「・・・・・・・・・ゆき」
「ダ〜メ」
「・・・・・・・・・ユキ」
「それもダメです」
「・・・・・・・・・雪」
「意味が違ってますよ〜」
「・・・・・・・・・勇気」
「さらに違ってますし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有、希」
「ハイよく出来ました〜」



「後はそれを本人の前で呼ぶだけですね〜」なんてニッコリ笑いやがって!
それが出来りゃこんなに苦労してないっつーの!





恋愛は新進気鋭





須釜寿樹による『恋するための恋愛講座』ステップ3は『名前で呼び合おう』だった。
呼び合おうっていうのはともかく、とりあえず名前で呼んでみようということになって。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・何か、無理な気がする。
ひしひしとそんな予感がしたからスガに考え直してもらおうと思ったら。
「難易度は下げませんからね〜」なんて笑顔で先手を打たれたし!
しかも俺が「・・・・・・・・・スガ、な」って言いかけた瞬間に言いやがった!(ちなみに「な」とは難易度の“な”だった)
こうして俺は他の道さえも閉ざされて。
たしかに律儀にスガの講座を実践しなくてもいいとは思うけれど、でもそれで俺の小島に対する気持ちが明確になるならやってもいいと思うし。
―――――――――――と、いうわけで。
俺は小島を名前で呼ぼうと練習をしている毎日なのです。(スガを相手に!)



教室では俺と小島は特に話をしたりするわけじゃない。
別にわざとそうしてるわけではなく、ただ何となく自然とそうなっていて。
俺と小島がつき合っていることも誰にも知られていないみたいだし。
あ、でも水野と佐藤と風祭は知ってるか。この前サッカー部に小島を迎えに行ったときに言ったからな。
でもアイツラも他の奴らには言ってないみたいだ。
言ってたら最後、俺はきっと小島のファンの男たちに呼び出しを食らってきっと今頃校舎裏にでもいるだろうから。



―――――――――――しかし。
とりあえず実践してみないことには何も始まらない。
サッカーでもそうだ。ゴールを打たない限り得点は入らない。・・・・・・・・・オウンゴールはこの際考えないことにして。
小島のフルネームは“小島有希”。というわけで俺が呼ぶのは“有希”という名前。
・・・・・・・・・まてよ? よく考えれば何も呼び捨てで呼ぶこともないんじゃないか?
そうだよ。呼び方なら他にもいっぱいあるし。
『有希ちゃん』とか、『有希さん』とか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
それは、ちょっと、変?
『有希ちゃん』って小さい子を呼ぶならともかく、同じ年の子を呼ぶわけだし。
『有希さん』っていうのは逆に年上の人を呼ぶような感じだし。
・・・・・・・・・ってことは、やっぱり呼び捨てしかないわけで。
まいった。



考え事をしているといつもは退屈であくびを噛み殺している授業もさっさと終わった。
今日はクラブの日だからさっさと帰らないと。
スポーツバッグよりは一回り小さな鞄を肩にかけて、クラスメイトと軽く別れを告げて教室を出る。
ざわめく廊下をまっすぐと昇降口へ向かって歩いて。
我知らず早足になっている自分に気づいて苦笑する。
やっぱり芝のグラウンドが俺のいたい場所なんだなぁ。

後ろから呼び止められて振り向くと、スポーツバッグを提げた小島がこちらへと向かってきていて。
立ち止まって、それを待つ。
「今日はこれからクラブ?」
「ああ。小島は部活だろ?」
「そうよ。夏の大会に向けて特訓中なんだから」
明るく笑う小島。・・・・・・・・・っていうか、ダメじゃん、俺。
普通に苗字で呼んじゃってるし。ステップ3はどうした。・・・・・・スガがニコニコ笑ってる姿が目に浮かぶ。
・・・・・・・・・・・よし、とりあえず一度実践してみよう。
後のことはそれから考えよう。
イタリアの鉄壁の守備カテナチオを破るにもシュートを打たなければ始まらないのだから。
隣を歩く小島をチラッと見ながら、一つ深呼吸をして。
ドキドキ、する。
「なぁ―――――――――ゆ、」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



「―――――――――うべの試合見た? レイソル対ジュビロのやつ」
「あぁ観たわよ。前半最初のゴールが結局決勝点になったわね」
・・・・・・・・・・・・・・ごめん、スガ。俺は勝てませんでした。
たかが単語一つ! されど二文字! こんなに口にすることをためらう言葉があるとは・・・・・・!
恐るべし、小島有希。
「レイソルのユースとは何度か試合したことがあるけど、やっぱり中盤がしっかりしてるんだよな」
「そうなの?」
「ああ。トップでもレイソルは中盤が強いし、ユースでも同じような戦術を使うんだよ、あそこは」
「へぇ・・・・・・。ね、また今度試合があるときに観に行ってもいい?」
「もちろん、何時でもどうぞ」
会話だったら普通に出来るのに・・・。なぜ名前だけが呼べないのでしょう。
これもすべて恋する魔力のなせる業なのでしょうか?教えて下さい、スガ様。
やっぱり難易度を下げてもらうべきだったんだ・・・。



