・・・好き・・・・・・。
でも、あの人には他に好きな人がいるから。
諦めなきゃいけないって思うのに。
それなのにどんどん好きになっちゃって・・・・・・。
どうしたいいの?
教えてほしい・・・・・・かも、猫神様。





カナリア





その日は珍しく部活がなくて。
家に帰って特にすることもないから、図書室で勉強しようと思って。
宿題、明日までだし。
数学ってちょっと苦手・・・・・・かも。
教科書とノートを開いて、シャープペンシルを手に持った。



始めてから三十分くらい経った頃。
・・・・・・分からない・・・かも。
途中まではちゃんと出来てたのに。
・・・・・・明日、もみじや凪に聞こうかな・・・?
でも、二人とはクラスが違うし・・・。
数学は私のクラスが一番進んでるみたいだし・・・・・・。
・・・どうしよう・・・・・・。



それでも教科書や参考書とにらっめっこして、必死で解法を見つけようとしたんだけど・・・結局分からなくて。
そのときになってやっと、目の前の席に誰かが座ってるのに気づいた。
顔を上げると、薄茶色の瞳と視線が重なって。
心臓が、大きく跳ねる。



「よお。やっと気づいたのか?」



涼やかな声が、胸に痛い。
柔らかな茶色の髪の毛が、目に眩しい。
輝くような存在感が、心に響く。
「・・・・・・猿野君・・・・・・・・・」
名前を呼べば、彼は口元を緩めて微笑んだ。
部活中にみせる笑顔とは少し違う大人びた笑み。
胸が、熱いよ。
「それって明日までの課題だろ?」
私は黙ったまま頷いた。
落ち着いた彼の前で、上手く話せなかったから。
「後半は少し面倒な問題なんだよな。やるのも嫌になってくるくらい」
「・・・猿野君は・・・もう、終わったの・・・・・・?」
「ああ。この前の授業のときに全部終わらせて提出したぜ」
・・・・・・・・・・・・スゴイ・・・・・・。
この前の授業って言ったら、課題が出された当日だっていうのに。
でも・・・・・・猿野君なら当たり前なの・・・かも。
野球部のみんなは知らないみたいだけど・・・猿野君は、すごく頭がいい。
それは、いつも一緒にいるオールバックの人も同じみたいだけど。
授業中に遊んでいたりしてても、指名されたらすぐに答えちゃうし。
みんなが知らない猿野君を知れるなんて・・・・・・同じクラスでよかった・・・・・・・・・かも。



猿野君は読んでいた分厚い本を横に置くと、トントンッと机を指で叩いた。
銀縁眼鏡をかけた姿が、綺麗。
「で?どこが分かんねーんだ?」
・・・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・?
「分かんない所があるんだろ?さっきからずっと困った顔してたもんな」
・・・・・・・・・・見てたの・・・?
・・・やだ・・・・・・恥ずかしい・・・。
顔が熱くなっていくのが自分でも判る。
「これか?演習の11」
「・・・あ・・・うん。そう・・・・・・かも」
私が頷くと、猿野君は「そうかもって何だよ」って楽しそうに笑った。
あ。
・・・・・・今の顔・・・・・・・・・好き。
『かも』じゃなくて、ハッキリ言える。
私は、猿野君が好き。



「だからな、方程式f(x)=0が1より大きい解と小さい解の両方を持つには、f(1)<0となればいいんだよ。後は式に代入して・・・・・・」
教科書をなぞる綺麗な指先から目を逸らすのには、少し力が要ったけど。
「・・・・・・出来た・・・・・・」
「よし、正解。次はその応用だから、自分でやってみな」
そう言って猿野君は横に置いてあった本をまた読み始める。
題名は『ナレッジ・コラボレーション』って書いてあるけど・・・・・・。
ナレッジって・・・確か、会社とかの資産のことだよね・・・・・・?
何で猿野君がそんな本を読んでるんだろう・・・。
・・・・・・・・・やっぱり、猿野君のことはよく判らない。
野球の経験もないのに、名門の十二支高校の野球部に入部して。
女の子を追い掛け回してばかりいるのに、いざとなったら体を張って助けてくれて。
合宿の試合では一本足打法を会得して、あの鹿目先輩の剃刀カーブを打ち取って。
「どうした?解けたのか?」
「・・・・・・あ・・・ううん・・・・・・まだ・・・」
慌てて問題に取り掛かる。
でも、一度考え始めてしまったら止まらなくて。
彼が野球を始めたのも、傷ついてまで守るのも、練習を重ねて上達していくのも。
すべてはただ一人。
凪の、為。



