その日、西浦高校野球部にお客様が来た。
グラウンドに直接入ることの出来る入り口から、背の高い男が顔を出す。
きょろきょろと見回している様に、一番最初に気付いたのはマネージャーの篠岡だった。
「あの・・・何かご用ですか?」
近づいていって声をかけると、男はぱちぱちと目を瞬かせる。
年は二十代半ばだろうか。かっこいいなぁ、と篠岡が思っていると、男はにこっと人好きのする笑顔を浮かべて聞いてきた。
「あのさ、まりあ、いる?」
Summerdays
「監督ーっ!」
西広の投球フォームを指導していた百枝は、名前を呼ばれて顔を上げた。
部員たちの邪魔にならないようにグラウンドの端っこを歩いてくるマネージャー。その後ろの長身が目に入って、顔を輝かせる。
それが相手にも伝わったのか、ひらひらと楽しそうに手が振られた。
「監督、お客様です」
「ありがと、千代ちゃん!」
笑顔のまま礼を述べて、すぐに百枝は男へと振り向く。
間髪入れずにハイタッチが良い音を立てて、篠岡が目を丸くするだけでなく、練習中だった部員たちも何だ何だと振り返った。
けれど当の二人はというと、まるで戦場で再会した友のように互いの肩を叩きあっていて。
「来てくれたんだ、ありがとー!」
「おまえも相変わらず元気そうだなぁ! それにしても久しぶり!」
「ホント、前島君と可南子の結婚式以来? メールしてるしあんまり会ってない気もしないけど。ごめんねー、これからそっちも大会なのに」
「気にすんなよ。いい調整になるしさ」
良い年頃の男女のはずなのに、この色艶を感じさせない、むしろ男同士のようなさっぱりとした遣り取りは何だ。
花井が疑問に思って首を傾げたとき、ぐるっと百枝が部員たちを振り返る。
その勢いに数名の部員の肩が激しく跳ねた。いたいけな球児である彼らは、自分たちの監督に絶えずいろいろと驚かされているのだ。
「はーい、ちょっと集合ー!」
パンパンっという手拍子に、グラウンドに散っていた部員たちがわらわらと戻ってくる。
指示だからというにはその動作はどこか可愛らしく、まるでパブロフの犬みてぇだな、と阿部は思った。
集められた彼らはというと、百枝の後ろにいる男にちらちらと視線を向けている。中には田島のようにじーっと凝視する輩もいたけれども。
「あの・・・・・・監督、その人は・・・?」
誰もが思っていることを聞いたのは、西浦のいい人代表、栄口だ。
にかっと返される笑みに、思わずまた彼らの肩は跳ねてしまったが。
「彼は私の中学時代のクラスメイトなの。野球経験者だから、今日から週に二回くらいの割合で練習を手伝ってもらおうと思って」
「俺は。ポジションはピッチャーだ。がんがん虐めてやるから泣くなよ、若者」
ピッチャー、という言葉に反応したもの数名。
虐める、という言葉に反応したもの数名。
泣くなよ、という言葉に反応したもの数名。
そういえば監督の年っていくつなんだ、と思ったもの数名。
そして、男の名前に反応したもの、一人。
「あーっ! やっぱり!」
「な、何だよ、田島」
びくりと沖が問い返すけれど、天才の目にはしか映っていない。
心なしかキラキラしてる。部員たちは試合中はとても頼れる四番を見てそう思う。
「栄高のピッチャー! オリンピック17番! 現シロネコトマトのエース!」
指をさして連ねられた言葉に、部員たちは「え?」と首をかしげ、と百枝は顔を見合わせる。
「・・・・・・何、俺のこと知ってんの? しかも俺の高校時代って、おまえそのときまだ小学生だろ?」
「兄ちゃんと決勝見に行ったもんね! 負けたけどあれ、いい試合だった! あれで俺も野球始めたんだし!」
「可愛いこと言ってくれんなぁ。よしよし、ご褒美に150キロストレートを見せてやろう」
「マジ!? 俺、ゲンミツに打つよ!?」
「厳密の使い方が間違ってる奴に言われてもな。打てたらアイスでも奢ってやるよ」
「よっしゃあ!」
嬉々としてバッドを手にし、田島はバッターボックスへと駆けていく。
頼れる四番だけど、猪突猛進。走り出したら止まらない。そんな彼をクラスメイトとしてよく知っている泉は、深い深い溜息を吐き出した。
は百枝と何やらアイコンタクトを交わした後で、バッグからグラブを取り出してマウンドへと歩いていく。
「うしっ! 来い!」
「待て待て、ちょっとはウォーミングアップさせろって」
「じゃあ10球な!」
子供だ。子供がいる。はしゃぐ田島に、巣山は思う。
しかし好奇心は捨てられない。部員たちはそれぞれに顔を見合わせながらも、視線はマウンドに釘付けだ。
そんな中、西広がおそるおそると手を上げる。
「あの・・・・・・監督。もしかしてあの人は、社会人野球の選手なんですか?」
ええっ、という悲鳴にも似た声が、部員たちから上がった。
しかし田島はというと、キャッチャーがいなくて目の前を素通りしていくボールに食い入るばかり。
百枝は男前な笑顔で、さらりと頷く。
「そうだよ。は田島君の言ったように、高校時代は栄高校のエースで、数年前にはオリンピックにも出場したことあるし、今はシロネコトマトで社会人野球をやってるの」
「ぴ、ぴぴ、ピッチャー、なん、ですか・・・?」
「そう。最速は152キロ。球種はストレート・カーブ・スライダー・シュート・チェンジアップ、でもってナックル」
「ナックル!?」
「す、すごい・・・っ!」
魔球とも言われるナックルの名に、キラキラと三橋の目まで輝きだした。
「え、でもそんなにスゴイ人なら、何でプロじゃないんスか?」
おずおずと水谷が聞くと、百枝が少しだけ苦笑した。
まるで子供を見るかのようにマウンドに立っている同級生を眺めて。
「ドラフトで希望の球団に行けなくて、社会人野球に進んだんだよねぇ。今ならもうプロになっても可笑しくないんだけど、本人はもう一度オリンピックに出たいらしくて」
「そんな人が俺たちの練習に付き合ってくれちゃっていいんスか?」
「本人がいいって言ってるんだし遠慮しない! 一人五球くらいになっちゃうだろうけど、週に二回はに投げてもらうからねー? セミプロのボールに慣れちゃえば高校生の投げる球なんて怖くなくなるよ」
「・・・・・・そりゃそうっすけど・・・」
がっくりとうな垂れる花井の顔には、「それが出来たら苦労しません」と書いてある。
他の部員たちもそれぞれ似たような気持ちで、けれどやっぱり心なしか楽しそうで。
バッターボックスで、威勢の良い声がする。
「おしっ! 勝負!」
田島がバッドを構え、部員たちがごくりと喉を鳴らす。
そんな様子に百枝は笑みを浮かべて、マウンドに向かって手を振った。
頷きをひとつ返して、は大きく振りかぶる。
西浦の夏は、ますます暑さを増しそうだった。
2005年7月23日