よほど特別な指導者でもいない限り。
「サッカーを始めたのはいつ?」
「小学校に入った年」
では6歳から始めたとしてクラブにいたのは4・5年か。
短いとは言えないが長いとも言いづらい。
その期間でこれだけ上達したのはきっと自身に才能があったから。
努力をしてきたから。
こうして初めて出会った人物を前に、渋沢は漠然と世界は広いのだと思った。
とても上手い選手がこうしてどこにいるのか判らないのだから。
自分もまだまだだと感じずにはいられない。
そう思って渋沢は小さく苦笑した。



食事を終え少々休憩をとってからは外へ出た。
フィールドの方で大勢の少年たちの声がするが、そちらへは行かずに室内練習場の方へと向かう。
ドアを開けて入ると、そこには数人の少年しかいなかった。
籠の中からボールを一つ取り、軽くリフティングする。
優しく、柔らかく、小さな音を立てて跳ね上がるボールは決して乱れることはなくて。
そしてそれはいつまでも続く。
「結人」
「何だよ英士」
後ろから呼ばれて、ボールを蹴ろうとしていた若菜は不機嫌そうに振り返った。
「・・・あそこ」
少し離れたところを見ている郭の視線はその間も離れることはなく。
若菜もそちらへ目を向けた。
静かにリフティングを続けている姿。
「・・・・・・じゃん」
トレードマークであるブルーグレーのサングラスは日が沈んでも外されることはない。
藤代ではないが、折角の美形がもったいないと若菜も思う。
けれど郭はその理由が分かるような気がしていた。
三上と同じように、あの綺麗すぎる顔は危険だと、そう思う。
そして彼らは、今ここにいないもう一人の親友がこの少年を評価していることも知っていた。
あの人見知りをする彼にしては珍しい、とも。
「どうする? あいつも賭けに誘ってみるのか?」
若菜はそう言うけれども郭は首を横に振った。
「やるだけ無駄だよ。あいつは一球も外さない。そんな気がする」
「やっぱ? 俺もそう思うんだよなー」
見つめる先のは相も変わらずリフティングを続けたまま。
見惚れるほど綺麗にボールを操っていた。



軽い練習をこなして宿舎へ戻ろうとしたところ、こちらへと歩いてくる二人組みが目に入った。
?」
「・・・・・・天城」
しかし会話が続かない。
どちらも社交的とは言えないのでにとっては平然とした、天城にとっては微妙な沈黙が支配する。
それを破ったのはやはり社交的とは言えない人物の一言だった。
「おまえはだな」
天城の隣にいた少年に話しかけられ、はそちらに顔を向ける。
「今日の紅白試合でのセービングは精確かつ確実だった。それに意表をつかれてシュートされる場面も一度してなかった。相手の得意コースやよく狙うコースを知り尽くしているように見えたが実際のところはどうなのだ?」
突如喋りだした連れに天城のほうが驚いて目を丸くする。
けれどは無表情のまま問い返した。
「君は?」
「不破大地。桜上水中2年サッカー部所属。ポジションはキーパーだ」
「そう、俺は。柑田中2年」
簡潔な自己紹介をした後ではサラリと答えを述べる。
「結論から言えば君の言うとおりだ」
「それは相手のプレーの癖を知っていたということか?」
「知っていたと言うよりは、知ったという方が正しいかな。昨日と今日の練習を見て大体の癖は理解したつもりだけど」
「ここにいる選手全員分か?」
「明日の最終選考試合に出場できそうな選手だけだ」
「なるほど。合理的だな」
ポンポンと会話が進む。
とはいえ相手のことを考えているとは言えないので、それぞれが答えているだけのようだが。
天城は二人を見ながら不思議そうに首を傾げた。
選手の癖を知る。
それはとてつもなく難しいことだけれど、それさえ出来ればその相手にはかなりの確率で勝つことが出来る。
一日二日の練習でそれをやってのけるとは。
加えて自身の実力もある。
「明日の試合が楽しみだ」
不破は俯いて心底楽しそうに笑った。
隣の天城は少し引きながら、はやはり無表情のまま不破を眺めて。
「じゃ、俺もう行くから」
「あ、ああ。また明日」
天城が手を振るのに小さな会釈で返して。
はその場を後にした。



