冷ややかな怒りを見せて立ち去ってしまった相手を見つめながら、渋沢は肩を落とした。カサリと足音が聞こえて、力なく振り返る。
「何か分かったか? 郭」
「・・・まぁね」
消えてしまった姿を、今もまだ見つめて。
「やっぱり思ったとおりだよ。アイツは・・・・・・広島FCの、8番だ」





SCAR





遠い昔? そんなの認めない。今までずっと忘れたことなんてなかった。サッカーを続ける上で糧にしてきた。もう二度と、負けはしないと。
それなのに彼は姿を消した。

「・・・4年前の話だよ」
郭は囁くように呟いた。それは今まで、話そうとは思っていなかった出来事。当時の様子を目にしていた者は誰もが心の奥で覚えているだろうけれど、決して口にはしなかった。口にすることさえ悔しかったからかもしれない。
「当時俺は小4で、それでもロッサのジュニアでスタメンを張ってた。一馬も結人も、当時近くに住んでいた俺の従兄も」
表情に出さないようにする感情。出したらきっと止められない。
「杉原は違ったけれど、俺たちはスタメンとして全国クラブチームの大会に出てた。チームはそれなりに強かったよ。優勝候補の一つとも言われてた」
―――けれど。
「一回戦で、広島のクラブチームとぶつかった。相手の評判は普通程度だったから俺たちは勝てると思ってた。・・・実際に勝った」
―――だけど。

「俺たちは、ろくにサッカーなんてすることが出来なかったんだ」
「相手チームの8番に・・・に中盤を潰されて」
「サッカーなんて、出来なかった」

今思い出すだけで心が軋む。あの執拗なマーク。自分と、当時自分以上に上手かった従兄を押さえ込んだプレー。攻撃に参加することはなく、ひたすらマークを続けた相手プレイヤー。怖かったのを覚えている。ボールを持つことさえも出来なかった。ただひたすら悔しかった。

「フリーキックでどうにか点を取ることが出来て、俺たちは勝った。情けない勝利だったよ」
「・・・だが、勝ちは勝ちだろう?」
渋沢の困惑した言葉に郭は笑った。自嘲気味に、皮肉気に。
「サッカーも出来なかった試合に勝って嬉しい?」
・・・答えはなかった。
「あの大会以降、どんなに探してもを見つけることは出来なかった」
やはり、小さな声で。それでもなお、悔しそうな声で。
「広島FCは県内の予選に勝てなかったみたいで、あれ以降大会に出てくることはなかった。まさかと思ったよ。あんな選手を擁しているのに何で、と思ったね」
握る拳は発散する場を求めているようだった。
「同じ広島代表の選手に聞いてものことなんて知らないと言っていた。かろうじて判ったのは、広島FCがとても弱くなったという事実だけ」
唇を噛み締める。本当に本当に悔しかった。
「・・・が抜けて弱くなったという事実だけだったよ」
泣きたいくらい、悔しかったんだ。

忘れたことなんてなかった。言葉にはせずとも常に思い描いてきた。再び、彼と相対する日を。ずっと願ってきた。
―――それなのに。

「・・・昨日の、のプレー」
郭が顔を上げた。
「どう思った?」
「どう思ったとは・・・」
渋沢は言葉を濁して、少し悩むように視線を彷徨わせた。それはまるで、彼のプレーを思い返しているようで。
「派手で自由奔放。ギャラリーにアピールするのが上手い選手に見えた?」
「・・・あぁ」
「それがすでに間違っているんだよ」
郭は小さく笑う。
という選手は、そんな選手じゃなかった」

「地味だけれども確実なプレー。どのチームにも必ずいて欲しいと思わせる、礎となるような選手だったよ」

あの素晴らしいテクニックだけは、あの頃のままだったけれど。
・・・・・・郭が小さく囁いた。

自分がずっと目指してきた選手。負けたと、初めて認めた相手。認めざるを得なかった相手。それはきっと自分だけでなく、従兄も、親友たちも、きっとみんな同じだろうに。なのに彼は姿を消した。そして現れてしまった。変わりきった姿で最悪の再会を。
―――何が彼をそこまで変えてしまったのか。
理解できない自分が辛かった。認めてもらえない自分が悔しかった。未だ彼の視界に入れない自分が悲しかった。サッカーを止めてしまった彼を、責めることなど出来なかった。自分が、情けなさすぎて。

は都選抜に入らなくて正解だよ。こんな甘い心構えのチームに入ってもには何の得にもなりはしない」
足元の砂がザラリと音を立てた。その音に、昨日のフィールドを思い出す。スパイクを履いていた。背番号は一つ違った。ユニフォームの色も違った。背が伸びていた。一目見ただけでは判らなかった。彼が彼なのか、信じられなかった。去り際の、泣きそうな顔を見るまで。思い出すことが出来なかった。
「確かに・・・そうかもしれないな」
渋沢がポツリと呟いた。
は・・・彼は、チームを求めていないのかもしれない。もっと違うものが彼にはあるんだろう」
「どのみち俺たちとは一緒にやれないよ。昨日のことがあるからね」
「あぁ。きっと彼は一度起きてしまった事実のやり直しを認めない」
「いくら謝ってもね、無理だよ」
「・・・あぁ」
唯一残された手段は、自分たちが『サッカー選手』になるだけ。彼の言う、『サッカー選手』になるだけだ。
途方もない希望に二人は内心で肩を竦めた。言葉には出せなかった。悔しくて、情けなかったから。言葉には出せなかった。



邂逅は果たされた。回り始めてしまった歯車を止めることも出来ず、ただひたすら。運命に翻弄されて少年は走り続ける。
―――泣きながら。





2003年2月27日