その日、午前中の空は晴れ渡っていたが、放課後部活が始まる頃には空はどんよりとした薄暗い雲に占められていた。
ユニフォームに着替えたはいいものの、練習の準備をしている最中にポツリポツリと水滴が落ちるようになり、結局その日の部活は中止となった。
ユニフォームから再び制服に着替える頃には雨足も大分強まり、走って帰っていった部員以外は雨が止むまで部室で時間を潰すことになる。
彼は携帯電話を操っていたかと思うと、ピッとボタンを押して制服のポケットへと仕舞い込んだ。





Never judge from appearance





「あーもーわかんないっ!わかんないよ〜!!」
叫んで持っていたシャープペンを投げ出し、机に突っ伏したのは兎丸。
それを見ていた他の部員たちはヤレヤレといった感じでその小さな背中を見やる。
机の上に広げてあるのは英語のプリントにノート、それと辞書。
兎丸はう〜〜〜〜〜と唸りながら顔を上げて、
「ねー司馬くんって英語得意でしょ!?僕の代わりにやってよ〜〜〜!!」
「駄目だよ、兎丸君。勉強も野球と同じで自分でやらなきゃ身につかないんだからね」
困り顔の司馬の代わりに、優しく諭すように牛尾が言った。
先輩でキャプテンでもある彼にそう言われ、兎丸はウッと引きながらも言い返す。
「だってー・・・プリント10枚もあるんですよー?タダでさえ僕英語苦手なのに。しかもうちのクラスだけなんてヒドイよっ!どーしてなのさっ!!」
「・・・・・・とりあえず、自習時間に騒いでたのが悪かったんだろ」
「私たちのクラスにまで声が聞こえてきましたからねぇ」
犬飼と辰羅川のコメントに子津が困ったように苦笑して。
虎鉄と猪里の二年生コンビは楽しそうに兎丸をからかう。
「Hey!ラビットボーイ、そんな事言わずに早くやった方がイーんじゃないのKa?」
「そうっちゃね。提出期限は明日って言ってたやろ?」
「そうですよー!もうやだー意味判んないしー!!第一ぐりーでぃーって何なのさ!?日本語で言ってよね!」
もはや逆ギレ状態に等しい兎丸に、『辞書引けよ』と一同は心の中で一致した。
そして牛尾が辞書を差し出そうと手を伸ばした瞬間。



「greedy:wanting more money, power, food than you really need」



滑らかな英語の発音にピタッと兎丸の動きが止まる。
振り返った一同の視線を受けながらも、彼は呼んでいる本から目を離すことなくもう一度口を開く。



「自分が実際に必要なもの以上の事を望むこと。『欲のある・強欲な』って意味の形容詞だ。それくらい辞書引いて調べろよな」



ロッカーを背に座り込んで、本を読んでいるその人物は・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・兄ちゃん?」
兎丸の信じられないといった呟きに彼はようやく顔を上げ、眉を顰めて兎丸を見返した。
茶色の瞳が室内の蛍光灯を受けて金色に揺れる。
「別に、信用できないならそれでいいぜ。辞書引いた方が確実だしな」
「えっ・・・・・・あっ・・・・・・ううん!そんな事ないっ!!」
兎丸は大きく首を横に振ってプリントへと視線を戻した。
「えっとじゃあこれは・・・・・・『欲の少ない少女は小さな箱を選んでたくさんの飴を受け取った』?」
「惜しい。『小さな箱を選んだ欲のない少女は』が正解。後半は合ってたぜ。関係代名詞がどこにかかるのか注意しとけな」
天国の言葉を兎丸が慌ててノートに書き写す。
その様子をボーっと見ていた人々はようやく我に返って信じられないと彼を見つめる。
「猿野君・・・・・・・・・」
「何だよ、子津?」
「あ、いえ、あの・・・・・・・・・英語、できたんすね・・・・・・」
子津の感想に兎丸を含め部室にいた部員全員が首を縦に振って頷いた。
現に彼は今、兎丸の言った英単語の意味を英語で述べ、さらには日本語へと訳してみせたのだ。
しかも発音は抜群。
普段の天国からは想像もつかない行動に、皆は唖然とするばかり。
けれど当の本人は顔色も変えずに読んでいた本をパタンと閉じた。
「別に普通じゃねぇの?ただ他の科目に比べてちょっと勉強した程度だぜ。本が読みたかったからさ」
そう言われて彼の読んでいた本をチラリと見ると、それは全文英語で書かれているもので。
「・・・でも猿野君はどうしてプリントも見ていないのに訳すことが出来たんだい?確か兎丸君とは別のクラスだったはずじゃ・・・」
牛尾の疑問にも彼は「あぁ」と頷いて、
「清熊がやってるのを見てたんスよ。アイツはスバガキと同じクラスだから」



どうしてそこでマネージャーの(しかも鳥居じゃない!)名前が出てくるんだ!?



皆が心中で叫ぶのを天国はサラリと無視をして兎丸の方へと向き直る。
「ホラ、さっさとやれよ。俺は時間が来たら帰るからな」
天国にそう言われ、兎丸は慌ててプリントを握り締め、分からない単語を探し出す。
「じゃんぐる」
「jangle:to make a harsh sound、鳴る、ジャラジャラと鳴る」
「あんでぃす・・・ぐいしーど?」
「undisguisedか?feeling that you don't try to hide from other people、正直な、率直な、隠し立てのない」
兎丸の平仮名英語をスラスラと訳していく。
それはまさに一つの歌のようで、司馬はついMDの音楽を止めて天国の声に聞き入ってしまった。
しかしそんな幸福な時間も終わりを告げる。




バシャバシャと水に濡れた足音。
コンコンと軽いノックと共に扉が開かれて、
「おーい天国、傘持ってきたぞー」
現れたのは報道部なのに同じ野球部のメンバー以上に見慣れた姿。
「お、沢松サンキュー」
天国は本をカバンの中へと仕舞って立ち上がる。
沢松の登場に驚いたのは他の面々で。
「何でモンキーベイベーの友達が傘を持ってくるんDa?」
「あー天国にメールで頼まれたからっすよ。俺らは親友と書いて家畜と読む仲なんで」
私服姿の沢松が笑って虎鉄に答える
「・・・・・・・・・・・・パシリだな」
「うっせコゲ犬。沢松が呼べば俺も行くんだからパシリじゃねぇよ」
犬飼の呟きには天国自ら言い返す。
見事なまでの鬼ダチぶりに当の二人以外は微妙に沈黙。
天国はそんな中でポンポンと兎丸の頭を毛糸の帽子越しに軽く叩き、
「あとはプリント残り二枚だろ?それぐらいは辞書引いてやれ」
兎丸は『一緒にやってよぅ』と言おうと顔を上げたが、天国の柔らかい微笑に頬を赤く染めてコクンと頷いた。
それを見て二・三度頭を撫でて、天国はカバンを持ち上げた。
「それじゃ、先に失礼しますね」
「あ・・・あぁ、気をつけて帰るんだよ」
牛尾の言葉に笑って、沢松から傘を受け取ると、天国は部室を後にした。
残されたのは呆然とした彼らのみ。
どうやらこの雨は、彼らの心に多大な影響を及ぼしたようである。





<余談>
「あ、天国?アイツめちゃくちゃ勉強出来るぜ。中学の時とか模試で全国順位一ケタだったし。まぁ俺もだけど」
「え―――――――――――――――――――っ!!!」
「ホントっすか!?」
「・・・・・・とりあえず、信じられねぇ・・・」
「アンビリーバブルですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」





2002年8月4日