何だか無性にボールが打ちたくなった
でも今日は、部活はなくて
父さんに相手してもらおうかとも思ったけれど、今は、リョーマがいるから
従姉に言付けて家を出る
ラケットバッグ片手に来慣れないストリートテニス場はハッキリ言って好きじゃないけど
跡部さんや忍足さんに頼むのもどうかと思って
・・・・・・・・・・甘えたく、ないから
ダブルス相手に一人で勝ち抜いて
帰るとき当然のように囲まれた
下卑た中傷しか出来ないバカなやつら
でも絡んできたコイツラが悪いんだ
いい気分転換になるかと思って口の端を歪ませたとき



急にふっとんだ相手
暗闇から現れ次々と俺の周囲を片付けていく影
夜目に浮かび上がる白い学ラン
揺らぐ紫煙
振り向いた顔を見て思い出した



影は以前、リョーマの倒した相手だった





a scythe in his left hand





「・・・・・・テメェこんなところで何やってやがる」
低いドスの利いた声
夜に映える
「明日は試合だろうが。ガキはさっさと家に帰って寝ろ」
舌打しながら言われた言葉
あぁ、リョーマ明日試合なんだ
2回戦は終わったし、3回戦? ・・・4回戦?
知らない、そんなの
どうでもいい
「明日は試合じゃないよ。まあ部活はあるけど。俺たちは1回戦で青学に負けたから、もう大会は終わったんだ」
車が排気ガスと共に流れて、ヘッドライトが光る
眉を寄せた相手の顔が浮かび上がって、消えて
「・・・・・・テメェ、誰だ」
俺の黒髪とピアスが浮かび上がって、消えて
「氷帝1年、越前。ヨロシク」
ニッコリと微笑んだ



アンタがリョーマと俺を間違えたのなんて、すぐに判ったよ
白ランを着ている俺の知り合いは千石さんしかいないし
アンタは俺の領域内にいる人じゃない
むしろ、リョーマの内に
俺じゃなく、リョーマの側に



「亜久津さん・・・・・・だっけ」
前に向日さんが言ってたような
「テニス辞めたって聞いてたけど、こんなところに何の用?」
脇にある階段を昇れば、そこはライトアップされたテニスコート
今もボールを打つ音がここまで聞こえて
「チッ・・・・・・テメェには関係ねぇ」
「そうだね。でも興味があるから」



アンタがリョーマの側にいる、明確な証拠が欲しいから
ねえ、見せて
無いなら示してあげるよ
アンタが俺の側にいないことを



「リョーマに負けて悔しかった?」
俺は試合なんて見てないけど
「努力したならともかく、カッコつけて負けた気分ってどんな感じ?」
そんなの、どうだっていいけど
俺はクスリと声を上げて笑ってみせる
「情けないね、アンタ」
闇で見えなくても嘲笑っているのが判るように
「負け犬みたい」
大きな声で、笑った



ストレートの拳を避けることなく左頬に受けた
さすがに痛い
でも歯は折れてない
よろめいた足のまま相手の懐に一歩で入り込んで
小さいのってこういうときに便利だよね
そのぶん力はないけれど
重ねた掌を鳩尾に打ち付けた
たたらを踏んだ相手に俺も下がって
倒れないのは流石
でも中から破壊するよ
だんだんと痛みが沸いてくる



「悪いけど、ケンカなら慣れてるから」
日本に来てからはそんなに数をこなしてるわけではないけれど
自分の身を守ることは最低限のルールだし
アメリカにいた頃は酷かった
ケンカを売られない日はなかったくらい
相手の手に堕ちないように最低限の対処法は独学で学んだ
あとは実践で身につけるだけ



あのときは俺の後ろにリョーマがいた
背中合わせで、二人
互いを守るのに必死だった



懐かしい、思い出



「テメェ・・・千石の言ってた奴だな」
「千石さん? 何か言ってた?」
「さぁな。甘いことばっかホザいてたぜ」
「・・・そう」
千石さんは優しい
跡部さんも優しい
忍足さんも向日さんもみんなみんな
優しい人、ばかり



だから泣きたくなる
俺は、優しくされるような人間では、ないから



だけど泣けない



「・・・ねぇ、亜久津さん」
聞いてみたかったことがある
「テニス、辞めたんだよね? リョーマと試合して」
睨みを利かせる相手に
「・・・・・・どうして?」
ずっと、ずっと聞いてみたかった
「どうして、リョーマと試合してテニスを辞めたの?」
ずっと



