「・・・・・・おまえ、どこ行くわけ?」
「部屋。読みかけの本があるから」
平然と答えたにキレたのは椎名だった。
「一体どこに昼も食べずに読書するサッカー選手がいるんだよッ!」



合宿所に来てから。正確にはという人物と再会を果たしてから、翼の沸点が低くなっている。
黒川はそう思ってため息をつくのだった。





precious symmetry





「ほら、サラダとヨーグルト! これくらい食べとかなきゃ午後の練習で腹空かして倒れるっての!」
「いつも昼はほとんど食べないから大丈夫だけど」
「俺が嫌なんだよ! いいからさっさと食え!」
そう言ってサラダを目の前にずいっと差し出され、しかも右手にはフォークまで持たされて。
は小さくため息をついた。
「物好きだね、椎名は」
「ホントにね! 自分でもそうは思わずにいられないよ!」
「でも面倒見のいいところは椎名の美点だと思う」
いただきます、と両手を合わせて食べだしたに、椎名はポカンとした顔で巻いていたスパゲティを皿へ落とした。
黙々と表情も変えずに食べるに、椎名の顔が赤くなって。
「完全に負けてるぜ、翼」
「〜〜〜〜〜ウルサイよ、マサキ!」
言い返す姿もいつもの余裕綽々な椎名とはずいぶん違い、黒川は小さく笑みを漏らす。
「あんたさ、だっけ?」
言いながら自分のから揚げを一つサラダの皿に投げ入れると、は顔を上げて黒川を見た。
「この前フットサル場にいたよな。その後は見ねぇけどもう来ないのか?」
黒川の質問に椎名や畑兄弟も顔を上げる。
「判らない。あの日はたまたまあのフットサル場が一番近かったから行っただけだし。メンバーも何時誰が集まるか分からないしね」
「おまえのチームって外人ばっか?」
「チームじゃない。たまたま知り合った人たちがフットサルをやるらしいから一緒にやってただけで、別にそういった約束はしていない。メンバーが揃えば都内のフットサル場を転々としてるけど」
「一箇所には留まらないんだ?」
「相手が固定されるから」
から揚げを飲み込んでは頷いた。
「俺たちは他のチームに比べて強いから。一つの場所にはいられないんだ」
強ければ対戦するチームも限られてくる。
実力の均衡したゲームを望むのならばそれはより強く。
勝者はつねに次の相手を探しているのだから。
一歩違えば自意識過剰に取られかねない発言も、と対戦したことのある椎名たちには当然のことのように受け取られた。
彼らの強さは知っているから。
「・・・・・・・・・ヨーグルトに醤油ってどう思う?」
「やめろバカ!」
間宮の醤油プリンを見て実行しようとしたを戻ってきた椎名が叩いて止めた。
「紅茶もってきた。も飲むだろ?」
「いや、俺は」
「飲むね!? ハイ!」
問答無用で押し付けられて。
「・・・・・・いつもこう?」
「ま、大体は」
小声で会話を交わすと黒川は睨んでくる椎名に肩をすくめる。
どうやら飛葉のキャプテンはこの得体の知れない口の悪い美人が気に入った様子。
そしてそれは黒川も。



午後の練習はA・Bグループに分けて行われた。
はBグループ。芝生でのパス練習である。
近くにいるもの同士でペアを作り、残ったのは背の高い明るい茶髪の彼とだけ。
「・・・・・・・・・やるか」
「そうだね」
お互いに名を名乗り適当な距離をとった。
軽く蹴り上げたボールは狙ったとおり相手の足元に落ちる。
自分もパスを返して、天城は思わず舌を巻いた。
あまりにのパスが受けやすかったから。
天城のもっとも得意な位置に一分の狂いもなく当てはまる。
この上手さはどこから来たものかと天城は首を傾げた。
「・・・・・・はクラブに入ってるのか?」
「いや、入っていない」
「じゃあ部活か?」
それならば地区予選などで名前が知られているのではないか?
そう思った天城の声が聞こえたかのように、は横に首を振った。
「部活には入っていない」
「じゃあ・・・?」
「自己練習とフットサル。チームには所属していない」
「そうなのか・・・・・・」
はそう答えたが、きっとちゃんとした指導の下にサッカーを学んだのだろうと簡単に予測がついた。
それほどまでに正確で精密なパス。
本人の努力によるものだろう。
コイツは相当上手いと天城は気を引き締めてを見た。
けれど本人は無表情のままボールを返す。
左右の足でたった一点に。