胸が、痛いよ。
・・・・・・どうして・・・凪なの?
可愛いから?優しいから?
私じゃ・・・・・・駄目・・・・・・・・・なの?
好きなのに。
私は、猿野君のことが好きなのに。
私じゃ・・・・・・駄目なの・・・・・・?
教えてほしい・・・・・・かも、猿野君。



「・・・・・・猿野君、は・・・・・・」
気がついたら、口が勝手に動いてた。
「猿野君は・・・・・・・・・」
私、今きっと泣きそうな顔してる。
「・・・・・・猿野君は・・・・・・凪が・・・・・・・・・好き・・・・・・なの・・・?」



茶色の髪が少しだけ揺れて、その瞳が小さく見開かれて。
彼はその後でふんわりと微笑んだ。
優しい笑顔。
嬉しくて、悲しくて、胸が痛いよ。
どうして、そんな笑顔が出来るの?



「オマエはどう思う?」
いつもと変わらない声音で聞き返された。
「猫神様とやらに聞けばいいんじゃねーの?」
優しい笑顔で、残酷な言葉。
凪はこんな猿野君の一面を知ってるのかな・・・・・・?
「・・・・・・猫神様じゃ・・・・・・意味がない・・・から・・・・・・」
・・・・・・御免なさい、猫神様。
それでも、これだけは。
「・・・・・・猿野君に聞かないと・・・・・・意味がない・・・から・・・・・・」
だから・・・・・・教えて。



少しの沈黙の後で、彼は呆れたように息をついた。
フッと肩の力を抜いて、口を開く。



「凪さんのことは、好きだぜ」



・・・・・・・・・あぁ、やっぱり。
最初から分かっていたことだけれど。
数学の答えよりも明らかなことだったのだけれど。
それでもやっぱり。
胸が苦しい。



「それでも凪さんへの好きは、恋愛の好きじゃねーかもな」



・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・?
顔を上げれば、猿野君は口元を歪めて自嘲気味に笑っていて。
「好きだけど好きじゃない。愛してるけど嫌いでもある。そんな簡単な想いじゃねーんだよ」
少しだけ顔をしかめて微笑んで。
「凪さんの恋人になりたいとは思わねーし、ましてやセックスしたいなんて思わない」
続く言葉に耳を澄ませて。
「恋愛なんかじゃない。自己満足な我侭なんだよ」
彼はとても、綺麗に笑った。



・・・・・・・・・凪のこと、好きじゃないの?
猿野君の真意を推し量ることは出来ないけれど。
それでも彼は、凪と恋人になりたいとは思わないと言った。
それじゃあ。
それじゃあ、私は。



「・・・・・・・・私・・・・・・猿野君のこと・・・・・・・・・好きでいても・・・・・・いい・・・・・・・の・・・?」



「いいんじゃねーの?」
彼が当然のように笑うから、私も少し笑って見せた。
拒否されなかった。
迷惑って言われなかった。
嬉しい。
嬉しいよ・・・・・・・・・猿野君。



その後は彼に勉強を教えてもらって。
たくさん話を出来るように、私からも話しかけたりなんかして。
そして、別れ際。
猿野君は私のヘアピンを直しながら言った。
私は恥ずかしくて黙って俯いていた。



「分かんない所があったら聞きに来いよ。それぐらいには、俺、オマエのこと気に入ってるから」



「また明日な。檜」



彼には好きな人がいて。
いや、好きじゃないのかもしれないけれど・・・・・・・・・とにかくそういう人がいて。
だけど、私は彼が好き。
猿野君のことが本当に大好き。



人気者の彼の恋人の座を狙ってる人はたくさんいるから。
私も負けないように、頑張らなきゃ。
だから・・・・・・よろしく・・・・・・・・・かも。
猫神様。
それと、猿野君。





2002年8月13日