夏休みに、彼は姿を消す。
気づかせはしないけれども。





灼熱の天国で僕は君への愛を語る





細く開いた窓から、風が入りカーテンを揺らす。
広がるのは緑の木々、遠くには背の高いビル群。
都内でも有数の大学病院の一室にはいた。
ベッドに、横たわって。
「気分はどうだい? 君」
「・・・・・・悪くありませんよ。久しぶりだから、ドキドキしてますけど」
「軽口が叩けるくらいなら大丈夫そうだね」
クスクスと笑みを漏らした医師にも同じように笑う。
四人部屋では年老いた女性と会社員らしい中年の男がそれぞれベッドに横になっていて、一つは空いていた。
窓際のベッド、の今の居場所はそこだった。
「明日からはしばらく検査を受けて、その後は新しい治療法を試してみよう」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしく」
穏やかな医師の笑顔にも同じように微笑んで。
そしてまた、目線を外へと戻した。



鼻につく薬品の匂い。
ざわざわと人の動き回る気配。
それに比べて、静かな部屋。



落ち着かない、けど。
慣れている。



パジャマでは動きづらいからジャージを持ってきた。
室内は弱冷房がかかっていて冷えることもあるから、上に羽織るものも持ってきた。
マグカップはプラスティックの落としても割れないやつ。インスタントのコーヒーと紅茶。
さっき洗濯機の位置を確認したから着替えはいつでも洗うことが出来る。
貴重品はロック式の金庫の中へ。財布と、テレホンカード。
この病棟は、携帯電話は使用してはいけないから。
暇を潰すためには特に何も持ってこなかった。本なら図書室へ行けば借りることが出来るし。
それに何もしないで時間を過ごすことには慣れている。
一人で、いることにも。



穏やかな風が流れる。
静かに、静かにそっと。
「・・・・・・・・・何か、楽しいことはあったかい?」
しばらくの問診の後、医師が聞いた。
目を向けたに微笑を浮かべて、促すように。
「・・・・・・・・・いえ、いつもどおりでした」
肩をすくめて、再び視線を外へと移す。
夏の日差しが眩しい。硝子一枚で隔たれた世界。
内側は、静か。
「じゃあ何か困ったことはあったかい?」
「困ったこと・・・・・・・・・」
矛先を変えて向けられた質問を、は上の空で繰り返して。
そういえば、と考える。
「・・・・・・クラスで、俺に興味を示す奴が一人増えました」
「それはいいことじゃないか。友人が出来たんだろう?」
「友人というか・・・・・・・・・俺にとっては、楽しいよりも困ったことです」
窓の外を見つめて、唇を一度閉じて。
今はきっと、炎天下の下でボールを追いかけているのだろう。
笑顔がよく似合う、純粋な少年。
「近づきたくなんてなかったのに、俺の不用意なミスで関わってしまった。本当に彼には悪いことをしたと思います」
「人と関係を築くのに良いも悪いもないよ」
「いえ、彼には悪いことをする」
まっすぐに、太陽を見つめて。
「親しい人間の死は、人の心を傷つけるから」
少女のように細い腕が、白いシーツへと投げ出された。



長期休みになるたび、は検査入院を繰り返してきた。
自分の心臓が不良品だと知ったときから。何度も何度も繰り返して。
荷造りには慣れてしまった。知らない人と相部屋するのにも慣れてしまった。
目を閉じてベッドに横になる。
考えてしまうのは家族と、親友と、クラスメイト。そして、大切に思っている少女について。
しばらくは傍にいられない。この間に傷つかないでいてくれればいいけれど。
自分がいなくなることで彼女が傷つくのはあり得ないから、他者がどうか、彼女を傷つけないように。
こんな場所から祈ることしか出来ないけれど。
祈りなんて、無意味なものかもしれないけれど。
自己満足を満たさせて。



「ぼうや、これ食べないかい?」
カーテンの隙間から声が届いて、は静かに布をめくった。
隣のベッドで上半身を起こしている老婦人。曲がっている背中がやけに目に付いた。
差し出された饅頭を受け取っては笑う。
「いただきます」
にこにこと、まるで孫に向けるかの笑顔で彼女は笑った。
「大丈夫。ぼうやくらい若い子なら病気なんてあっという間に治るよ。元気をお出し」
「はい。ありがとうございます」
「何かあったらいつでもお言い。まぁ私はおばあちゃんだから何も出来ないかもそれないけどねぇ」
「いえ、そんなこと。ご親切にありがとうございます」
ニッコリと笑って頭を下げた。
饅頭は好きでもないけれど嫌いでもない。
示された優しさには、苦笑した。



大丈夫です。俺は慣れていますから。



コイではない胸の苦しみに、俺は慣れていますから。



本当はこんなもの、慣れたくなんてなかったけど。



窓に映る空は相変わらず真っ青で、遠くで夏を彩る入道雲が色鮮やかに見えた。
青と白。浮かぶのは金色と黒、さくら色。
あぁどうか、自分がいない間に彼らが傷つくことのないように。
自分がいないことで悲哀を感じることはないけれど、どうか幸福を感じることがあるように。
この場所から、あらん限りの祈りを捧ぐから。
彼らが幸せな夏を過ごせますように。



自分の過去へと向き合うため故郷へ戻った親友。
新しい可能性を求めて一歩踏み出したクラスメイト。
好きな人の背中を見つめて自分も努力を続ける想い人。



胸が、痛いよ。



彼らがどうか輝かしい夏を手に入れますように。
ベッドから祈りを捧ぐ。



「・・・・・・・・・幸せで、ありますように」





2003年6月28日