08:見慣れた教室にて





真田君は決して成績が悪いわけじゃない。
だからその問題に答えられなかったのだってたまたまだと思う。
分かりません、と言った真田君に、高久先生は言った。



「真田、おまえはサッカーばかりやってるからこんな問題にも答えられないんだ」



その言葉が耳に入って、思わず頭が真っ白になった。



真田君は成績が悪いわけじゃない。
よく分からないけど、テストだっていつも平均よりもいいみたいだし、社会は苦手みたいだけど英語と数学は得意みたいだし。
予習だってちゃんとしてる。古典の訳を見せてもらったこともある。
だから、真田君はちゃんとまじめにやってる。
なのに高久先生は言う。
「サッカーばかりやっていたって将来に繋がるわけじゃない」
真田君はサッカー選手になるの。サッカー選手になることを決めてるの。そのために努力してるの。
通うのに二時間近くかかる練習場に通って、土日だってサッカーばかりって聞いてる。
それくらい私たちクラスメイトだって知ってる。
真田君がサッカー選手になるんだって信じてる。
「学生の本分は勉強だ。これくらいの問題にも答えられないでどうするんだ?」
理科の問題が何だっていうの? それなら私だって答えられない。
公転周期なんて分からないし、酸化とか還元とかだって仕組みはあんまり分かってない。
なのに何でそんなこと言うの?
「高校に入って、大学を出て、就職して会社に入る。そのためには勉強が必要だ。サッカーも程々にしてもっと勉強に取り組め」
真田君は会社になんか入らない。日本代表に入るの。
頑張ってるの、知ってる。学校生活の端々で分かる。真田君がどんなにサッカーが好きか。
どんなにサッカーが好きで必死になってるか知ってる。
私だけじゃない。クラスみんな知ってる。
文化祭とか社会科見学とか、楽しい行事を休んでまでサッカーに懸けてるんだって知ってる。
「いいか? 分かったならちゃんと勉強しろ。おまえもまだまだ伸びるんだからな」
伸びるのはサッカーの才能。真田君に必要なのは理科の分子や原子じゃない。サッカーだもの。
それくらい私にだって分かるのに。
高久先生の顔を見たくなくて俯いた。隣の席の榎木君が握り締めたシャープペンシルが、にぶい音を立てた。
やだ。嫌な感じ。高久先生、もう何も言わないで。聞きたくない。
真田君はサッカーに生きるの。それを否定するようなこと、もう言わないで。
黙っている真田君に、それでも先生は。



「サッカー選手になれるのはほんの一握りだ。夢見るのも大切だが、ちゃんと現実も見極めろ」



それだけ言って「それでは授業に戻る」だなんて。
戻らなくていいよ。戻ったりなんかしなくていい。さっさと出てって。顔も見たくない。
私だけじゃなくてクラスのみんながそう思ってると思う。
誰もが真田君がサッカーに本気なことを知ってるもの。
サッカーにも、学校にも、一生懸命なこと知ってる。
だから悔しかった。すごくすごく悔しくて、自分のことじゃないのに涙が浮かんだ。
変に静かで、説明をする高久先生の声だけが教室に響く。
斜め前の席の、真田君の手が震えてた。



握り締めた手が叫ぶように、痛そうに震えていた。





2004年7月26日