「ここかな?」
「うん、たぶんそうだと思う」
バタンと出来るだけ音を立てないようにドアを閉めた。
「じゃあ、体には気をつけてね。」
「葵こそ。俺がいなくてもちゃんとご飯食べてよ?」
「判ってる。・・・・・・それじゃ、またね」
「うん。いってきます」
手を振る窓が閉まり、車は発車した。
少年はそれを見えなくなるまで見送ると、ゆっくりと後ろへ振り向いた。
離れたところに見える建物。
そしてその前に広がる一面の、青。
「天然芝か・・・。本当に、久し振り」
屈みこんで触れたそれは、以前と何も変わっていなくて。
懐かしさに思わず口元が緩んで。
小さく笑って立ち上がった。
今再び、戦場へと行くために。
precious symmetry
ざわつく部屋も学校の雰囲気とは違う。
同じ年頃の少年が『サッカー』という一つの元に集められた。
流れる緊張感に、こんな感じは久し振りだな、とは思う。
久しく触れることのなかった情熱に、心の奥にかすかな火が灯るのを自分で実感して。
そして周囲に悟られない程度に苦笑する。
同時に扉が大きな音を立てて勢いよく開いた。
目を向ければ自分と同じようにトレーニングウェアに身を包んだ数人の少年たち。
「遅いぞ! 五分前集合が原則だ!」
「すみません」
謝ってはいるけれど誠意のない態度にやはり苦笑して。
そして気づく。
今入ってきた少年たちのなかに面識のある人物がいることに。
「・・・・・・翼、アレ」
隣に座る黒川にあごで示され、椎名はそちらを振り向いた。
目に入ってきた人物を見て、信じがたいように目を丸くする。
「・・・玲の奴・・・・・・」
舌打ちして悪態をつきたくなるのも仕方がないかもしれない。
そこには、ここしばらくの間探していた人物がいたのだから。
流れるような黒髪に、ブルーグレーのサングラス。
忘れたくても忘れられない、先日フットサルで対戦したチームのリーダー。
「面白くなりそうじゃん」
椎名の口元が挑戦的につりあがった。
視線の先には無表情で話を聞いている少年の姿。
二人の再会は思ったよりもすぐにやってきた。
「俺は上のベッドがいいんだけど、おまえはどこがいい?」
「・・・別にどこでもいいけど」
「じゃあ体重的に上だね。じゃあ柾輝が俺の下で六助がそいつの下な」
テキパキと決めて荷物を置いたかと思うと、クルリと目標へと向き直る。
「この間はドーモ。また会えるとは思ってなかったよ」
話しかけられた少年はサングラスを外さずに椎名へと振り向いた。
挑戦的な椎名の微笑は意識的なもの。
「俺は椎名翼。これからよろしく」
「・・・・・・こちらこそ。俺は」
表情には変化なく、は椎名をまっすぐに見ながら言った。
柾輝と六助は椎名のプレッシャーにより傍観を決め込んでいる。
「おまえ、玲に誘われて来たんだろ?」
「玲とは?」
「西園寺玲。どうやら玲の奴はおまえのこと知ってたみたいだしね」
「それは嫉妬?」
無表情でが言った。
その言葉に椎名はカッと頬を赤くする。
「ばっかじゃないの!? 何で俺がおまえに嫉妬しなくちゃいけないんだよ!」
「違うならゴメン。君が西園寺さんとずいぶん親しい関係にあるみたいだから」
淡々と謝る姿に、黒川は小さく肩をすくめた。
のサングラスの下で形のいい唇が再度開く。
「君の言うとおり、西園寺さんは俺のことを知っていて東京選抜に誘ってくれた。他に何か?」
誰も口を開かないのを確認して、鞄の中からタオルとスパイクを取り出す。
「じゃあ、お先に」
部屋から出て行くを引き止めることも出来ずに三人は見送った。
「何だよアイツ・・・・・・!」
椎名の拳が小刻みに震えて。
「性格最ッ悪!!」
思い切り言い捨てた言葉に、黒川は苦笑するのだった。
この椎名翼をもってしてそう言われる少年に、少しの尊敬と興味を覚えながら。
「50m走6.00・ボールコントロール10点・キックターゲットもミスなし。さすがね、君」
「別に、これくらい出来る奴はたくさんいますよ」
「ポジションはどこか希望ある?」
「いえ、特には」
は話しながらも左斜め後ろから突き刺さってくる視線にうっとうしげに眉をひそめた。
西園寺はそんな彼の様子に気づき、そして視線の送り主を見てクスリと笑う。
「翼と何かあったのかしら?」
「ささいなことです。気にする必要はありません」
「そう? それじゃあ翼も可哀想な気がするけど」
