おそらく軍から指示でもされたのだろう。
東方司令部から徒歩で十数分というところに、ロイの家はあった。
一人で住むには広すぎる一軒家。
先ほど渡された手の中の鍵は使わずに、は門扉についているインターホンを押した。
ベルの音が自宅内で響いているらしいのを聞きながら、黒いコートを脱ぎ捨てて腕にかける。
一段と強くなった香水の匂いに、自分自身で顔を歪めて。
チャイムが鳴っても出てこないだろうとは予想していたので、は門を開き、まっすぐに玄関へと歩いて行った。
鍵を使って玄関の扉を開き、人気のない屋内へと声を張り上げる。
「エドー」
少しの間の後で、軽い足音と逆さの顔が階段上から覗いた。
「?」
ヒラヒラと手を振って、は笑みを浮かべて見せる。
我ながら、下手だとは思ったけれど。
クロッカス
「どうも、お借りしました」
ここにはいない家主に向かって、は濡れた髪をタオルで拭きながら言った。
もちろんこのタオルも風呂場にあったもの。
シャツもロイのものを拝借したので、少しだけ大きな襟口から自分の肩に鼻を寄せて匂いを嗅いで。
ボディーシャンプーの、香りがする。
思わずホッと肩を落として、は小さく頬を緩めた。
「はもう朝ご飯は食べたのか?」
キッチンで冷蔵庫を開けながら、エドが尋ねてくる。
「や、まだ」
「目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちがいい?」
「・・・・・・何もつけない、目玉焼き」
その返答に思うところがあったのか、エドは眉を顰めた後で納得したように頷いた。
は今朝、ロイと会っている。
その際にきっと聞いたんだろうな、と考えながら、エドは器用に卵をフライパンへと割り落とした。
白身が色をつけてくる間に、手際良くトースターにパンを仕掛けて。
それをはダイニングの椅子に腰掛けながら眺める。
「・・・・・・何も聞かないんだ?」
ジュウジュウとオリーブオイルが音を立てて。
「まさか。聞くに決まってるだろ。でもとりあえずは飯が先」
「オーケー」
フライ返しで半熟の目玉焼きを皿へと移す。
エドの後ろ姿を見ながら、は額に手を当てて小さく唇を歪めた。
美味しそうな匂いを立てて、朝食が用意される。
「どーぞ、召し上がれ」
「イタダキマス」
両手を合わせてからフォークとナイフを動かしはじめたの向かいに座って、エドは醤油と塩・胡椒を取って目の前に並べる。
「絶対に醤油だって」
試してみろよ、と言うとが笑ったので、エドも笑った。
安心したように、内心で溜息をつきながら。
仕事に出たはずのロイから電話があったのは、つい30分くらい前のことだった。
何か忘れ物でもしたのかと思って聞けば、返された答えは全然別のことで。
『これからがそっちに行くだろう』と、ロイは言った。
朝方の街で会ったということを手短に話して。
何でこんな時間に、と聞いた自分に、ロイは『自分で聞いてみろ』と言った。
そして、『弱っているだろうから、ベッドを貸してやりなさい』とも。
電話が切れた後、少しして玄関のベルが鳴って。
一応自分はここの家主ではないので、出るようなことはしなかった。
錠を開ける音と、ドアを開く音がして。
自分を呼ぶ声に、来た、と思った。
階段の上から見下ろしたは、何だかとても泣きそうな顔をしていた。
女物の香水を纏わりつかせているということがどういう意味なのか。
判らないほどエドは子供ではなかったし、頭のどこかで予想はしていた。
だからあまりショックは受けなかった。
自分が受けるべきではないし、それなら自身の傷の方が深いだろう。
またが傷付いたと、エドは思った。
「今回の仕事は、情報を探ること」
食後のコーヒーを飲みながら、が言う。
「一番手っ取り早い方法が、ターゲットがよく行く売春宿の娼婦から聞き出すのだったから、俺はそれを実行したまで。今回は誰も殺してないよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「セックスには愛が必要?」
薄く笑う様子に、エドは何も言えずに黙り込む。
