憧れを含んでいるうちに終わらせた方が、傷跡も深くなくていいんじゃない?



「ねーぇ桜井さん。俺と付き合わない?」
「結構です」
「うっわーヒデェ」



一言で振られちゃったよ、と言いながら少年は笑う。
桜井みゆきは不機嫌そうに顔を歪めて黙々と書類へと視線を戻した。





花も嵐も踏み倒せ





君、人前で言われたらそりゃ断られても仕方ないでしょー」
「やっぱそう思います? でも俺としては恋愛に場所は関係ないと思うんで」
「お、情熱的だね」
「若さ故ってやつですよ」
あははははは、と声をあげて笑う人物が二人。
たった今告白をしでかした少年・と、さばさばとして親しみやすいと評判の桜上水中の保険医である女性だ。
そんな様子をこめかみをピクピクと引きつらせながら無視し、桜井みゆきは変わらず書類の集計を取っている。
ちなみにこれは保健室の利用者名簿。
週に一度、保険委員である彼女は仕事のためこの部屋を訪れないわけにはいかない。
そこにたとえ、邪魔してくる少年がいたとしても。
毎回毎回告白まがいのことを仕掛けてくる少年がいたとしても。
出来ることなら一秒も相手にしたくない少年がいたとしても。
それでも仕事は仕事。行かないわけにはいかないのだ。
「でもさ、桜井さん。俺、絶対にお買い得よ? 頭もいいしルックスもいいし、将来性もまぁまぁだし」
「まぁまぁなのかー? ここはせめてバッチリとか言っておけば?」
「恋愛には謙虚も必要なんですよ、先生」
「授業にも真面目に出てない奴が何言ってんだかねぇ」
「だからバラすのは止めましょうって。俺の心象がどんどん悪くなるじゃないっすか」
「あーはいはい。今さら遅いけどね」
保険医はそう言って顎をクイッと向ける。
その先には書類整理をしていた少女がいて。
机に落とされていた視線は今は上げられ、少年をじっと見詰めていた。
それは決して愛しいものを見つめる目ではなく、それはもう非難がましいオーラバリバリで。
顔にはまざまざと『軽蔑してます』と書いてある。
少年は困ったように頬をかいて、小さく笑った。
「あーぁ」
少女はまた書類に視線を落として黙々と作業を開始させた。



「ねぇ、桜井さん。俺のこと本気で考えてみてよ」
「いやです」
「俺、優しいよ? それに頼り甲斐もなくもないし」
「何ですか、それ」
「二年だから一年生の勉強も教えてあげられるしさ、それはもうバッチリ」
「いりません」
「休日は一緒にデートしてさ。映画観たり買い物したり。絶対楽しいって」
「楽しくなんてありません」
「部活が終わるの待ってるからさ、一緒に帰ろう?」
「絶対いやです」
「頑なだなぁ。ちょっとは考えてみてくれたもいいじゃん」
「必要ありません」
少女はキッと少年を睨んで言った。



「私、好きな人がいますから」



「それって俺?」
「・・・・・・・・・」
「あーもう嘘だから睨むなって。判ってる。うちのクラスの風祭だろ。―――風祭、将」



少年が降参ポーズを取ってサラリと言うと、少女は一瞬沈黙して。
そして顔を真っ赤に染め上げた。
黙って事の成り行きを見守っていた保険医は、微笑ましそうに目を細めて。
少年も同じように口元を緩めた。



「自分で言ってて照れちゃダメじゃん。可愛いねぇ、桜井さんは」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「ハイハイ落ち着いて。誰にも言ってないから平気だって。まぁ風祭が自分で気づかない限りは」
「・・・・・・・・・・・・」
「だってあそこまであからさまに行動してて気づかれないわけないじゃん。ま、サッカー部員は全員気づいてんじゃないの?」
「――――――――――!」
「でも黙ってるんだからいい奴らだよな。良かったねぇ、桜井さん?」



唇を歪めて少年は笑った。
それは先ほどの柔らかな笑みとは違って、何かを含んだ癖のあるもので。
少女はハッとして息を呑む。
その目は相手の心の奥まで見通してしまいそうで。
怖くなって、目を逸らした。



