九月も終わるかという頃には学校へと復帰を果たした。
常に教室へは姿を現せない彼に、誰も気を止めはしなかったけれど。
夏休みよりこっち、は前以上に保健室にいるようになった。
ラスト・ダンス
扉を開けたとき、桜井みゆきはかすかな違和感を覚えて目を瞬いた。
放課後、週に一回の割合で通わなくてはいけない保健室。
開いたドア、揺れるカーテン、飾られている花、並べられた薬品。
いつもとすべてが同じはずなのに――――――――――・・・・・・・・・・。
「あぁ、こんにちは、桜井さん」
保険医の女性が振り返ったのに頭を下げたとき、ようやく気づいた。
シャーペンを走らせる音が静かな部屋に響く。
横から話しかけてくる者がいないので、プリントは順調に減っていき。
いつもよりも20分近い速さで、委員会の仕事は終わった。
「ごめんね、桜井さん。ちょっと職員室に行ってくるから少しだけ留守番しててもらえる?」
「はい、わかりました」
「ベッドで休んでる子がいるから、よろしくね」
そう言われてはじめて知った。
そちらへ向いても気づけないくらい薄い気配をした、保健室の利用者を。
仕事も終わってやることのない時間。
ほんの少し膜でも張ったように、校庭のほうからの声が響く。
思わず窓際に寄って見下ろした。
「風祭先輩・・・・・・」
ボールを追いかけて走る姿をもっとよく見たくてかかっていた鍵を外す。
少しでも、よく見たくて。
好きな人だから。
そばにいたくて。
窓を、開けた。
「――――――――――きゃっ・・・!」
突然吹き込んできた風に思わず目をつぶって。
髪が攫われる。
空気が入れ替わる。
カーテンが舞い上がって。
「―――――――――――――――――・・・・・・・・・」
ゆっくりと、振り向いた。
ベッドの上に、今日初めて会う、見慣れた・・・・・・・・・・彼が、いた。
名前が、呼べない。
ベッドに横たわっている彼の上に舞い上がったカーテンがかかって、慌ててそれを押さえた。
風が入るから、カーテンが膨らんで、レールが音を立てる。
静かに、それでも出来るだけ素早く窓を閉めた。
窓を。
「・・・・・・・・・・・・」
誰を呼べばいいのか自分でも判らないまま。
ゆっくりと、振り返った。
額にうっすらと浮かんでいる汗。
暑いわけではないのに、見えるそれ。
苦しそうに顰められた眉。
薄く開いた唇から、声にならない言葉が漏れる。
シーツを握り締める指に筋が浮かんで。
真っ青な、顔。
背筋が凍った。
「・・・・・・・・・・・・・・・先輩・・・っ」
小走りにその枕元に近寄る。
さらによく見えた血の気のない苦しげな顔に息を呑んだ。
「先輩っ! 先輩! ・・・・・・・・・起きてくださいっ!」
乱暴にかけてある布団を揺すった。
どうか、早く。
一瞬でも早く。
「―――――――――――――おきて・・・・・・っ!」
その苦しみから。
目が覚めて
ほんの少しの時だろうに、それは何故だかひどく長く感じられて。
震える瞼がゆっくりと、ゆっくりと持ち上げられていって。
睫の間から、黒い瞳が宙を見る。
それにホッとして肩を落としたところに、その言葉は放たれた。
「・・・・・・・・・・だれ・・・・・・?」
まっすぐに自分を見つめて言ったに、みゆきはヒュッと喉を鳴らした。
「ごめん、桜井さん。いやもう起こしてもらってよかったよ」
片手でカーテンを押しやって、ベッドから立ち上がったは笑いながら言った。
長袖のワイシャツの裾が、細く開いたままだった窓から入る風にそよぐ。
脱いでいたベストを羽織って、は振り向いた。
「何かスッゲー嫌な夢を見ててさ。起こしてもらって本当に良かった。ありがとう、桜井さん」
笑う相手に、ほんの少しの違和感を覚えて。
「・・・・・・・・・いえ、別に」
「先生は?」
「・・・・・・・もう戻ってくると思います」
「そう、じゃあ後は俺に任せてくれていいよ」
言われた言葉に顔を上げた。
こちらを向いて笑う相手に、ますます違和感を覚えて。
「桜井さん、今日もサッカー部あるんだろ? だったら行ったほうがいいし」
「・・・・・・・・・でも」
「風祭より、俺と一緒にいてくれるんだ?」
「っ!」
口元を歪めた相手に頬が一気に熱を持った。
そう、そうだ。さっき自分は何をしようとしていた?
窓に近づいて。
ボールを追っている好きな人を見つけて。
もっと近くで見たいと思って。
そして。
結局近づいたのは、あの人じゃなくて目の前にいる男だったではないか。
「―――――――――――私、帰ります!」
鞄を持って扉へと駆け出した後ろ姿には手を振って。
「今日はありがとー桜井さん。シゲと風祭にヨロシクー」
「誰がっ!」
扉口で振り向いた少女は、その可愛らしい顔を険しく染めて叫んだ。
「一生悪夢でも何でも見てればいいのよっ!!」
ガラララララピシャッ
廊下を走り去っていく足音。
全部を送ってから、は苦笑した。
細く開いていた窓から下を見れば、昇降口から出てまっすぐにサッカー部の方へと向かっていく少女の姿。
それを見送って、窓を閉めた。
風はもう入らない。
手の中のピルケースをもてあそんで、小さく笑う。
「・・・・・・言われなくても、一生見続けるんだよ、俺は」
一つ取り出して、冷蔵庫に常備しているミネラルウォーターで飲み干した。
喉を異物が通り抜けていく。
細い手首に、自分で笑った。
ケースの中で薬が音を立てる。
悪夢・幻覚・視調節障害
痛む頭を押さえて、溜息をついた。
死ぬまで付き合っていかなくてはいけないオトモダチ。
それも、自分の命を永らえさせるためならば。
ゆっくりと目を閉じてベッドに横たわる。
寝ても覚めても、そこは――――――・・・・・・・・・・。
2003年7月14日