DYE

09:邂逅(そしてサヨナラ)





雨が降っている。強く、たしかな水滴が。
傘を差している今、それらはを濡らすことはない。
けれど視界を悪くさせられ、小さく溜息を吐いた。
アスファルトの道、周囲には誰もいない。
ただ、目の前にいる巨大な化け物のみ。
それはいつものと同じように、胸に大きな穴を開けている。
吸い込まれそうなその闇にも、感慨など湧きやしない。
醜い、けれど必死さを感じさせる咆哮にも。
欲望と、そして命をも懸けるかのような攻撃にも。
今更、何も感じない。
触手を避けて、手の平を翳す。



生まれてからずっとそうしているように、は一撃で化け物を消し去った。



ジーンズのポケットに入れている携帯電話が振動し、着信を知らせる。
先ほどの戦い―――というには微小すぎるが―――の間も手放さなかったビニール傘を左手に移し変えてから、は電話を取り出して通話ボタンを押した。
かけてきた相手はこれから行くバイト先の居酒屋。
「はい、です」
近づいてくる気配に、路傍へ身を寄せる。
傘の柄を回して、相槌を打つ。
「あ、女将さん。まだ時間じゃないですよね?」
手元の腕時計で確認した瞬間、視界の上隅で何かが舞うのが見えた。
漆黒の着物。刀を腰に帯びた少女が、ビルの屋上から降ってくる。
その人物は当たり前のように道路に着地し、身を屈めたまま周囲を見回している。
はそれを見ないようにしながら、話を続けた。
「・・・・・・はい。え? 雨ですか? 大丈夫ですよ」
まるで実の息子のように可愛がってくれている相手に、かすかな笑みを浮かべて。
少女が泣きそうな顔で、けれど眉を吊り上げる。
「もうアパート出ましたから、あと五分で着けそうですし」
小さな携帯電話に似た機械が、少女の手に握られている。
可愛らしい顔も、今は負の感情に染められていた。
吐きそうになる溜息を飲み込んで、は答える。
「はい。・・・・・・はい、大丈夫です。行けますから」
心配してくれる相手に笑いかけてから、それじゃ、と言って通話を切る。
役目を果たした携帯をポケットに戻す傍ら、アスファルトに立ち尽くしている少女を何気なく垣間見た。
戦慄くように、赤い唇が震えて。



「絶対に許さない・・・・・・っ!」



その言葉は自分へ向けられたものなのだと判ってしまった。
―――だから。





「じゃあ、どうするの?」





いつものように手の平に力を集めて。
それすらも慣れてしまった動作だから、意識なんて必要ない。
威力のあるそれを、振り向いた相手に向かって、は放った。



ぶつかって、皮膚を割いて、湧き出す液体。
赤い血を持っている化け物を見るのは久しぶり。
少女の顔が歪み、唇から血が滴る。
開かれたそれは何かを綴ったようだったけれど、には届かなかった。
咳と共に血を吐き、少女はアスファルトに膝をつく。
一撃で死なない相手は久しぶりだと、は思って。
ちゃんと殺そうと、もう一度右手を翳す。
けれどそれよりも先に、かすかな呟きが耳に入った。
途端に、辺りの空間が歪む。
現れた和製の扉のようなものに思わず目を奪われていると、足元で少女が動いた。
深い傷に立ち上がることも出来ず、地面を血で黒く染めながら這い蹲って。
這いずって、進む。



は黙ってそれを見下ろしていた。
少女が襖のような扉を開き、血だらけのままその向こうへ消えていくのを。
今ここで止めを刺すのは簡単だが、そうはせずに。
彼はただ黙って見送っていた。





いつの間にか雨は止んでいて、左手の傘は役目をなくしている。
滴と血に濡れたそれが、彼と尸魂界の初めての出会いだった。





2004年10月13日