ポケットの中に入れていた携帯電話を取り出すと、メールの着信を知らせる文字が浮かんでいた。
ボタンを押して開けば、年の離れた友人からで。
仕事のモニターを頼みたいとの文章に、躊躇わずイエスの答えを返した。
彼は自分の同居人である葵の友人の一人であり、なおかつ自分とも友達になってくれた人。
多少の願いをかなえるくらい造作ないのだ。
廊下を歩いているとぎゃあぎゃあとうるさい声が聞こえてきた。
見ればドアを開けたまま話をしているようで。
通り過ぎる瞬間に見たことのある映像が目に入り、は思わず足を止めた。
部屋の奥に置いてあるテレビ。
映っているのは綺麗に色づけられたコンピューターグラフィック。
「ラビットハッチ・・・」
呟いた言葉が聞こえたのか、部屋にいた少年のうちの一人が振り返った。
「あーじゃん! 何!? もこのゲーム知ってんの?」
「・・・・・・藤代」
その声に他の少年たちも気がついたようで顔を上げてを見る。
「このゲーム発売したばっかじゃん?だからさ、桜庭が持ち込んでみんなでクリアーしようとしてんの!」
「だったら前のダンジョンで黄金の箒を手に入れないとこの面はクリアー出来ないけど」
サラリと言った。
「「「!?」」」
一斉に少年たちの視線を受けてもは無表情のままテレビをあごで指し示す。
「死ぬよ、ウサギ」
「えっ? あ、うわっ!」
コントローラーを持っていた少年が慌てて画面へと視線を戻しボタンを連打する。
けれど他の少年たちは呆然とを見つめたままで。
「・・・・・・もしかしてこのゲーム、クリアーしたのか・・・?」
短い茶髪の少年に聞かれはこくりと頷く。
するとものすごい力で部屋の中へと引き込まれ。
「マジで!? 頼む! 教えてくれ!」
「このゲーム難しいんだよ〜!」
頼み込まれては小さくため息をついて腰を下ろす。
「楽しい? このゲーム」
ポツリと聞けば部屋中の少年たちは皆一様に頷いて。
「難しいけどな。でもキャラは面白いしアイテムとかも取り甲斐があるし」
「これが3だろ? 俺なんか1と2も持ってるし!」
返ってくる賞賛の答えに、は小さく口元を緩めた。
珍しく自分から話す気になったのは、このゲームを褒めてくれたことに対する礼とでもして。
「2は最終面の直前で裏ダンジョンへの入り口があるけど」
「裏ダンジョン!?」
「表面とはかなり違って戦闘重視に切り替わる。格闘ゲームもかくやと言うくらいに」
「「「マジ!?」」」
目を剥いて驚愕する少年たちには無言で頷いた。
「裏でも表面で獲得したアイテムがとても有効に使用できる。1では隠しキャラが何人かいるけど」
「あ、それってネコとクマ? だったら俺ゲットしたぜ!」
コントローラーを握っていたカチューシャの少年が他に譲ってのそばへとやって来る。
今日の紅白戦でチームを組んだ一人、桜庭だ。
「違う。それは攻略本に載ってるから本当の隠しキャラじゃない」
「じゃあ何?」
尋ねる短い茶髪の少年は上原と名乗った。
「シカとゾウ。特にシカはパーティーにいると最終面でかなり楽にボスを倒せる」
「えー! 俺寮に帰ったらソッコーでやる!」
藤代もうずうずとした感じで両手を握って。
はサングラスの下で目を細めた。
このゲームを作った友人に、彼らの言葉を必ず伝えようと心に決めて。
穏やかに小さく微笑した。



君」
部屋へ戻る途中で声をかけられては振り向いた。
そこには、バインダーを手にこちらへと歩いてくる西園寺の姿。
「もう部屋に戻るの?」
「ええ」
「じゃあ私の部屋でコーヒー、いえ紅茶でもいかが?」
「椎名がますます嫉妬しますよ」
その言葉に西園寺は明るい声で笑いを漏らして。
「翼と私はハトコなのよ。気にすることじゃないわ」
穏やかに誘われて、は西園寺の勧めるまま部屋の中へと通された。
ソファーに座るとミルクティーの入ったカップを渡される。
添えられていた砂糖は入れずに口に運んだ。
西園寺はそんなを眩しいものでも見るかのように目を細めて見つめている。
「どう? 調子の方は」
「悪くはないです」
「ブランクなんて心配なかったみたいね。あなたの評価は今のところ最高よ」
その言葉を受けてはふっと微笑んだ。
口元を上げて、けれど楽しそうにではなく皮肉げに。
「ブランクは、あります。体が全然動かない。・・・・・・三年前と比べたら何てザマだ」
無表情な顔を歪めると、それは強烈なプレッシャーとなって周囲に響く。
「・・・・・・でも、見事なものだわ・・・」
「自分のコンディションは自分が一番よく判っています」
突き放すような冷たい声に思わず身を硬くする。
気持ちを語る瞳がサングラスに隠されていても、纏う空気が一変するから。
感情がすべてを支配する。
「俺はまだまだ力がなくて、以前のように動くには必死で練習を積まなくてはいけない。それこそ、死に物狂いで」
口をつく言葉はこの合宿で感じている本音。
「サッカーは好きだ。ボールを蹴る感触が堪らなく心地いい。けれど、俺はそれじゃ満足できない」
一度手にした昂揚を自分は再度手に入れたい。
忘れかけていた熱情は、まだ自分の中にあったのだから。
「上に、行きたい」
それはこの場へ来て初めて抱いた願い。
「もう一度世界の頂点に立ちたい」
それは必ず現実にしてみせる。



手に入れた王冠を手放したのは自分の意思だったのに。
打って変わった日々に退屈していたわけでもない。
それでも、自分は求めてしまった。
もう一度、あの日の自分に戻ることを。
世界のトップに君臨することを。



それは、必ず現実になる。
が本気で望んだのだから。





2002年8月23日