たった数十分で俺たちの弱点を見抜いた眼。3人に囲まれてもなお余裕のあるキープ力。そして仲間の肩を借りて宙に舞ったその姿。正直、見惚れずにはいられなかった。だから気になって仕方なかった。去り際の、泣きそうなアイツの顔を。
IRRITATION
「おい翼、本気で行くのかよ」
「当たり前に決まってるだろ。ここまで来て何もせずに帰るわけ? 冗談じゃない」
「・・・ちょっとは冷静になれって」
俺の声も今の翼には聞こえていない。手の中にある小さなメモだけを頼りに前を突き進んでいく。周囲はもう夜のネオンが光り始めていた。それも性質の悪い、どう考えても中学生の俺たちのいるべき場所ではないような看板が多数。さっきから向けられている舐めるような視線も今の翼には気づく余裕もないらしい。それだけ、必死ってことか。
俺たちが見つけたのは、コンクリートに囲まれた小さなコート。場違いなほどの熱い歓声が、叫ばれていた。その中で舞う、姿。見つけた、と翼が小さく呟いてメモを握りつぶした。
ところどころ剥げているアスファルト。網もガタガタなゴールが2つ。照らされる照明は昼間かと思わせるくらい明るくて。音楽が、鳴り響く。その中でアイツは笑っていた。・・・あぁ、笑えたんだな。
点差を見れば意外にも接戦で、それだけに周囲の熱狂はすごかった。叫ばれる声。呼ばれる名前。俺が唯一知っているもの。
『!』
そう綴られる言葉が一番多く耳に入ってきた。
決勝点となったのはアイツの決めたゴール。追い詰められたと見せかけて、零度から狙ったカーブ。パスかと思わせて、思われて。それは直接網を揺らした。・・・・・・体が震える。これは、歓声のせいだけじゃなかった。
「・・・何の用だよ」
ゲームを終えて、アイツは仲間たちと笑い合って、そうしてそのまま俺たちへと言った。笑顔のままだったけれど、その目は今まで見た誰よりも冷たかった気がする。翼が、噛み締めていた唇を開いた。
「・・・ここが、オマエの言う『サッカーをやる場所』?」
「だったら何。さっさと帰れば?」
「別に俺たちはオマエに会いに来たわけじゃない。ここらへんにストリートサッカー場があるって聞いてね」
「あっそ。じゃあやってけば?」
アイツは翼を見下ろして笑った。
「お姫様でも相手してくれるぜ? ここは『自由にプレーできる場所』だから」
・・・翼とコイツ、絶対に合わねぇ。翼を制しながら俺は心底そう思った。
「Es este niño el hombre verdad? Allí no hay error de la princesa,
él es es?」
「Es diferente. Esta persona es el hombre」
コートとも言いがたいようなラインの中で、アイツが話をしている。言葉は、おそらく英語じゃない。俺にはそれくらいしか分からないけど。
「ポルトガル語か・・・スペイン語だね」
「意味判るのか?」
「いや。でもどうせ碌なことじゃないよ。アイツが話してんだから」
翼は今も仇を見るかのような目でアイツを睨んでいて。その気持ちが判らないわけじゃないから、なおさら冷静にならなくちゃいけないと思わせられる。翼が暴走したら、今ここで止めるのは俺の役目だ。俺が暴走したそのときはきっと・・・。柄でもないことを考えて首を振った。
「ゲームスタート!」
アイツの声が響いて、それにかぶさるように歓声が響いた。相手は、さっきアイツと話をしていた外国人三人。こっちは翼と俺と、あと助っ人として出てもらった高校生っぽい奴。翼は最初っからこの高校生を当てにはしていない。一人で相手を叩き潰して、アイツを引きずり出そうという寸法だ。今は審判なんてやっている、を。
だが、そんな目論みは開始3分で破られた。
「Después de todo, como para la princesa que juega aquí no
está ser desrazonable, es!?」
翼が封じられている。攻撃に移ることなど出来ずに、ただ守るだけで精一杯で。
「No hay hora de repuesto cuando la cosa de la princesa se señala
como el aire, el príncipe?」
俺も封じられている。ボールを取られないようにすることさえも出来ず、ただ危うくて。予想外の相手の上手さ。
凸凹のアスファルト。滑って嵌まる足。あらぬ方向へ転がるボール。
ここは、本当にサッカーをやる場所なのか?