靴を履き替えて外に出るとグラウンドの隅では陸上部が部活を始めようとしていて。
あ、ヤベ。50分の電車を逃したら遅刻になっちまう。学校から駅までは走って10分くらいだから・・・・・・ギリギリ間に合うか。
しかし今日もステップ3をクリアー出来ず。
何かスガに怒られそうだなぁ・・・。「僕は君をそんな意気地なしに育てた覚えはありませんよ〜」とか言われて。
俺も育てられた覚えはないんだけどさ。
ローファーを履く小島を眺めていると、隣の下駄箱の列から小さな影が現れて。
「あ、君」
「よ、風祭」
会釈してくる姿に手を上げて答えて。後ろから続いて出てきた佐藤にも軽く手を振って。
あ、水野も出てきた。まぁこっちは俺と同じ下駄箱の列だけどさ。
「何よ、アンタたちまだ部活行ってなかったの?」
「小島かて同じやん。でも恋人との時間は邪魔できへんからなぁ」
「ちょっと佐藤! 何言って・・・っ」
小島がうっすらと頬を赤く染めて言い返す。
あぁホント可愛いよ、小島。
「照れんでもええって。な、?」
いや、話を振られましても。風祭と水野はあいまいに笑ってるし。
小島はというとさらに赤くなって佐藤に食ってかかるし。
「バカなこと言ってんじゃないわよ! ・・・っとじゃあ、また明日ね。練習頑張って!」
「・・・・・・小島も、部活頑張れよ」
照れ隠しなのか何なのかイマイチ判らないけど、小島は挨拶だけすると佐藤を引きずってグラウンドへと向かい始めた。
風祭や水野も「バイバイ」と言ってその後に続いていって。
横に並ぶ、後ろ姿。
遠くに見えるサッカーゴール。
一緒にプレイする仲間たち。
胸が、痛い。
鼓動が、聞こえる。



「――――――――――――――――有希!」



振り向いた彼女に俺に出来る最高の笑顔で笑ってみせて。



「また明日な!」



クルッと踵を返して駆け出した。肩にかけているバッグの紐を思いっきり握りながら。
返事は聞かない。つーか聞けないって!
だって今の俺、すっごく情けない顔してるだろうし!
何でだよ! 何で名前一つ呼ぶだけなのにこんなにドキドキしなくちゃいけないんだよ!
思い出すたびに顔が赤くなっていくのが判って。
俺は走るスピードを上げた。
今ならこのまま横浜の練習場まで走っていけるんじゃないかとも、思ったりした。



「足速いんだな、って」
「そうだね。・・・・・・・・・って小島さん?」
「おい小島、おまえ顔真っ赤だぞ? どうした?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜うるさいっ! 放っといてよ!」
「あかんで、タツボン、カザ。小島は名前で呼ばれたんが嬉しいんやで、きっと」
「名前? ――――――――あ、」
「たしかにさっきは名前で呼んでたな」
「一瞬前までは『小島』って呼んでたんになぁ。初めてやったんやないか、呼び捨てされたん」
「でも、さっきの君カッコよかったですね」
「ホンマや。男前な顔しとったで」
「クラスでは一度もしたことがないんじゃないか、ああいう顔」
「もっと笑うたら人気もぐっと上がるんやろうに」
「それはそれで大変だろうけどな」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・びっくり、した・・・・・・」



「スガッ!」(ドカッと思い切り体当たり)
「ぐっ・・・・・・・ど、どうしたんですか〜? 君」
「ダメだ! ステップ3は無理! もういいから次に行くぞ!」
「・・・・・・どうしたんですか〜一体」
「・・・・・・・・・・・・・・・(かくかくしかじか)」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・何か言えよ」
「いえ、いえいえいえいえ。大丈夫、ステップ3はちゃんとクリアー出来たじゃありませんか」
「ゼッテー無理! もうダメ、明日小島に会ってももう名前じゃ呼べねぇ!」
「『名前呼び』は特別ですからね〜」
「本当だよ! スガの言った意味がよく判った。名前一つ口にするのも照れるし恥ずかしいし、言ったら言ったでどうしようもなく反応に困るし!
何で名前一つでここまで大変な思いしなきゃいけないんだよ・・・」
「それは、その人の名前が“特別”だからですよ〜」
「・・・・・・トクベツ?」
「そう、“特別”。君にとって彼女さんの名前は他の人とは別に大切な意味を持つってことなんですよ〜」
「・・・・・・・・・」
「大丈夫、いつか必ず自然に呼べるようになる日が来ますから」
「・・・・・・・・・それを願うよ」
「全くです」
「・・・・・・・・・」



名前一つ。
されど感情は無限。
ここまで振り回される俺が小島に惹かれていないなんて考えられない。
だからって・・・・・・名前だけは、ダメだ。
言葉にしたらさらに小島の存在が大きくなりそうで。
それは、何か、ちょっと困る。
まだ自分の気持ちさえもハッキリ判っていないのに。
大きなため息は帰り道の夜空に消えた。



翌日、教室で顔を合わせた俺と小島の間には微妙に照れた沈黙が訪れ。
やっぱり俺は「有希」と呼べないのであった。





2002年11月27日