それでも笑うのは止めずにいる西園寺にの方がため息をついた。
「貴女と俺の間柄が気になるようですよ」
「あら、嫉妬?」
「そう言ったら全力で否定されました」
ますます声を上げて笑い出す。
その様子に他の選手たちも不思議そうにこっちを見てきて。
西園寺はひとしきり笑うと、選手たちを集めて次のテストの説明を始めた。
オフェンス3人にディフェンス2人、キーパー2人の変則勝負。
はサングラス越しにそのテストをこなしていく選手たちを眺めていた。
藤代のバックパスが通り、水野のシュートが決まる。
周囲でどよめきや歓声が起こった。
「すごいね、彼ら」
突然話しかけられては隣を振り返った。
そこにはよりも5cmくらい背が低いであろう少年の姿。
彼はニッコリと笑って話しかける。
「僕は杉原多紀。高縄中の二年だよ」
「俺は。柑田中の二年」
「柑田中?」
「新宿にある公立。サッカー部は弱いから知らないかもしれないけど」
多紀が何か言う前には話題を変える。
「さっきのグループは確かに上手かった。でも杉原もあれくらい出来るんじゃないのか?」
「・・・・・・どうしてそう思うの?」
「ボールコントロールとキックターゲットではさっきの水野と同じくらいのレベルだったし。パサーだろ?」
「うん。・・・僕も君のこと見てたよ。全部満点なんてスゴイね」
「実力だ」
サラリ
あまりにあっさりと言われたので杉原はついふぅん、と頷いてしまった。
そしてゆっくり今の台詞を噛み砕いて、ようやくとんでもないことを言われたのだと気づいてを振り向く。
「君・・・・・・」
「呼ばれてるよ、杉原」
「え? ・・・・・・本当だ。じゃあ行ってくるね」
釈然としないけれど、名前を呼ばれて杉原はフィールドへと出て行った。
「次はオフェンスに真田・設楽・、ディフェンスに間宮・木田」
呼ばれた名前にはゆっくりと足を踏み出した。
一歩進むごとに近づいてくる、青く広がった空間。
正面に見えるゴールポストに胸が高鳴る。
これではまるで恋をしている少女のようだ、とは一人で考えて苦笑した。
「おい、おまえ」
呼ばれて振り向けばこちらを見ている二人の少年。
片方はより5cmくらい背が高く、もう一人はと同じくらいだった。
「邪魔だけはすんなよ」
ビブスの色を見なくても、その発言から彼らがAグループだということが分かった。
そして、をどんな目で見ているのかも。
「つまらない偏見は才能を鈍らせるから気をつけた方がいい」
無表情のまま一瞥をくれて。
「俺はサッカーをするだけだ」
その物言いに背の高い少年はカッとして言い返す。
「てめぇ・・・!」
「作戦タイム終了。それでは始めます」
見計らったかのような西園寺の声がかかり、背の高い少年、真田はチッと舌打ちしてに背を向けた。
もう一人の少年、設楽もサークルへと足を進める。
もそれに続こうとして、後ろからかかった声に足を止めた。
「君。そのサングラス、外してもらえるかしら?」
言われた内容に顔をしかめて。
「サッカーは接触の多いスポーツだから。もしものときに貴方だけじゃなく、相手プレイヤーも怪我をするかもしれないでしょう?」
「・・・・・・・・・解りました」
もっともらしい説明に頷くと、目にかかるほど長い前髪をサラッと下ろした。
無遠慮にジロジロと見てくる少年たちの視線に無表情の下で嫌悪を表し。
「持ってて」
近くにいた少年にブルーグレーのグラスを押し付けた。
彼の素顔はまだ見えない。
「始め!」
小気味いいホイッスルの音でゲームが始まった。
設楽がボールを蹴り出し、真田がドリブルで突破を試みる。
3回のフェイントで間宮を交わして、けれどコースを木田に遮られて設楽へとボールを戻す。
シュートを打つがキーパーの渋沢に跳ね返されて。
はセンターサークルに突っ立ったままそれを見ていた。
オフェンス2にディフェンス2。キーパーを含めて実質的には2対4。
力量によほどの差でもない限りオフェンス陣のゴールは難しいだろう。
けれど彼らは「邪魔をするな」と言った。
だから邪魔はしない、自分はサッカーをするだけだ。
彼らはきっと、それさえも邪魔だと思うのだろうけれど。
けれどサッカーをするために、自分は再びフィールドへと戻ったのだから。
こぼれたボールを足で受け止めた。
フットサルのボールとは異なる感触に少し驚いて、その後で懐かしさに目を細めて。