Aグループが練習を切り上げた後もBグループはゲームが続いた。
ポジション入り混じりのミニゲーム。
天城と風祭がキーパーグローブをはめ、不破が縦横無尽にボールを追い掛け回す。
そして椎名の鉄拳が決まって。
はそれをコートの外から見ていた。
目を逸らさずに、観察するかのようにじっと。
「交代! 次のグループ入って」
西園寺の指示によりはビブスを受け取ってコートへ入る。
中央の少し後ろ。ディフェンダーの位置に。
「・・・・・・何? はディフェンダーじゃないわけ?」
このゲームの趣旨はポジション関係なく動けるかどうか。
その点、には何の問題もなかった。
フィールドを身軽に駆け抜ける。
敵のFWを足止めして、シュートを打たれる前にボールを奪う。
味方へパスを出し、DFの注意を引き寄せてFWのシュートコースを作って。
こぼれたボールを綺麗にネットへ沈めた。



「スゴイっすね、って!」
藤代が自分も参加したいと叫びながら拳を強く握って力説する。
渋沢はそれに苦笑しながら、自分もコート上のを見て頷いて同意を示す。
「そうだな。あれほどの選手が埋もれていたなんて信じられないな」
「本当っすよ! あーとサッカーしたら楽しいんだろうなぁ。早く試合してー!」
「おいおい落ち着け」
苦笑する渋沢の隣では水野も食い入るようにを見ている。
そしてそれは真田たち三人も同じ。
「・・・・・・・・・やるね、アイツ」
「ホーント! かなり上手いじゃん」
郭と若菜の感想に真田は無言のままを見つめている。
若菜はそんな真田を振り返ってニヤリと笑った。
「何? 一馬ってばまだテストのこと根に持ってんのかよ」
「だってあれはっ・・・・・・!」
「確かにあれは強引だったかもしれないけどね。うまく決めたよ」
「・・・・・・・・・」
若菜に加えて郭にまで言われ、真田が黙り込む。
郭は強引だと言うけれど実際にはそうでもなかったのだ。
はあそこに打てばキーパーが取れないだろうということを知っていた。
そして自分が100%の確率で狙った場所にゴールを決められると分かっていた。
だからパスなんか出さずにシュートしたのだ。
同じフィールドにいたからこそ判る。
判るからこそ悔しい。



そして夕飯時。
シャワーを浴びたはそのまま部屋に戻ろうとしてやはり椎名に捕まった。
食堂へと連れ込まれ濡れた髪をゴシゴシとタオルで擦られる。
しかも食事は畑兄弟が持ってきてくれたりして。
家にいるときとは全然違うな、とは箸を持ちながら考えた。
葵に家事をやらせると台所が悲惨なことになるから。
家事能力を一切持たない同居人には小さく苦笑して。
それと同時にけたたましい食器の落ちる音。
怒鳴り声、謝る声、そして諌める声が続く。
「バカだね」
「あぁ全くな」
椎名と黒川が言葉とは裏腹に楽しそうに笑う。
。今のが風祭将、桜上水のFWだよ」
「将来が楽しみな選手だ」
「おまえもそう思う?」
の同意を得て椎名はさらに口元を上げる。
昼間の練習で風祭の身体能力や素質を見ていたにも彼の未来は想像できて。
このまま成長を続ければいい選手になるだろう。
そしてそれは自分も同じ。
伸びるのは彼だけじゃない、自分も、そしてここにいる全ての選手も。
「でも考えなし」
「ホント、バカなやつだよ」
切り捨てるようなの言葉にもサラリと頷いて。
椎名はへと向かって笑った。



