DYE
46:君と分かつ別れ
ルキアは弾かれるように顔を上げた。
「な、何だよ?」
あまりの勢いに、隣にいた一護が肩を震わせる。
けれどルキアは夜に染まっていく空を、ひたすらに見上げ続けた。
見えはしないけれど、一つの魂魄が今、尸魂界へ召されようとしている。
それが誰かなんて判らない。判らないけれど、ひどく胸が騒ぐ。
数日前、台風の中を会いに来た人間の顔が浮かんだ。
そしてそれに導かれるように、尸魂界にいる親しき者たちの顔も。
瞼の裏に浮かんでは消え、ルキアの心を締め付ける。
「おい、どうした?」
一護の声に、胸を押さえて。
心中で一度大きく深呼吸をしてから、振り向いた。
目の前にいるオレンジ色のした、死神の死覇装を着ている人間。
大切な存在。死なせたくはない。
「―――何でもない。早く帰るぞ」
笑った顔は、我ながら不細工だろうとルキアは思う。
その証拠に一護は器用に片眉を顰めてみせた。
だけど何も言わずにルキアは再び歩き出す。
そろそろ今の居場所を去らなくてはいけない。
大切なものを護る決意を、その心に秘めながら。
渡されていた鍵で、浦原はドアを開けた。
1Kのアパートは、入って右側にユニットバス。
左に小さなキッチン、そこまでが床で先は六畳の和室。
窓に沿うようにして置かれているマットレスに、今は一人の人間が横たわっている。
いや――――――壱つの、死体が。
下駄を脱いで室内に上がり、彼の傍に膝をつく。
力のない手首を持ち上げれば、それは熱もなく重たかったが、浦原は一応脈をとった。
けれどやはり生命の鼓動は感じられず、血の流れもすでに止まっている。
瞼を閉じている顔はひどく穏やかで、浦原はそっとその頬を撫でた。
本当は、が生きたいと願うのなら、その手助けをするつもりだった。
だけど彼は死ぬことを選んだ。
親に二度捨てられ、『化け物』でしかいられないこの世界よりも、尸魂界を選んでしまった。
浦原に言わせれば、あそこだって決して良い世界と言えるわけじゃない。
確かにの力は異端とされないだろうし、素晴らしい、と褒め称えられるだろう。
だけどやはり奇異の目で見られることは間違いない。強すぎる力は、時として畏怖を招くから。
「・・・・・・引きずり込んだ本人たちが、どうにかしてくれるといいんすけどねぇ・・・・・・」
おそらく今も隊長を務めているだろう、数人の死神を思い浮かべて、浦原は小さく舌打ちした。
下っ端ならばいいけれど、上は陰謀が渦巻いている。
正直、そんなところへを行かせたくなかった。
強すぎる力は利用される。哀れな末路を辿るかもしれない。
人間のときと同じ、悲しい生になるかも。
だけど自身の選んだ道に、浦原は口出しできなかった。
ただ、祈る。彼の二度目の生が穏やかであることを。
こんな淋しい笑顔で死ななくてもいいように。
ただ、願う。
目の前に落ちた雫に、子供は顔を上げた。
見ればテーブルに夕飯を並べていた自分の母親が、その瞳から透明な雫を零している。
かすかに開いている唇が、戦慄くように誰かの名を呼んだようだった。
子供は、知らない名を。
「ママ、どうしたの?」
小さな手で、サマーセーターの袖を引っ張る。
ぽろぽろと落ちる涙が、いくつもテーブルで跳ね返った。
「ママ、どこかいたいの?」
母親は力なく首を振る。
テーブルについた両手は震えていて、堪えきれず床に膝をつく。
項垂れて嗚咽を漏らし始めた母親を、子供は不思議そうな眼差しで見つめていた。
さよなら。
さよなら。
さよなら。
2005年10月16日