吐く息が白くなって、マフラーとコートが必需品となる。
手袋とホッカイロも忘れずに。
服を変えるたびにピルケースも入れ替える。
いつの間にか当たり前になっていた作業。考え直す余地もない。
細い、蜘蛛の糸のような命綱。



「なぁ。冬休みに京都行かへん?」
「・・・・・・・・・京都?」



聞き返された言葉に、佐藤成樹は楽しそうに笑った。





この星の果てまで悪あがきでも





それは冬休みまであと半月という頃だった。
空はどんよりと鉛のような雲を広げ、窓ガラスにはうっすらと結露が光る。
暖房をかけられて暖かな保健室で、シゲは言った。
「なぁ。冬休みに京都行かへん?」
「・・・・・・・・・京都?」
「せや。おかんのとこにちょお行ってこようと思うとるんやけど、一緒に行かへん?」
「親子水入らずの邪魔をしろって?」
「おかんに紹介したいんや。『こいつが俺の決めた奴なんや!』ってな」
「うわっ、ちゃぶ台ひっくり返されたらどうしよー。『おまえなんぞにうちの成樹はやらん!』とか言われて」
「さすがにそれはないやろ」
軽口を叩きあって二人して笑って。
一応テスト前ということで手の中にあるのは歴史の教科書。
小説でも読んでるかのようなスピードでページをめくって、なくなったらハイ終わり。
暇なときは眺めてるものだから、内容は意外と空で言えたりもするもので。
「冬休みは大丈夫なんやろ? せやったら、な?」
笑顔を浮かべて聞いてくるシゲに、はつい視線を天井へと泳がした。
「・・・・・・たしかに入院はしないけど、でもそれもどうなるか微妙だし」
また夏みたいに発作を起こすかもしれないし、とは笑う。
その笑みが少し痛々しくて、シゲは顔を歪めて目の前の相手をパシッと叩いた。
痛いなぁと頭をさすって。
手を伸ばしてその髪を撫でて。
浮かべるのは愛しみ。
「・・・・・・・行く言うても二泊くらいや。もちろんうちに泊まるから宿の心配はしなくてえぇし」
「小料理屋にてご宿泊?」
「そや。京都中案内したるで」
ワイシャツの上に着込んだパーカーに金色の髪が広がる。
「10時のおやつにシーシーズでメープルシフォンケーキ食うて、昼は招月庵で鴨川見ながらキンピラ。3時のおやつは都路里で抹茶パフェ頼んで、夕飯は竹むらで湯豆腐や。なんやったら京湯葉プリンも食うとくか?」
スラスラと述べられるプランに思わず笑う。
「一日でめちゃくちゃ太りそうなんだけど?」
「ちょっとは太った方がえぇって。その細さじゃ冬も乗り切れんわ」
「余計なお世話ですー。シゲこそ脂肪より筋肉つけるべき時期じゃないのか?」
「トレーニングはちゃんとしとるし。たまにはえぇやろ、お休みも」
「京都ぶらり旅?」
「お忍びデートや」
本当に楽しそうに言うから、それもいいかな、なんて思ってしまって。
――――――――――だけど。



ピルケースが、音を立てる。



「どうや、。行かへん?」
目の前で笑う彼が眩しかった。
だから思わず、胸に手を当てた。
祈るように。
治めるように。



――――――――――別に。そう、別に。
京都に行くことが嫌なんじゃない。ましてやシゲと一緒に行くことが嫌なんじゃない。
嫌なのは、本当に怖いのは、もっと別のこと。
この胸に巣食う負担と、それに伴う不安と。
ちゃぶ台を返すなんてそれは冗談だけれども。
もし本当にそうなったら。



め い わ く そ う な 目 で 見 ら れ た ら 。



大切な人だから、本当に大切な人だから。
一緒にいたいと思うから、一緒にいて欲しいと思うから。
やっと出会えた人なんだ。
恋とはまったく違うけれど、深く愛してる人なんだ。
だからどうか傍にいてほしい。
お願いだから。そんなに長くないから。
あと少しだろうから、だからせめて、その間だけは。



隣で、笑って。



苦しくて苦しくてどうしようもなくて、胸に当てた手を握り締める。
あぁでも強く掴んだらいけない。
発作を起こしでもしたら迷惑をかける。
今でさえかなり迷惑だろうに、これ以上かけたりなんかしたら。
そうしたら、きっと。



「・・・・・・・・・・大丈夫か?」



寄せられた手に涙が浮かぶ。
どうか、神様。
・・・・・・・・・・どう、か。
どうかどうかどうか。



俺が死んだ時はどうか、俺のところに回るはずだった幸福をこの人に回してやって下さい。



お願い、だから。



「・・・・・・・・・京都、な」
そっと胸から手を外してが呟く。
「京都」
「・・・・・・せや、京都や」
「西の都」
「チャラララララチャラララー」
「そうだ、京都へ行こう」
「清水寺やで」
「金閣寺」
「銀閣寺に京都御所、南禅寺や嵯峨野もえぇな」
「京都タワー?」
「登るか?」
「ようじや」
「あぶらとり紙やな」
「・・・・・・あとは何がある?」
「何でもあるで。グルメから観光から何でもや。帰りには足伸ばしてUSJにでも行こか?」
「・・・・・・・・・それはさすがに無理が」
何故か顔は笑みを刻む。



傷ついてもいい。今が大切だから。
今だけが自分にとって大切だから。
お願いだから、あと少しだけ。



あとすこしだけ、そばにいて



逸る胸を深呼吸して抑えて、深くゆっくり呼吸を整えて。
そして、いつものように笑顔を浮かべる。
楽しそうに、明るい笑顔で椅子をくるりと回して振り向いた。



「ねぇ先生、お土産は八つ橋でいいっすか?」



保険医が頷いて笑うのを見て、シゲを振り返る。
――――――――――あぁ、本当に。



その笑顔がいつまでも失われませんように。





2003年9月28日