知っている人間は数えられるほどしかいないが、『万物の錬金術師』であるは機械鎧に身を包んでいる。
彼の友人であり旅の仲間であるエドワード・エルリックが右腕と左足なのに対して、の機械鎧は両方の脚。
太股の付け根近くから、彼の生身の身体は消えていた。

――――――それは、少年が罪を犯した証。





この脚で地獄を駆ける





いつのまにか居るのが当然のようになりつつある東方司令部で、とエルリック兄弟は資料室に閉じこもっていた。
片っ端から未読の資料を見つけては、貪るように読んでいく。
その知識がすべて彼らの頭の中に収められていくというのだから、本当に14・5の子供とは信じがたい。
疲れを覚えることのないアルフォンスはともかく、とエドは長時間飲まず食わずだったことに気がついて、ようやく遅めの昼食を食べることにした。
時刻はすでに夜8時。



「俺、天一のミソチャーシュー」
「じゃあ俺は醤油わかめラーメン」
軍の電話を使って出前をとる子供が二名。
けれどそれもいつものこととなりつつあるので、司令部の面々は適当にやり過ごしている。
司令官執務室の近くにあるソファーに腰を下ろし、とエドはのんびりとしていた。
「あー・・・・・・明日で資料が読み終わるだろ? そしたら明後日には発てるな」
「エドは研究とかしなくていいのか?」
「今はいーや。査定はまだまだ先だし、は何かあるのか?」
「俺としてはリザさんと会えなくなるのが悲しいだけ」
「じゃあ問題なし」
うわヒド、などと言いながら笑い合って、二人は遅過ぎる昼食が来るのを待っている。
けれどそんなほのぼのとした間は、突如開かれた司令室のドアによって壊された。
出てきたのは司令官であるロイ・マスタング。
「・・・・・・大佐?」
驚いて見上げたエドは、彼の目がいやに真剣なのに気づいて戸惑いながら声をかける。
ロイの端正な顔がやけに強張っている。
エドはこんな彼の表情を前にも見たことがあった。
あれは確か――――――初めて、会ったとき。
向けられた視線の鋭さに、エドの思考が思わず止まる。
乱暴に一歩踏み出した裾で軍服が舞い、今まで穏やかだった司令部に緊張が広がった。
ロイの靴音が大きく響いて、そして止まる。
張りつめた空気の中、ロイはまるで敵でも睨むかのような目をして、強い力で相手の胸元をつかんだ。
目の前にあるのは、少女のような美貌。
――――――けれど。
ロイの口から低く告げられた言葉に、エドワードは息を呑んだ。

「・・・・・・・・・仕事だ、“万物の”」



国家錬金術師になるということは。
国家錬金術師になるということは、すなわち軍の狗になるということである。
命令されれば逆らうことは出来ない。どんな仕事でもしなくてはいけない。
そしてそれが一般軍人とは違い、凡人には出来ないような、殺戮であったとしても。
国家錬金術師に与えられている特権は、そういう義務と引き換えのものなのだ。
この3年、自分に下されることはなかったからエドワードは無意識に忘れかけていた。
自分たちは、軍のための道具であるということを。
――――――命じられれば、人を殺さなくてはいけないのだということを。



誰かの机の上から一枚の書類が零れ、かすかな音を立てる。
けれどそれは大きな音になって部屋に響いた。
胸倉を捕まれた状態で、が口を開く。
「・・・・・・いつ?」
「明日13時40分の列車でセントラルへ行け」
「判りました」
アッサリとなされた了解にロイはいっそう眉間の深くする。
は言葉の意味が判らないほど馬鹿な子供ではない。
それが判るからこそ、このあまりの反発のなさに不安さえ生まれてきて。
ある考えに至って、ロイは目を見開いた。
「まさか・・・・・・」
「ご名答です、マスタング大佐」
堅苦しいの声が告げる。



「俺は自分から進んで、殺戮者に志願したんですよ」



――――――パンッと頬を打つ音が響いた。



長めの髪が頬にかかる。
色白の頬が赤く染まる。
殴られた箇所を抑えずに、は顔を上げた。
ロイの怒りに染められた顔を無感動に見返して。
「等価交換は錬金術師の基本。俺は今回の仕事と引き換えに情報を貰うんです」
「・・・・・・・・・誰にだ」
「相手の名は言えません。ですがマスタング大佐よりも階級が上の方なのは確かです」
「一体、何の情報を」
「国家機密に匹敵するものです」
ヒュッと誰かが息を呑んだ。
国家機密に匹敵する情報。
それを欲しがる
彼の目的。
情報を与えることの出来る人物。
ロイよりも上の階級。
国家機密に匹敵する情報。
等価交換の殺戮。
すべてが緩やかな恐怖を示していて、の無表情な顔がそれを肯定する。
国家試験のときに聞いた言葉がロイの頭の中にフラッシュバックした。
「・・・・・・・・・おまえの取り戻したい『大切なモノ』とは、人を殺してまでも欲しいものなのか?」
エドの鋼の右手が強く握りしめられ、その軋む音を聞きながら、はやはり頷いた。



「・・・・・・だって、この脚と引き換えにして手に入れたものなんだ」



だから、絶対に。



小さな呟きは近くにいたロイとエドにしか聞こえなかった。
二人が目を見開くのを見ては小さく笑い、いまだ胸倉をつかんでいるロイの手をそっと外す。
謝りはしない。
「ごめん、エド。ってわけで俺はちょっと用が出来たから。もしまた会うことが出来たらどこかで会おう?」
「・・・・・・な」
「一緒にいたくないだろ」
エドを遮って、が言葉を綴る。
立ち上がってロイの隣をすり抜けると、ちょうど扉のところに立っている彼女と目が合った。
無表情のまま、が見つめる。
リザの悲しげな瞳には気づかないふりをして、は笑って。
「じゃあ俺、準備してくるから」
何も言わずに、すれ違った。



思いついたときから。
錬成陣の構成を考えているときから。
必要なものを集めているときから。

脚を、失ったときから。



何百と誤り、そして謝らないことを誓った。
罪は消せない。ならば罪だけを犯して生きていく。
あまりの勝手さに呆れないわけではないけれど。
でも、自分は人でなくなったから。



だからもう、触れることはできない。



瞼を伏せて、先程の彼女を思う。
ごめんなさい、なんて言えなかった。





2003年11月14日