チリ、と何かが焦がれる感覚には瞼を開いた。
窓から見える空には、白い雲がいくつか漂っている。
その中にある気配。無視できないそれに身を起こす。
ベッドから下ろした足は、フローリングの床に冷たさを覚えた。
立ち上がろうとして思わずふらつく。壁に手をついて身体を支え、心拍数の上がった胸を押さえる。
俯いて荒くなる呼吸を必死で整えていると、板目しかなかった視界に音もなく自分のものではない素足が入り込んできた。
「・・・・・・クン・・・」
聞こえてくる声に、自然と口元が綻ぶ。
顔を上げれば見慣れている相手がいて、はそっと手を伸ばした。
触れる体は温かい。シャツを掴んで、笑いかける。
「大丈夫だよ。・・・・・・・・・行こう、西城」
青ざめているの顔に、西城は泣きそうになって強く手を握った。
Loveless
昼下がりを少しすぎた午後。
夏の日差しがアスファルトを焦がし、陽炎を作っては消していく。
町外れにある古びた工場で、西城とはそれを見ていた。
廃棄されたロッカーに腰掛けているの顔色は、日の下で見てもひどく悪い。
静かに隆起を繰り返している胸は薄く、日陰だということも手伝ってか、ひどく辛そうな様子だった。
西城はいてもたってもいられなくて口を開こうとするが、聞こえてきた複数の足音にそれも遮られる。
「うわ、本当にいたっすよ、キャプテン!」
無邪気で明るい、場違いとも言える声に二人は顔を上げる。
田畑と廃れた工場ばかりで人気のない周囲の中、まっすぐにこちらに向かってくる少年が二人。
一人は短い黒髪に泣きぼくろを持つ、子供のような振る舞い。
対してもう一人は背が高く、落ち着いた大人のような雰囲気を持っている。
どちらの頭にも耳と尻尾がついていて、その子供の象徴に西城は立ち上がり、を庇うように前に出た。
照りつける日差しが眩しい。
「こんなところでわざわざ待ってるなんて、すっげーやる気。キャプテン、早く始めましょーよっ!」
「待て、藤代。先に説得を試みろって西園寺先生が言っていただろう」
「えー・・・・・・ちぇっ」
キャプテンと呼ばれた少年が発した第三者の名に、の肩が震えた。
自身の胸元を握り締めるその指は、シャツに溶け込んでしまいそうなほどに白くなっていた。
少年が穏やかな笑みを浮かべ、一歩前に出てくる。
「はじめまして。『GIFT』のお二人ですよね?」
「うむ。君たちは言動からするに施設からの回し者のようだ。出来るならば今すぐお引取り願いたいのだが、どうだろう。そうすれば互いに被害をこうむることなく円満解決になると思うのだが?」
「あなたが西城敦さんですか。最強と名高い戦闘機の」
少年の言葉に、後ろで成り行きを見守っていた少年―――藤代が目を輝かせた。
じろじろと興味深そうに西城を眺めては、挑戦的にうっすらと目を細める。
「俺は『ARTLESS』のサクリファイス、渋沢克朗です。こちらは俺の戦闘機である藤代誠二といいます」
「よろしくー!」
「礼儀正しいな、少年たちよ。ならばお兄さんの言うことを良い子に聞いてくれると非常に助かるのだがね」
「何だよ、耳が取れてるのがそんなに偉いわけ? ちょっと経験したからって大人ぶっちゃってさ」
「―――藤代」
頬を膨らました藤代を、渋沢がたしなめる。
その声や仕草に負の感情は見つけられず、これは出来た『サクリファイス』だと西城は思った。
もちろん彼にとって最高の『サクリファイス』は、以外に考えられないのだけれど。
「俺たちは施設からあなた方の捕縛を命じられてきました。西園寺先生も松下先生も、今なら処罰はしないと仰っています。どうか戻ってきて頂けませんか?」
「・・・・・・・・・悪いけれど」
否定する声は西城の後ろから聞こえてきた。
立ち上がる気配に、そこにいたのは間違いなく『GIFT』のサクリファイスだと判っていても―――判っているからこそ、渋沢は肩を揺らす。
日陰から踏み出てきたのは、線の細い男だった。
白いシャツに黒のパンツを纏い、耳も尻尾もない姿態は折れそうなほどに儚い。
けれど浮かべられている微笑は恐ろしいほどに艶やかで、知らず圧されるような迫力に藤代の足が一歩下がった。
「俺たちは施設に戻る気はない。だからといって、敵対する気もない。もう・・・・・・俺たちには構わないでくれないか?」
「っ・・・・・・そんなことが許されると思いますか? 最強の戦闘機に最高のサクリファイスである、あなたたちが!」
「関係ないよ。俺たちはただ、静かに暮らしたいだけなんだ」
がゆっくりと西城の隣に並び立つ。あつらえたかのような、つがいの二人。
それは作られたものではなく天然の、運命付けられた唯一無二。
――――――絶対的な存在。
西城の指に自身のそれを絡め、は再度微笑んだ。
消えそうに儚く、恐ろしいほどに美しく・・・・・・泣きそうなほどに切なく。
「そのためならば俺たちは・・・・・・何度でも、君たちを壊すよ」
ザッと渋沢は後ずさった。震えそうになる声を叱咤して言い放つ。
「それならっ・・・・・・力ずくで連れ戻します! 藤代!」
「はい・・・っ! 行くっすよ、キャプテン! システム展開、『戦闘を宣言する』!」
距離をとって構えた二人に、は痛ましげに目を伏せた。
西城は視線を逸らさず、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「・・・・・・システム展開、『受けて立つ』」
溢れる力の中で、西城は触れ合う指先を強めた。
指が回りきる手は温度が低い。照り付けてくる日差しは衰えない。
『サクリファイス』としてだけではなく、がいつまで立っていられるか判らない。だから、早く決めなくては。
空いている手を突き出し、西城は冷ややかに唱える。
「『GIFT』の名の下に、すべてのものは闇に返る」
そう、何もかも消えてしまえばいい。
この握り合う手の平さえあれば、他に何もいらない。
互いがあれば、それだけでいい。
俺たちの残された時間を邪魔しないで。
「・・・・・・大丈夫かね? クン」
握り込められていた手が緩み、柔らかな抱擁に変わる。
「・・・・・・大丈夫だよ、西城」
青空も茜色へと変わり、熱を控え始めた空気の中では安心させるように微笑した。
「帰ろう、俺たちの家へ」
互いに手を握り合い、長い影を引きずって歩き出す。
闇の中へ消えていく二人を、星だけが静かに見下ろしていた。
2005年6月25日