「す、すきですっ!」
あのときの俺は、幼いなりに必死だったんだ。
だけど首まで真っ赤な俺に彼女は言ったのだ。
「わたしはくんなんかキライ! だってくんってかっこわるいんだもんっ!」
走り去っていってしまった女の子。
固まった俺の上に落ちてきたのはメガトン級のハンマー。
初恋はこうして、俺に大きな傷を残したのだった。
花泥棒
初恋に敗れ去ってから9年。俺は中学三年生になった。
公立小学校から一転、親に勧められて中学は都内でも指折りの名門校である氷帝に入学。
だけどその中でも俺はひたすら地味に生きることを目指してきた。
いや、地味なんて甘い。むしろ空気にならなきゃ。でも空気なんて綺麗過ぎる。蚊くらいで丁度いいかもしれない。
俺は蚊だ。人様に見つけられたら両手で圧死させられる運命にある蚊なんだ。だから出来る限り目立たぬように生きていかねば。
そう己に課して早幾年。俺は透明人間にも似た存在感を手に入れる技術を会得した。
地味に生きるということは、他人に俺の印象を残さないこと。
「そんな奴いたっけ?」って首を傾げられるくらいがいい。むしろそれがいい!
俺はそのために、まずは制服をきちっと着こなすことから始めた。
氷帝の制服は基準服だから別に着なくてもいいんだけど、学校ブランドということで着ている生徒がほとんどだ。
男子はネクタイを緩めて、ワイシャツは短く腹チラがどうとか知らないけど、俺はそんな格好しない。
ネクタイもワイシャツもきちんとして、ズボンもベルトで締めてずらさないで履いて。
ブレザーやセーターは全校生徒で多数決をとったら多いだろう方を着ることにしている。
鞄も学校基準、ジャージも靴も学校基準、全部すべて学校で基準とされているものを使うようにしている。
授業中は大人しく教師にも印象を残さないように過ごし、部活はいろいろと面倒だから入っていない。
登下校はバスと歩きだ。自家用車で校門に横付けなんてもっての外。そんなことするくらいならチャリで通った方がまだマシだ。
身長は都合よく中三の男子の平均と同じ169センチだし、太ってもいないから人目を引くことはない。
―――――――――問題は、顔だ。
とりあえず眼鏡をかけることにした。元々近眼気味だったから丁度よく、出来る限り分厚い牛乳瓶の底みたいなレンズを使用して、フレームは黒縁定番。
でもそれだけじゃ隠せないから、今度は前髪を伸ばすことにした。眼鏡にかかるように、目が見えなくなるように。
耳も見せたくないから髪を伸ばして隠して、出来る限り顔を見せないようにする。
唇はどうしても隠せないので、出来る限り笑わないようにした。
ハッキリ言って、俺は変な奴に見えると思う。地味で暗くて、気味の悪い男子生徒。
だけどそれでいいんだ。他の奴らに寄ってこられるくらいなら。
俺の不細工な顔を他人に晒してしまうくらいなら、『変人』だと思われた方がよっぽどいい。
初恋の女の子に「かっこわるい」と言われてから、俺は出来る限り顔を他人に晒さないようにしてきた。
だって俺の顔が不細工だから。これ以上他人に何か言われたくないし、俺の顔を見た他人の気分を害したくない。
友達はいないわけじゃないけれど、出来るだけ作らないようにしてきた。
すべては不細工な俺の自衛手段。
―――――――――なのに。
「うわっ!」
「―――ってぇ!」
ほんの一瞬の油断で、その努力は水の泡になってしまったのだ。
一日の授業を終えて、俺はさっさと家に帰ろうと廊下を歩いていた。というか、むしろ競歩で進んでいた。
だっていつ何時この不細工な顔を晒すことになるか判らないような場所に、誰がいたいと思うものか。
今日の課程は終了した。だからさっさと。
そんなことを考えて半ば走っていた俺は、そのとき確かに油断していたんだろう。
廊下の角を曲がろうとして、向こうから来た奴と思いっきりぶつかったのだ。
