俺はただ、彼女に笑っていて欲しかったんだ。





My dear





絶対に笑うなよ? あー・・・・・・・・・でもシゲはたぶん絶対に笑う。賭けてもいいぜ?
・・・・・・うん、じゃあ言うけど。
桜井さんはさ、俺の母さんに似てるんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・あ、やっぱり笑いやがった。
どうせ俺はマザコンですよ。勝手に言ってろバーカ。
もういい。話してやんねー。



・・・・・・・・・実際はさ、写真でしか見たことないから判んないけど。
でも、笑った顔がそっくりだったんだ。
明るくて、眩しくて、優しい顔。
幸せに笑ってる顔。
それが写真の中の母さんと一緒だったんだ。
だから気がついたら彼女を見てた。



彼女が風祭を好きになったってこと、すぐに気づいたよ。
だってあんなあからさまな視線と行動だし? 気づかない方がどうかしてる。
ましてや俺はずっと見てたんだしね。
気づいたとき? あぁ、思わず笑ったっけ。
可愛らしいなぁって思って。
その後ですぐ可哀想だなって思ったよ。



実ることのない恋愛をするなんて、可哀想だって。



幸せになって欲しいんだ。
写真の中の母さんのように、いつも笑っていて欲しいんだ。
そのためなら何でもする。
母さんに出来なかった分、何でもする。
だからどうか、笑って。



風祭には目指している未来があるから、彼女に振り向く可能性は万に一つ。
それを彼女自身が判っているならいいけれど、どうやら判っていないみたいだから。
何かに全力を傾けている奴には、横から何をしようとダメなんだってこと。
気づいてないみたいだから。
風祭は彼女を好きになることはない。
だからさ、傷つく前に止めちゃいなよ。
アイツを好きなこと、止めればいい。
深くない傷を癒す間は、俺が傍にいるから。
だからどうか、笑って。



俺の好きな笑顔で、笑って。



笑うような言葉と軽い態度。
俺にはこれしか出来ないから。・・・・・・我ながら、情けないとは思うけどさ。
でもそれで彼女が少しでも理解してくれたなら。
逃げ道があるってことに、少しでも気づいてくれたなら。
そうしたら俺は幸せ。
彼女が笑ってくれるだけで幸せ。
でもそれは、俺に向けてじゃダメだ。
俺じゃない誰かに向けて。
彼女の想いを受け止めて大切にしてくれる、俺じゃない誰かに向かって。
笑って、欲しい。
俺じゃダメだから。
俺は彼女を泣かしてしまうから。
だから今度は彼女を見つめて好きになってくれる奴に。
どうか、笑って。



桜井さんが笑ってくれるだけで、俺は幸せだから。



「・・・・・・・・・そうなんだ」
風祭の呟きには目を細めて頷いた。
最初は笑いながら聞いていたシゲは、今は窓際で椅子に座り外を眺めている。
その顔に不機嫌そうな様子が浮かんでいるのは間違いない。
彼は好きではないのだ。のこの行動が。
「そ。ご理解頂けた?」
「うん。君がみゆきちゃんを大事に思ってるのはすごくよく分かった」
「理解力の高い聴き手で嬉しいよ」
ふざけた言い方で笑うに風祭も小さく笑って、そしてその笑みを潜めた。
一瞬、間をおいてからゆっくりと口を開く。



「・・・・・・・・・でもそれは、特別な『好き』じゃないんだね」
少し高めの声が保健室に響く。
君の『好き』は、恋愛の『好き』じゃないんだ」
開いた窓から入る風がカーテンを揺らす。
君はみゆきちゃんを『好き』なわけじゃないんだね」



「・・・・・・・・・・そうだよ」
は、認めた。
幽かに笑った相手に、風祭は罪の意識を感じで顔を伏せる。
たぶんこれは聞いてはいけなかったことなのだ。
不躾な質問。絶対に尋ねてはいけない、そんな問いだったのだ。
彼女の幸せを祈る彼の気持ちになんら嘘はないのに。
それなのに。