大きすぎる網目のゴールが揺れる。一点、取られた。途端に湧き上がる歓声。そして始めるコール。
「!」
「!」
「!」
「!」
―――唐突に判った。ここが、サッカー場な理由が。
白と黒のボールがあって、ラインとゴールの分け目があって、サポーターがいて、選手がいるから。
ここをサッカー場と言い切るの気持ちが、ほんの少しだけ判った気がする。
叫び声に似たコールの中、がコートへと足を踏み入れた。助っ人の高校生に何事か呟いて。そして、さらに一歩。俺たちの、傍に。再開されるゲーム。
昨日の試合に出ていない俺はその背を初めて見た。踊るようにステップを踏み、ギャラリーに手を振って、遊んでるとしか思えないプレー。実際に、は遊んでいた。俺らコートにいる全員を手玉にとって遊んでいた。それはある種、バカにされているのと同じくらいに。感嘆と屈辱を一度に味あわされた。
終わってみれば試合は2点差で俺たちの勝ちだった。本当は、もっと大差がついていてもおかしくないのに。こうなった理由はただ一つ。が遊んでいたからだ。
「これで判っただろ」
歓声から少し離れたところでが言った。その姿が意外にもこの通りにすんなりと溶け込んでいて。そのことに、驚きを感じる。
「ここはおまえらの来るべき場所じゃない。もう二度と来んな」
冷たい声が、街の空に響く。
「サッカー選手になりたいんだったら、サッカーは芝生のフィールドでだけやってろ」
―――じゃあ。
「・・・はどうなんだよ・・・・・・!」
隣で呟かれた声を止めることなんて出来なかった。次の瞬間、は壁に叩きつけられていて。
「翼っ・・・!」
「だったらオマエはどうなんだよ! あんな・・・っあんなプレーしておいてサッカー選手じゃないって言うわけ!?」
「・・・俺は・・・」
「こんなところにいたってフィールドでプレーすることに敵うわけがない! オマエが言ったとおりサッカー選手は芝生でやるもんなんだよ! だったら、何で・・・っ!」
「・・・・・・」
「こんなところでサッカーして何が面白い!? 何が得られる!? オマエほどの選手が!」
「・・・・・・」
「オマエこそこんなとこでサッカーしてて良いわけないだろ!!」
「・・・・・・」
「オマエのサッカーすべき場所は、やっぱり芝生のフィールドなんだよ・・・っ」
・・・・翼の叫びに何も言えなかった。
・・・そっと、手が持ち上げられて。一瞬だけそれは翼の手と重なった。すごく長く感じた瞬間。その手は柔らかさしか感じられずに。でも次の瞬間、翼の手を払い落として。
「どこでサッカーをしようが俺の自由だ。勝手なこと言わないでもらえる?」
「・・・っ」
「ここには、サッカーを本気でやってる奴はいない。本気でいる奴も『遊び』に本気なだけ」
翼を見下ろす顔が歪む。
「ここにはサッカーを遊びでやってる奴しかいない。プロを目指してる奴なんて誰一人いないんだ」
を見上げる顔が歪む。唇を噛んだ。
「中途半端な奴なんていないんだよ」
の表情に、反論なんて出来るはずがなかった。
帰り道は行きとは別の沈黙が続いて。翼はずっと俯いたまま。俺は逆にずっと上を向いたまま。ビル街に切り取られた空は星なんて見えない。はもしかしたら、こんな気持ちなのかもしれない。
ポケットの中にある小さな紙切れを、どうすればいいかなんて俺には判らない。あの場所にいた、誰かから聞いたの携帯番号。かけたいと思うし、かけたくないとも思う。・・・かけなければいけないと思う。でもそれは今じゃない。今の俺じゃまだ、に電話をかける資格なんてないから。
きっとしばらくこの番号を使うことはないんだろう。暗記してしまったそれを、俺は近くにあったゴミ箱へと投げ捨てた。連絡手段なんていらない。あってはいけない。サッカー選手になる前に、に会ってはいけないんだ。
歓声を遠くに聞きながら俺たちは帰った。芝生の、フィールドへと。
2003年3月9日