鋼の両足、手を軽く当てて損傷がないのを確かめる。
調子は悪くない。特に直さなくていいだろう。
持っていく荷物はトランク一つ分。忘れ物がないかをもう一度チェックして。
そしては立ちあがった。
白いコートを片手に部屋のドアを開ける。
早朝すぎて、まだ人の活動も始まっていない宿。
隣の扉を見つめて、は笑った。
「・・・・・・ごめんな、エド、アル」
何も言わずにいくことを許して欲しい。今はまだ、上手く笑えないから。
またどこかで会えるといい、なんて考えながら、静かに廊下を抜けた。
代金を受付に置いて、ドアについているカウベルを鳴らさないように宿を出る。
白みがかった朝日の中に誰かが立っているのを見とめて、は目を細めた。
ゆっくりと、笑みを作って。

「おはようございます、リザさん」

――――――上手く、笑えたかな。





最後のキス





朝の光に紛れて色の薄い街。
その中に青の軍服を正しく着こなして立っている相手を見て、は思う。
ひょっとしたら、今日の仕事で自分は同じ青の軍服を着なくてはいけないのだろうか、と。
いくら好きな人と同じ服とはいえ、素直に喜ぶには何かが邪魔をする。
手の中の白いコートを確認するように握った。
「どうしたんですか、リザさん。こんなに朝早く」
軽く笑って、一歩踏み出す。
「今からご出勤ですか? それとも今からお帰りで?」
逆光で顔が見えない相手。それも今は好都合。
「どちらにせよ会えて嬉しかったです。東方司令部のみんなにもよろしくお伝え下さい」
本当は、列車の切符は軍から渡されている。
でも、誰にも知られずにいきたかったから、こんなに早く宿を出た。
結果的には一番会いたくない人に会ってしまったけれども。
「サヨナラ、リザさん」
笑みを浮かべたまま、歩き出そうとして。
けれど朝日の中に見えた瞳に、思わず足が止まる。

――――――目が、合ってしまった。



強くて、優しい、綺麗な女の人が好きで。
そしてそれはリザ・ホークアイという人物にとても当てはまった。
だけど、好きになった理由はそれだけじゃない。
は、『ちゃんと』リザのことが好きだった。

だから、会いたくなかったのに。



まっすぐな視線を向けられて、は内心で動揺する。
その眼差しは、これから殺戮を冒す自分を責めているものでも、哀れんでいるものでもない。
ただ、ただまっすぐに。
心を、貫く。
・・・・・・・・・だからこそ、辛い。



「・・・・・・どうしても行くのね」
涼やかな声が、今は何故か悲しい。
「何だか恋人に引きとめられているみたいですね」
「真面目に言ってるのよ」
軽口を叩くを窘めて、リザが向き直る。
「あなたが何を探しているのかは知らないけれど、自ら進んで手を汚す必要はないわ。力になら大佐も私もなれるでしょう?」
「さすがの大佐でも国家機密を持ち出せるとは思いません。リザさんだってそれは同じです」
「あなたは自分の意思じゃなく人を殺す程、その探し物を求めているの?」
「ええ。だって俺は、そのために両足を失ったから」
「辞めなさいと言っても聞かないのね」
いつもどおり冷静な声で言われた言葉には苦笑した。
右手には白いコート。左手にはトランクが一つ。
そして隣に、好きな人。
「まったく、リザさんの言葉には心が動いちゃいますね」
もう一度、今度はちゃんと相手を見つめて笑って。
朝日が一層、辺りを白く輝かせる。
小さな声は、朝靄に消えかけて。

「・・・・・・だから、言わないで?」

それでもちゃんと、リザの元へ届いた。



そっと手を伸ばして。
軍服の袖を引き寄せて。
ほんの少しだけ背伸びして。
その、唇に。



――――――触れられなかった。



抵抗なんてなくて。
長い睫も白い肌も眼前にあって。
吐息さえかかる距離なのに。
触れたいと、思うのに。



触れられなかった。



罪人の手で、彼女には



は、ぎこちなく軍服の袖を離して笑う。
それはやっぱり、ぎこちない笑みだったけれど。
「・・・・・・じゃあ、リザさん。お元気で」
気を抜けば泣いてしまいそうで、でも涙を見せることなんて許せなくって。
その隣を、駆けぬける。



「――――――さよなら」



ハッとして振り向いたとき、すでに小さな後姿は朝焼けの中に消えていた。
足音だけが、やけに街に響く。
それも段々と小さく遠ざかっていって。
リザはきゅっと手を握り締めた。
温かさよりも、冷たい銃身を持つことの方が多い手。
責めることなんて出来ない。
でも、止めたかった。
たとえそれがどんなにエゴだったとしても。

「・・・・・・ごめんなさい、君・・・」

呟きは、朝靄に落ちて消えた。





2003年11月15日