「・・・・・・・・・僕、ずっと不思議に思ってたんだ。なんで君はシゲさんと友達なのにサッカー部には来ないんだろうって」
口から零れ落ちてしまった言葉は戻すことは出来ない。
そう分かっているから、風祭は言葉を続けた。
「一度も、来たことないよね? シゲさんの部活が終わるのを待ってるときも、シゲさんに何か用事があるときも。絶対に君はサッカー部に来ないよね」
「それは俺が嫌われてるからだよ。そんなとこにわざわざ近づきたいなんて思うわけないじゃん」
「うん・・・・・・・でも、それもポーズだよね? サッカー部に嫌われるのも。・・・・・・それも僕は、君が自分で嫌われるように仕向けたんだと思う」
「へぇ?」
興味深げにが片眉を上げた。
窓際のシゲも頬杖をつきながら振り向いて、そんな中で風祭は続ける。
「それに君、僕らのいる前じゃ絶対にみゆきちゃんに話しかけたりしないよね? 挨拶とか、そういうのだけで」
「よく見てるな、風祭も」
楽しそうにとシゲが笑う。
それは共犯者の笑みで、風祭は自分の推測が正しいことを確信した。
「名前も『桜井さん』で、絶対に『みゆきちゃん』って呼んだりしないし」
ずっと不思議に思っていた。なんで彼は彼女を名前で呼んだりしないのだろうと。
少しずつ重なっていた疑問が、ようやく答えを見出した。
顔を上げてまっすぐにを見つめて口を開く。



「それも全部、みゆきちゃんの為だったんだね? みゆきちゃんを・・・・・・・・・追い詰めない為に」



風祭の推測には笑った。
それだけで十分だった。



居ることが当たり前になりすぎた保健室では笑う。
「風祭も桜井さんのこと『好き』じゃないだろ?」
それは八割方、むしろそれ以上に確信を含んでいて。
風祭は少しためらった後に小さく頷いた。
「僕はまだそういうことは考えられないから。みゆきちゃんには、残酷かもしれないけど・・・・・・」
「それでいいんじゃん? そう片手間に誰かを『好き』になったりは出来ないって」
「・・・うん」
シゲがガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
それは終了の合図。
鞄を持ったシゲを追いかけるように風祭も慌てて立ち上がって。
そして思い返したように顔を上げてを見た。
「あの、君。一つだけ聞いてもいいかな?」
「なぁに?」



「どうして、『俺じゃダメ』なの?」



そんなに、泣きそうになるくらい優しい気持ちで彼女を見ているのに。
それなのに、どうしてダメだと言うのか。
彼を好きになった方が、絶対に彼女は幸せになれるのに。
どうして。



「・・・・・・・・・それは、秘密だよ」
ウィンクしてが笑った。
それはまるで、幼い子供が「内緒だよ」とでも言うように。
目を引くほど無邪気に、そして有無を言わせず。
人差し指を立てて笑った。
シゲが、扉の前で小さく唇を噛んだ。



グラウンドへと出て行く二人を見下ろしながら、は笑う。
小さく見える少女が、嬉しそうに風祭へと近づいていくのも。
見ながら笑って、そして肩を下ろしてため息をつく。
「・・・・・・いつまでこうしてられっかなー・・・・・・・・・」
呟いた言葉はグラウンドまで届かない。
少女へは、届かない。



自分のハンデを知る人間は、シゲだけで十分だ。
これ以上誰かに知られて無意味な同情なんてされたくない。
ましてや、哀れみの眼差しでなんて見られたくない。
彼女の前でだけは無様な姿を晒すまいと、決めているのだ。
それだけが見栄を張るための唯一の支え。



君のことが『好き』ではないけれど、でもたしかに好きだから。
だからどうか、笑って。



君の笑顔が好きだから、ずっと笑っていて欲しかったんだ。





2003年6月22日