自身がそう思っていないことは明白だった。
「・・・・・・確かに愛があれば一番だけどさ。合意の上なら、いいと思う」
「無理強いはしなかったよ。相手は商売で抱かれてる人だし、十分イイ思いはさせてきたし」
可愛らしい顔で生々しい台詞を吐くに、エドは再び沈黙した。
おそらく、自分とでは価値観が違うのだとエドは思う。
そしてそれを感じる場面は、今までにもたくさんあった。
それでも、友達でいたいと思うから。
「・・・・・・余計なお世話だと思うけど」
顔を上げて、まっすぐにを見つめて。
「中尉は、傷付くと思うぜ」
告げられた言葉に、の表情から笑みが消えた。
人の感情がなくなる瞬間を、エドは目撃する。
次いで優しく細められた目に、自分は悪いことをしてしまったのだと十分に悟って。
「・・・・・・うん、俺もそう思う」
困ったように、どうしたらよいのか判らない子供のように、頼りない眼差しでが言う。
「リザさんが俺に少しでも好意を持ってくれてるのが判るから。だから本当に、リザさんには悪いと思う」
白い手が、いまだに少しだけ湿っている髪をゆっくりとかきあげて。
「――――――でも」
次の言葉は、簡単に予想がついた。
「俺には、探しているものがあるから」
何度でも繰り返す。何度でも口にする。
そうすることで自分を確立してきたのだから。
証。誓い。真理にも似た己の理。
抱いている、願い。
譲れないから、傷つくことを選んだ。
唇が乾くのをエドは感じて。
望んでいるものがあるから。
欲しいものがあるから。
そのためには力を尽くすと、罪を背負ったときに決意した。
自分にとってのそれは、弟であり、賢者の石。
――――――ならば。
張り付いた唇を、やっとの思いで引きはがして。
エドは向かいに座っているに目を合わせて。
声が、震える。
「・・・・・・・・・の、探してるものって」
聞いてはいけない。聞かなくてはいけない。
興味ではなく、ただ純粋に。
近くに行きたいと、思ったから。
これを聞かなきゃ、辿り着けない。
これから先を、共に居れない。
・・・・・・想いを、振り絞って。
「・・・の錬成したモノって・・・・・・一体、何なんだ・・・・・・?」
両足を賭して。
その後の人生を懸けて。
大切な人を避けて。
それ程までに求めるものは。
の根底を形作っている、それは――――――・・・・・・?
エドの視線の先で、の顔がゆっくりと変化した。
浮かんでいた切なさと、可愛らしさが消えて。
こちらを見ていない瞳に喜びの感情が溢れ出して。
そしてそれは、絶望に変わる。
真理のすべてを、その内に収めて。
紅い唇が緩慢に動き出すのを、エドはどこか遠くで知覚していた。
ロイの大きなベッドで一眠りした後、はコートも着ずに立ち上がった。
支給された黒のコートは、そのままゴミ袋へと詰め込んで。
玄関口でエドを振り返って、は笑う。
「じゃあ俺は東方司令部によった足でセントラルに発つから」
ああ、とエドが頷く。
「俺とアルはあと二・三日ここにいて、その後南部に行く」
「じゃあ五日後くらいにサウスシティ駅で」
「昼前くらいにな」
「オーケー。アルによろしく」
「こそ、中佐によろしく」
門のところまで出て、手を振ってエドは見送った。
太陽はすでに空高く昇っている。
きっとはこれから、いつものようにホークアイへの差し入れを買って、いつものように彼女の元を訪れるのだろう。
何も変わらない、顔をして。
そう考えながらエドは音を立てて門扉を閉めた。
「・・・・・・馬鹿」
呟いて、玄関へと歩き出す。
玄関の扉も乱暴に閉めて。
金色の髪を掻き上げて、吐き捨てるようにエドは言った。
「今さら、それくらいで嫌いになるかよ・・・・・・っ」
笑顔と、傷と、優しさと。
すべてが嘘じゃないと信じているし、知っているから。
だからこそ頼って欲しいのに。
リビングのソファーに転がって、エドは大きく息を吐いた。
の顔が、瞼の裏に浮かんでは消えて。
切なくなって、手を握りしめる。
部屋の隅からは、まだ微かに香水の匂いがしていた。
2003年12月12日