DYE

41:後四日(愛しています)





叫び声に込められた恐怖。
引き攣った顔と怯えの溢れる瞳に、は彼女が『見える』人間なのだと悟った。
それも当然かもしれない。
だって、『自分の』生みの親なのだから。
見えたって不思議じゃない。



母が蒼白になっているのが、視界の悪い雨の中でも判った。
人間の魂ならまだしも、鎖の断ち切れてしまった今、言葉は通じない。
中には話せる虚もいたが、それはかなりの強さを持っているものだけだった。
化したばかりの目の前の化け物が、人語を解せるわけがない。
どうしよう、とは思う。



どうしよう。殺せはしない。
虚を始末し、魂葬するのは死神の仕事。
自分が殺してしまえば、世界のバランスを崩してしまう。
そんなの今更だけれど。でも事情を知ってしまった今。
この六日間、逃げ回ってきた。



だけど、虚が目の前にいる。
自分の母を今にも殺さんという様子で。
・・・・・・・・・選ぶ余地など、ない。



一歩で間合いを詰める。
力の溢れる手を突き出し、その長い腕を握り潰した。
悲鳴が上がる。血飛沫が舞う。
解放された母親を腕の中に抱き寄せ、さらに手を振るった。
仮面を掴み、抵抗する虚をぶち壊すように力を込めて。
「逝け」
餞のように呟いた。
断末魔を残して虚が消えていく。
千切れてアスファルトに転がっていた腕も、同じように消えた。
静寂が雨音と共に戻ってくる。
は安心したように肩を降ろした。
「大丈夫? かあさ―――・・・・・・」
腕の中の母を見下ろす。
びくり、とその細い肩が大きく震えて。
目が合った瞬間。



は自身の意識と熱が、静かに引いていくのを感じた。










・・・・・・おわった










唇をきつく噛み、手を放す。
アスファルトに足をついた母親は、けれど力が入らないのか座り込む。
スカートが汚れてしまうけれど、は手を貸さなかった。
もう、無理。
もう、終わった。
「・・・・・・・・・」
名を呼ばれても、ほんの少し前のように笑えない。嬉しくなれない。
悲しみだけが広がる。虚しいと、思う。
もう心残りはない。
見られていることが苦しくて、は早くここから去りたかった。
少しでも早く。
これ以上、この目に晒されていたくない。



「―――さよなら」



擦れる声でそれだけ言って、逃げるように駆け出した。
・・・・・・っ!」
後ろから追ってくる声にも振り向かない。
纏わりつくる視線から逃げるように、届かぬ場所へ。



母は虚を見るのと同じ目で、自分のことを見ていたから。
もう、この世界に居場所はない。意味もない。



―――木箱を開けよう。
走りながらは思った。





木箱を開けよう。





2005年5月11日