その後はアイスに誘う椎名たちを振り切って自室へと戻る。
鞄からサングラスと同じブルーグレーの携帯電話を取り出して。
緩む口元を自覚しながらボタンを押した。
『―――――?』
聞こえた声に、体の力が抜ける。
「・・・・・・葵」
『どう? 調子は。怪我とかしてない?』
「してないよ。大丈夫」
朝別れたばかりなのに、その声がひどく懐かしい。
自分の精神が穏やかな海のように落ち着いていくのが判る。
『今日ね、辰羅川と子津に会ったよ。二人とも元気そうだった』
「うちに来たの?」
『うん。この前が作っておいてくれたシャーベットを出したんだ。美味しかったって』
「本当? 嬉しいな」
何気ない日常会話。それがすべて。
彼は自分の理解者。
保護者であり絶対の存在。
自己の意識は尊重されるがそれは最優先されることではない。
彼がいたから自分はこうしてここにいられるのだ。



電話を終え廊下へのドアを開くとボールが転がってきた。
「あっ! 君!」
こちらへと向かって駆けてくる少年たち。
無表情のままそのボールをトラップして床に止める。
少年たちがもうそこまで来たところでは軽く蹴り上げた。
そしてもう一度。
「ナイス!」
廊下の向こうへ転がっていくボールに椎名がダッシュする。
つられて他の少年たちも駆け出して。
たぶん注意を受けるだろうな、と思いつつも止める気はなく。
一分後には尾花沢の怒鳴る声が響いた。



「おい、
後ろからかけられた声には振り返った。
手の中には紅茶の缶ジュース。
「何?」
「藤代知らねー?」
三上の言葉には小さく首を傾げた。
その後ろにいる渋沢は二人の話す様子を少し離れたところから見ている。
「彼なら今、尾花沢監督に説教されてるよ」
「・・・・・・あのバカ何やったんだ?」
「廊下でサッカー。ボールは監督の顔面に当たって、逃げ遅れた風祭と一緒に一階ロビー」
「そっか。サンキュ」
それだけ話すとは背を向けて歩き出した。三上と渋沢は何とはなしにそれを見送って。
は一度だけ振り返るとサラリと髪を揺らせて言った。
「昼間はありがとう」
その後はもう用はないと歩いていく。
渋沢は面食らったように目を瞬いて、三上は楽しそうに口元を歪めた。



藤代を引き取りにロビーへと行く途中。
「・・・・・・と知り合いだったんだな」
尋ねた渋沢に三上は大げさに肩をすくめて。
「何を根拠に言ってんだよ?」
「さっき、親しそうだったから。違うのか?」
「違うに決まってんだろ。俺とアイツはこの合宿が初対面だよ」
渋沢が驚いて目を見開く。
「そうなのか?」
「そーそー。あんな美人とお知り合いなわけねーだろ」
その言葉は渋沢の考えていたことに重なった。
「・・・・・・何ではサングラスをしてるんだろうな」
昼間の藤代の態度にはハッキリと気を昂らせた。
嫌悪といってもいいくらいの負の感情。
「あんな綺麗な顔なのに・・・」
「あぁん? わかんねーのかよ、それぐらい」
三上が何言ってるんだとでも言うような顔で渋沢を見る。
「あれほど綺麗な顔じゃ普通のヤツラだけじゃなく変態まで寄ってくるんだよ。俺は正解だと思うぜ。アイツは顔を隠すべきだ」
「・・・三上はそれを分かってたのか?」
「見た瞬間にな。アイツ自身もそんな好きじゃないんだろ、きっと」
まるで作り物のように美しい顔。
どんな饒舌な詩人でも『綺麗』としか表現のしようがないくらい。
その顔はすべてのものを引き寄せる。
望むものも、望まないものも。
「そういえば・・・三上も去年他校の生徒に追い掛け回されていたな」
「最悪だぜ。顔だけで手紙やら電話やら寄こしやがって。美形っていうのはいいことばっかじゃねーんだよ」
「・・・・・・そうだな」
整った顔はその人物を否応ナシに白昼の元へと引きずり出す。
その美しさゆえに数多の視線に晒されて。
決して望んだことではないというのに。



夜の11時近くになるとは身の回りの荷物を片付け携帯のアラームをセットした。
サングラスを外してアイマスクをつける。
「寝るの? 
「ああ」
「お休み」
「お休み、椎名。黒川と畑も」
同室者に挨拶してベッドのカーテンを閉める。
感じる空気はいつものものと違うけれど。
はそっと目を閉じた。



夢を、見る。





2002年8月22日