DYE

03:足下で待っている慟哭





「じゃあお先に失礼します」
少年が頭を下げると、現場からはいくつもの声が上がってきた。
「お疲れー! 気をつけて帰れよー!」
「ちゃんとメシ食って寝ろよー?」
「また明日な!」
自分より10や20、果ては30歳くらい年上であろう男たちに、少年はもう一度頭を下げて。
「お疲れ様です」
手を振ってくる男たちに見送られて、工事現場から立ち去った。
小さくなっていく少年の後ろ姿を見ながら、足場の上で男たちは会話を交わす。
「ったく。ちゃんと寝てんのか、アイツは」
「これから飲み屋で働くらしーぞ」
「っかー! まだ15のクセして何でそんなに苦労しなきゃなんねーだか」
「小遣い稼ぎってわけじゃなさそうっスよね」
比較的若い20代の男が口にした最後の言葉に、彼より年上の男たちは困ったように視線を交わして。
その中の一人がヘルメットの上から頭を掻いて吐き捨てる。
「アイツが稼いでんのは小遣いじゃねぇ。生活費だ」
「・・・・・・え?」
「アイツは施設で育って、中学卒業したこの春から自立してんだよ」
自分よりも幼い少年の事情を知らされ、若い男は再度足場から下を見下ろす。
けれどもうすでに、同僚の小さな後ろ姿は見えなくなっていた。



日中は工事現場で仕事をし、夜は飲み屋で働く。
それがの基本的なタイムスケジュールだ。
誕生日の来ていない今、まだ15歳である彼を雇ってくれる仕事は少ない。
体力さえあれば務まる現場と、あとは親切心で雇ってくれている居酒屋と。
本来ならば収入の良いホストをやろうと思っていたのだが、やはり年齢で引っかかった。
18になったらすぐに申し込もうとは決めて。
そしてとりあえずは日々を食いつないで生きている。
、このビール箱を外に出してきてくれ!」
「はい、分かりました!」
ダースの箱は重さもあるが、にとっては苦にならない。
細身の外見からは予想もつかないが、彼はそこらへんの男子高校生よりも鍛えられた体をしている。
これもすべて、働くことで得た。
が箱を持って裏口から出ていくと、カウンターで熱燗を煽っていた常連客の男が店主に話しかける。
「よく働くなぁ、君は」
「そうですね、力もあるし気も利く。うちにとっちゃ勿体無いバイトっすよ」
「ははは」
笑いながらもう一本熱燗を注文して、客は猪口を片手に目を伏せた。
少年はまだ店内には戻っていない。
「・・・・・・あんな良い子なのに、どうして親は彼を捨ててしまったんだか」
どこか責めるような呟きは、他の客の喧噪で紛れる中、店主にしか届かなかった。



ビールの入った箱を置き、少年は空になった手と肩をぐるぐると回した。
細い裏路地は街灯の光も、月光さえも入ってこない。
ほとんど闇に近い周囲を見回して、少年は溜息をつく。
「・・・・・・誰?」
呆れを含んだ声が路地に響いて。
少年の他に誰もいなかったはずの空間が、鈍い気配と感覚をもって揺らめく。
飲み屋の前掛けをつけたまま、少年は現れる影を見上げた。
胸の中心に穴を開けた、巨大な化け物のような何かを目の前にして。





口を広げているのは、誰のため?
足下で待っている慟哭。





2004年10月3日