カタンと、椅子を引いて席を立つ。
震えそうになる手で鞄を掴んで、視線は逸らしたまま。
「・・・・・・・・・先生、終わったのでこれで失礼します」
少年は椅子に浅く腰掛けて、そんな少女をじっと見つめたまま。
顔を背けていた少女は気づかなかっただろうけれど、その顔には一切の表情がなくて。
無機質な様子が、少年を冷たく見せていた。
そして彼は小さく笑う。
「ハイ、ご苦労様。じゃあ部活頑張ってね」
「失礼します」
保険医の声に頭を下げてから鞄を手に早足で去っていく。それは少しでも早くこの場から逃げるために。
けれどそんな少女を少年が呼び止めた。
「ねぇ、桜井さん」



「気が向いたら遠慮せずにおいで? そのときは俺以外が見えなくなるくらい溺れさせてあげるから」



椅子から立ち上がると扉口で固まってしまった少女にゆっくりと近づいて。
その背を押して保健室から送り出した。
静かに、微笑んで。



「・・・・・・また来週」



少年はドアを閉めた。
声をなくした少女を廊下へと置き捨てて。
静かに、笑った。



「あんま恋する乙女を虐めちゃ可哀想なんちゃうか?」
シャッと音を立ててカーテンを開けて現れた相手に保険医は苦笑して、話しかけられたは平然と肩をすくめた。
「どこが? 一言で切り捨てられた俺の方が可哀想じゃん」
「自分、ホンマに大した嘘吐きやな」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「褒めとんのとちゃうで、コラ」
コンっと軽くの頭を小突いて、佐藤成樹は楽しそうに笑った。
寝ていたため解いていた髪を結んで、欠伸を噛み殺して椅子に座る。
先ほどまで少女の座っていた、椅子に。
そしてそっと手を伸ばした。
「・・・・・・・・・顔色悪いで、自分。無理せんと早よ帰りぃ」
「ダイスキな桜井さんのためなら多少の無理もイトイマセンヨ」
「アホか。さっさと帰るで」
「シゲは部活に出ろよ。水野が怒って探してるぜ」
「一日くらい出ぇへんでも俺の実力は減ったりせんから心配すんなや。それよか自分の心配せぇ」
「過保護すぎ」
「お互い様や」
保険医が苦笑する傍らで、シゲは学ランと鞄を持って立ち上がり、置いてあったの鞄も手に取った。
そのままを促して立ち上がらせる。
「桜井の心配するんは勝手やけどな、自分の体調のえぇときだけにしときや」
「だから平気だって。最近は好調なんだ」
「嘘吐くんは他の奴にしとき。俺には通用せぇへん」
「お互い様な」
苦笑しながら立ち上がって、シゲの手から鞄を受け取る。
学ランを着て保険医に笑顔を向けた。
「じゃあ先生、今日は失礼しまーす」
「ハイハイ。も佐藤も気をつけて帰んな。明日はちゃんと授業に出なよ」
「気が向いたらそうしまーす」
二人して笑う様子に保険医も笑って手を振った。
「もう一年ダブるのは嫌だろ? この留年組みが」
「うっわ痛いトコ突くわ、この人!」
「俺もう心臓が貫かれちゃったよ!」
「・・・・・・、それは洒落にならんから止めときや」
こうして二人は帰っていった。



君の想い人である彼は、絶対君には振り向かないよ。
だって彼には君以上に大切なものがあるからね。
それを追いかけているうちは、彼が君を好きになることはないよ。
だからさ、そんな恋は止めちゃいなよ。



今ならまだ傷は浅い。
深くなる前に、ねぇ?



「・・・・・・なぁシゲ、おまえやっぱ部活出ろよ」
「あかん、今日は帰る。タツボンなんか放っとき」
「バーカ。俺がシゲをたぶらかして部活サボらせてんだと思われてるんだぞ? 何せ俺は授業も真面目に出ない保健室の不良君だし?」
「俺かてそうやろ。不真面目さではえぇ勝負や」
「まったく、これだからサッカー部に嫌われてんだよな、俺。あーもう桜井さんへの道は前途多難って感じ」
「好きでも何でもない女を慰めて何が楽しいんや。それも自分の体まで削ってな」
「・・・・・・・・・ちょっとはスキなんだよ。傷つくのを見るのが嫌なくらいには」
「あっそ」
「そーなんですよ」
「こんの嘘吐きが」
「お互い様」



君に愛を与えることは出来ないだろうけど、癒しを与えることは出来るから。
だからどうか、少しでも泣く前にここへ来て。
涙を流すよりも、どうか笑って。
君の笑顔が好きだから。



手遅れになる前に来てくれることを祈ってるよ。
俺にとっても、君にとっても、手遅れにならないうちに。



「俺と付き合おうよ、桜井さん」
少年は今日も保健室で微笑んでいる。





2003年4月14日