コートを去っていく背中なら何度も見た
けれどリョーマの前にはその姿は再び現れて
俺の前には二度と現れなかった
そんなことが一度や二度じゃない
何度もあった



だから聞かせて
リョーマと試合をして二度とコートに戻らない、貴方の言葉を



「何でテメェなんかに・・・」
「―――――――――教えろよ!」
たぶん今の俺は必死の顔をしてる
だって、ずっと知りたかったんだ
どんな答えでもいい
・・・・・・知りたかったんだ



「満足したんだよ」



亜久津さんの低い声が夜の空に響いた



「あの小僧との試合は最高のものだった。アレ以上の試合は二度と出来ねぇ。だから辞めた、それだけだ」



聞こえてくる、ボールの音



「俺はもうテニスには満足した」



・・・・・・・・・それならば
それならばあのときコートを去っていった相手もそうだった?
亜久津さんと同じように満ち足りた気持ちでコートを去った?
俺と試合をして充足感を得られたから二度とコートには立たないのか?
・・・・・・・・・そんなの



違うに決まってる



あのときの対戦相手も、いつのときの対戦相手も
去っていく背中は暗い影が淀んでた
今目の前にいる亜久津さんのようにまっすぐに背筋なんて伸びてなかった
みんながみんな、悲しそうに背を丸めて



選手の身内に批難をあからさまにぶつけられたことがある
あのときは幼くてよく判らなかったけど
じゃあ何故、父さんは俺をその背に隠したんだ?
じゃあ何故、母さんは帰りの車の中で俺を抱きしめて離さなかったんだ?



全部、全部覚えてる
本当は判っていたんだ



俺のテニスは絶望をもたらすことしか出来ないという事実に



「・・・・・・ありがと、亜久津さん」
震えそうになる声で礼を言って
ここで弱い姿は見せられない
「もうテニスはしない方がいいよ。今度は満足して辞められはしないから」
突き放す
二度とこんな近い距離で交わることなどないように
「俺は、リョーマみたく甘くはない」
自分で言う言葉が斬り付けられるように痛い
「俺と試合したらすべてのものを失うしかないからね」
・・・・・・・・・判っていた、事実
「さよなら、亜久津さん。今夜はどうもありがとう」
ゆっくりとした足取りでその場を去って
弱い姿は見せられない
見せる相手はこの人じゃない



「おい」
呼ばれて振り向いた
車は通らない
俺の顔は見えない
・・・・・・・・・見ないで



「テメェの喧嘩に周囲を巻き込むんじゃねぇよ」



胸を掻きむしるようにジャージをきつく握って
息が、上手く出来ない
「―――――――――わかっ、てる・・・・・・よ・・・・・・・ッ」
もうダメだ
駆けるように階段を飛び降りて
逃げた
後ろから突き刺さる視線が痛かった



苦しい



夜の街は昼とは違う顔をしていて
俺の腫れた左頬を痛ましそうに見てくる人
切れた唇に顔を歪める人
でも関わろうとはしない冷たい街



それでいい
それでいいんだ
もう俺には構わないで



誰にも絶望なんて味わってほしくないから



誰にも



「―――――――――!」



ビクリと体が竦んで
足が縫い付けられたように動かなくて
振り返ってはいけない
もう誰も悲しませたくない
だから、どうか



!」



強く肩を引かれて振り向かされた
驚いて目を見開く顔
通りに止めてある外国産の車



「・・・跡部、さん・・・・・・」



会いたくなかった
会いたくなかった
俺に優しくしてくれる人にだけは会いたくなかった
幸せになってほしいから
だから、会いたくなかった



なのにどうして俺はこんなにも胸が熱いんだろう



心臓が、痛いよ



跡部さんはそっと俺の切れた唇に手を伸ばして
触れた個所はすこりピリッとして痛かった
でもそんなもの、どうってことない
心臓の痛みに比べたら



傷付く資格なんてないのに こんなに心が痛むなんて 俺は何てヒドイ人間なんだろう



俺を抱きしめる跡部さんの体が温かくて泣きそうになった



だけど、泣けなかった





2002年12月5日