10:卒業式





流れ作業のように挨拶に来る親たちに祝いの言葉を捧げて。
ようやく一段落ついたか、と思ったときに話しかけられた。
「―――田中先生」
・・・・・・あぁ、この声は。
振り返ると予想に違わない教え子が、ブレザーの胸元に花を飾って立っている。
なのだけれど・・・・・・・・・。
「これはまた、見事にやられたなぁ」
思わず笑ってしまえば、話しかけてきた真田は困ったように頬を掻いた。
それもそのはず、彼の着ているブレザーには『卒業おめでとうございます』という紙がついている花しかなかったのだ。
これは卒業生全員に配ったもの。
後はブレザーのボタンも、名札も、ネクタイも、果てはワイシャツのボタンまで全部なくなっている。
よく見ればベルトもないみたいだった。
「大人気だな、真田」
「・・・・・・こんな格好ですみません」
「いや、いい。卒業式の名物みたいなものだから気にしないでくれ」
「はい」
真田はそう言って、照れたように留めるもののないブレザーとワイシャツの前を掻き合わせる。
それにしても本当にスゴイ。ここまで争奪された生徒は久しぶりに見た。
そんなことを考えていると、真田は目の前で頭を下げる。
「いろいろとお世話になりました」
「・・・・・・あぁ」
背筋を伸ばして腰から曲げる、まるで見本のような御辞儀。
この真田の礼が俺は好きだ。礼儀正しいよりも何より、真田自身の内面をよく表しているような気がする。
強く、そして前を向いている姿勢を。



真田一馬というのは、俺の担任していた3年1組の生徒だ。・・・・・・いや、生徒、だった。
勉強も平均より出来、運動神経もいい。クラスでは静かで特に問題も起こしたことがない。
そしてクラブでサッカーをやっている。
学校行事よりもサッカーを優先し、その実力は中学生の年代じゃかなりのものらしい。
そんな生徒が俺のクラスにいた。
今日まで。



「・・・・・・真田は春からフランスだな。いつ発つんだ?」
「25日です」
「そうか、お母さんにもよろしく伝えてくれ」
「はい」
真田は深く頷く。
母子家庭である彼の唯一の家族である母親は、建築デザイナーをしていてそっちの世界では結構有名らしい。
その母親がフランスの建築家に招かれ、今年の春からそちらへ移住することになった。
十月にあった三者面談のときに俺はその話を聞いた。バリバリに働いているキャリアウーマン。そんな感じの母親。
けれど彼女と真田の間にはちゃんとした親子の絆があった。
だからこそ真田は、慣れ親しんだクラブを辞めてまで母親についてフランスへ行くことを選んだんだろう。
今まで共にサッカー選手を目指して練習してきた友達と別れることは、中学三年生にとってかなり辛いことだと思う。
「慣れない土地だろうが頑張れよ。サッカーもいいけど無理しすぎて身体を壊さないようにな」
「はい。精一杯頑張ります」
クラスメイトたちが受験で必死な中、真田は住居を決めるために渡仏する母親についていき、向こうでのクラブチームを決めてきたらしい。
名前は聞いたが、俺は知らなかった。
後で雑誌で調べてみたら、フランスのサッカーリーグでは中堅に位置するチームのジュニアらしい。
学校は日本人学校に通うらしい。クラスメイトが英単語を覚えている間に、真田はフランス語を覚えていた。



俺は持っている生徒たち全員と同じように真田のことが心配だった。
だけどその心配は、俺の手の届かないところにあったのだ。
何もしてやれない場所に。



「田中先生」
真田は右手で卒業証書やらアルバムやらが入った紙袋を持っている。
身長がもうほとんど変わらないのが少々悔しくもあり、頼もしくも感じた。
これが別れかと思うとやはり寂しい。心配することすらさせてもらえなかったが、真田は確かに俺の生徒だから。
「次に真田を見るのは日本代表戦かもな」
「そのときは、きっと先生にインタビューがいくと思いますよ。『真田選手の中学校時代の恩師です』って」
「ははは、そりゃ楽しみだ」
「・・・・・・俺も」
一つ言葉を区切って。



「すごく、楽しみです」



噛み締めるように真田は言った。



もう一度深く頭を下げてから、真田が去っていく。
輝かしい未来へと向かって走っていく。
俺の好きな彼の礼が、いつまでも変わらなければいいと思った。





2004年9月16日