<彼がサッカーを辞めた日(2)>





電話があった。



周囲の人々に気を使う彼がわざわざスペインまで電話をしてくるなんて珍しいと思ったけれど、嬉しさのあまり飛びつくように受話器を取った。
変わらない愛しい声で、彼は言った。



『潤。俺、サッカー辞めるよ』



普通の、声だった。
少し前に韓国で親善試合をしたときに軽く交わした会話のときと何も変わらない、普段通りの一馬の声だった。
泣いてもいない、震えてもいない。
何気ない日常会話のように彼は言った。



『サッカー、辞める』



どうして、と聞こうと思った。
けれど乾ききった唇が動いてくれなくて。
何も言わない自分に彼は電話越しで笑ったようだった。



『ゴメンな、潤。もう一緒にサッカー出来ない』



じんわりと涙が浮かんだ。
もう止められない。「辞めないで」と願っても彼は己の意思を変えたりしない。
一度決めたら譲らない彼がとても自分は好きなのだけれど。
どうして。どうして。



『もう、サッカーはしない』



涙が雫となって床へと落ちた。
どうして。それだけが心を支配して受話器をきつく握り締める。
胸が痛い。頭がガンガンする。
彼の一言がまるで毒のように自分の体を蝕んで。
流れる涙が止まらなかった。



『潤は続けろよ』



明るい声は無理しているように聞こえなかった。
じゃあこれはすべて彼の自然意思によるもの?
それならば、それならば。



『潤が世界でプレーするの、楽しみにしてる』



本当に楽しそうに言われて、思わず嗚咽が漏れた。
ボロボロとみっともないくらいに涙が零れて。
電話越しに慰められてもそれは悲しみを加速させるだけ。



彼は手にしていたものを手放した。
それなのに自分にはその道を歩き続けろと言うなんて。
ヒドイよ、そう呟いたら彼は苦笑して「ゴメン」と謝った。
欲しいのは謝罪なんかじゃないのに。
それすらも言葉に出来なかった。



真田一馬はサッカーを辞めた。





2002年9月8日