向かってくる小柄なディフェンダーを静かに交わした。
「なっ・・・!」
小さな歓声など耳にも入らない。
真田は大柄なディフェンダーにマークされている。設楽のシュートコースはキーパーによって潰されている。
ならば狙えるのは自分一人。
目線を左に流して、足を振りぬいた。
スパイクに響く懐かしい衝撃。
ボールは右上のネットへ寸分違わず突き刺さった。
ふわりと揺れる髪に素顔が覗く。
は満足そうに微笑んでいた。
ゴールを決めたのはこれで3チーム目。水野、風祭、そしてのグループだ。
仕事を終えたとばかりにさっさとフィールドから出ようとして、思いきり肩を掴まれる。
振り向けば怒りに目を燃やした即興のチームメイト。
「てめぇ! 何勝手に動いてんだよ!」
「・・・それこそ勝手な言い分だね。俺はサッカーをやるだけだとゲーム前に言ったはずだけど」
前髪の下から自分よりも背の高い真田を睨みつけて切り返す。
「でも、あの場面はディフェンダー1人にオフェンスが3人だった。きちんとパス回しする場面だろ?」
チームメイトのもう一人、設楽も不服そうにに詰め寄る。
小さくため息を吐かずにはいられない。
「設楽、だっけ? 君のシュートコースは相手の大柄なキーパーによって全部潰されていた。それと真田? 君の相手は背の高いディフェンダーだったけど、君ならフェイントで交わしてシュートすることも出来ただろうね。まぁワンタッチの動作が入る分、キーパーに止められる可能性は上がるけど」
「じゃあ何で・・・!」
「俺たちは選抜されるために集められたんだよ? 他者と足の引っ張り合いをする気はないけれど、自分の実力を見せ付けられる場面を他人に譲るバカがどこにいる?」
「てめぇ・・・・・・っ!」
真田が胸倉を掴んだ拍子にの前髪が分かれて、その素顔が曝け出された。
周囲も、設楽も、一番近くでその顔を見た真田も、思わず息を呑んでしまう。
けれどは自分のシャツを掴む真田の手をどけると、頭を振って前髪を戻した。
「短気は損気。先人はよく言ったものだ」
そして呆然としている二人を横目で見やり、今度こそフィールドから出て行った。
「ありがと、サングラス」
ゲーム前に押し付けた人物のもとへ歩み寄り、は手を伸ばした。
しかしその手は逆にその人物によってきつく握られ、ブンブンと大きくシェイクされる。
「おまえスッゴイ上手いじゃん! 俺、渋沢キャプテンがあんなに綺麗に決められたの初めて見た!」
「それはどうも」
「名前何つーの? あ、俺は藤代誠二、武蔵森の二年!」
「俺は。柑田中の二年」
「かー。よろしく!」
「こちらこそ。・・・それより、サングラス返してもらえる?」
いい加減面倒になってきたは手を突き出したが、藤代は首を振ってサングラスを渡そうとしない。
「えー何でサングラスなんかすんの? ってメチャクチャ顔綺麗じゃん! 見せなきゃ勿体無いって!」
藤代の言葉にはピクリと眉を動かした。
「俺そんなに綺麗な顔、初めて見たよ! 前髪ももっと短くして顔見せるようにすればいいのに」
「君には関係ないことだと思うけど」
「そりゃそうだけどさ、本当に勿体無いって。とにかくグラサンは返さない!」
子供じみた表情で藤代はサングラスを後ろ手に隠した。
真っ黒な前髪の下での目が鋭く細められる。
整いすぎる美貌が何の感情もない無表情へと変わった。
そして、彼を取り巻く雰囲気も。
氷のような表情の下にある一触即発な空気に気づいたのはほんの少し。
焦った西園寺がに声をかけようと一歩前に出た。
それと同時に実力行使で取り返そうとするのか、も藤代へと一歩詰め寄る。
仮面であるそのガラスを取り返すために。
「何やってんだよ、このバカ代!」
ガンッという音と共に藤代が芝生へと沈没した。
代わっての前に現れたのは、少しタレ目気味の黒髪の少年。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
「ほら。悪かったな、うちの後輩が」
取り上げたサングラスを差し出すと、は何も言わずに受け取り、ホコリを払ってからかけ直した。
二人に一瞥をくれるとその場から離れ宿舎へと帰っていく。
後に残されたのは彼の美貌に戸惑った人ばかり。
感嘆する者、賞賛する者、畏怖する者、そして納得する者。
そうして初日の午前は過ぎたのだった。
2002年8月22日