俺も、そして相手もかなりのスピードを出していたから見事なほどに互いに尻餅をついて。
カシャンという音と、俺の鞄の中身がばら撒かれてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・早く帰りたいのに、最悪だ。
誰だよ一体、と思って顔を上げると、俺と同じように書類やら何やらをぶちまけている生徒が見えた。
グレーがかった髪に、少しだらしなく、それでいて絵になるように制服を着こなしている。
纏っている雰囲気に覚えがあって視線を上げたら、やっぱり予想通りの顔があって。
「・・・・・・アーン? てめぇ、俺様にぶつかるとはいい度胸してんじゃねぇか」
俺様何様跡部様らしいクラスメイトの男がいやがった。
やべぇ、コイツには関わりたくない。俺はそう判断してさっさと自分の荷物を拾い始める。
跡部ってのは厄介だ。地味で蚊な俺から見てもそうなんだから、きっと間違っていないんだろう。
勉強も出来て、運動神経もいい、生徒会長を務めながらも、名門氷帝テニス部の頂点に立つ男。おまけに家柄もいいなんて完璧だ。
ただ性格はあんまり良さそうじゃない。つーか俺様だから近寄りたくない。
それに何より跡部は美形だ。だから嫌だ。
「てめぇ、謝罪の一つもナシかよ」
跡部はそう言うけど、むしろ謝罪して欲しいのはこっちの方だ。
競歩だった俺も悪いけど、でも同じくらいのスピードで歩いてきた跡部だって悪いんだ。
つーか何よりおまえが美形なのが悪いんだよ。不細工な俺の八つ当たりだけどな、でも天に二物も三物も与えられてんじゃねーよ!
ちくしょう・・・・・・なんかスッゲー惨めな気分になってきた。
ばら撒かれた中身をすべて鞄に戻して立ち上がろうとしたら、跡部が床から何か拾い上げたのが見えて。
「・・・眼鏡?」
その呟きにハッとして、俺は自分の顔に手をやった。
・・・・・・・・・いつもあるガラスが、ない。
「――――――かえ、せっ!」
慌てて手を伸ばせば、跡部がひょいっと身をかわして逃げやがった。
だけどどうしても奴の手の中にある眼鏡を取り戻したくて、必死で両手を伸ばす。
「てめぇふざけんじゃねぇよ! さっさと返せ!」
「拾ってやった恩人に対して失礼な奴だな。礼の一つも言えねぇのかよ」
「言うわけないだろ、てめぇなんかに!」
ここが廊下だとか、相手があの跡部だとか、そんなことも一切考えられずに俺は手を伸ばす。
だってそれは壁なんだ。不細工な俺を隠すための壁。仮面。だから絶対に取り返さなくちゃ。
運動神経の良い跡部はひらひらと俺の手をかわす。いい加減に蹴りでも食らわせてやろうかと思ったそのとき。
伸びてきた跡部の手が、俺の前髪を払った。
地味でいるために染めていない黒髪が視界の中で舞い上がって、そしてパラパラと額に落ちてくる。
何にも邪魔されない世界が俺の目の前に広がって、その中に跡部だけが見えた。
端正な跡部の顔がどこか呆気にとられ、そして固まっているのが。
「――――――っ!」
悪態を吐くことも、殴り飛ばすことも出来なかった。
俺は一瞬の隙をついて跡部から眼鏡を奪い、そのまま鞄を持って駆け出す。
周囲の生徒たちが不思議そうに見てきたけど、そんなものを気にすることも出来なかった。
・・・・・・・・・どうしよう。
見られた。
見られた。
この、俺の、不細工な顔を見られた。しかもよりによってあの跡部に。
あの美しい顔をしている跡部に見られた。・・・・・・・・・・何たること。
きっとあの俺様のことだ。周囲の人間に俺の不細工さを事細かに面白おかしく聞かせるに違いない。
・・・・・・・・・これだから嫌だったんだ。
俺だって、好きでこんな顔に生まれたわけじゃないのに。
浮かぶ涙を拭って俺は走った。
初恋の女の子の台詞が、頭の中でグルグルと回っていた。
2004年2月26日